フィリピン宣教地体験プログラム
福田崇(聖書活用・宣教協力担当)
「フィリピン宣教地体験プログラム」のはじまりは小さなきっかけからでした。私たち家族がフィリピンに派遣されたのは1976年でしたが、第一期の終わりごろの1980年に若い人々を奉仕地に迎えました。妻と私の出身大学の聖書研究会の後輩たちが、私たちの奉仕地を訪問したいとのことでしたので。
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『聖書ほんやく』No.105(1984年11月1日発行)に掲載されたフィリピン夏期宣教奉仕チームの様子 |
その後プログラムとして続いたのは、私に気づきがあったからです。若い人々にとって、若いうちに海外の宣教地を訪問することが大事だと思いました。日本からの参加者にとって、異国の地のクリスチャンとの交流のチャンスは忘れられないことのようでした。また、訪問するカダクラン地区とバーリグ地区の人々に恵みとなっています。第二次世界大戦中の日本による三年間の植民地統治、皇民化教育、日本の軍票の使用、日本語教育などで傷が残っていました。リアス地区での掃討作戦で村を焼き払ったため、多くの死者がでました。この地区に記念碑があり、体験プログラムで訪問した際には、そこで参加者と共に追悼の祈りをささげています。再び攻めてくるのではという恐れが現地の人々にはあり、クリスチャンの若者が日本にいることにより、安堵感を持つのです。
聖書翻訳の働きを知ることも目的にしていますので、翻訳事務所訪問や関連団体訪問をしてきています。2004年のバーリグ語新約聖書献呈式に参加したりしました。2026年2月に予定されているカダクラン語聖書全巻の献呈式にも参加したいと思っています。フィリピン宣教地体験プログラムは、これまで33回実施され、200人から250人ほどの人が参加しました。
主が働かれ、参加者一人一人に気づきを与えてくださることを期待して、神さまがお働きになるスペースを提供することを意識して引率しています。フィリピンの文化・歴史・言語のセミナーをマニラで、山岳民族の文化・歴史・言語のセミナーをカダクラン地区で実施しています。公立学校での交流プログラムに参加者がチームになって協働することも活動の柱です。本質を見抜いてほしい、ことがらの背後にある人々の思いに気づいてほしいです。多くのフィリピンの人々に出会いますが、なにより新しく主に出会ってほしいと願っています。
1993年のプログラムで訪れた際、カダクランの人たちは、私を部族の一員として受け入れてくれました。首狩り族であったので、平和条約を部族間でするには、両サイドが同じ数の首を取る必要がありますが、私の受け入れは平和条約だと言われました。
カダクラン地区に、電気が来て、また自動車が通れる道路が開通したころから、フィリピンの開拓伝道チームがやってきました。それまでは8割ぐらいがカトリックでした。2千人の住民のところに、10を超える教会が開拓されました。地区に緊張感がただよっていることを感じ、日本のチームが訪問するときに合わせて合同礼拝をすることを提案しました。その後、毎年開催して、これまで20回の合同礼拝を継続しています。