ちょこっとミッション
『聖書ほんやく』誌に掲載した子ども向けコーナー「ちょこっとミッション」の記事です。
子供たちにもわかる言葉で
識字教育/南アジア今、わたしのいる国には、いろいろな民族が住んでいます。その人たちは、ふだんは自分の民族の言葉(民族語)で家族や友達と話しています。ちがう民族語を話す人同士は、「国語」といって、みんなが同じ言葉を話すようにと国がき決めた言葉を使います。 子供たちが通う学校でも、すべて国語で勉強します。もちろん教科書も国語で書かれています。
ところが、こまったことに、家で民族語しか話さない子供たちは、学校で先生が話す国語がわかりません。外国語で勉強しているのと同じですから、何を教わっているのか、先生から何を質問されているのかわかりません。そのため、この国には読み書きやかんたんな算数の計算さえも覚えないうちに、とちゅうで学校をやめてしまう子がおおぜいいます。そうならないよう、子供たちの勉強のためにある工夫をしている学校があります。
一つの例をお話ししましょう。2010年、この国のある村に、民族語を話す子供たちのための新しい学校ができました。この学校には、まだ幼稚科と1年生の2学年しかありません。この2つの学年では、先生は子供たちが家で話している民族語で教えています。これから毎年1学年ずつ上の学年をふやす計画です。上の学年では、民族語と国語をまぜて授業をしたり、すこし難しいことを説明するときには、よくわかるように民族語をたくさん使って説明したりするようにします。そして、最終学年の5年生になったとき時には、先生は国語だけで授業をするようにします。
わたしは、この学校で使う教科書作りや先生の訓練のお手伝いをしながら、子供たちが自分の民族語の読み書きを覚え、将来、民族語に翻訳された聖書を読めるようになることを願っています。また、国語を覚えて、高校や大学に進んで勉強したり、社会でしっかり生きていける助けにもなることを期待しています。(『聖書ほんやく』2011年12月号(No.235)掲載:筆者が現在関わっている国の都合上、匿名にしております。)
<多言語教育> 多くの民族が暮らす国では、国が定めた公用語が複数ある場合があり、また、国語と地域の公用語、あるいは共通語が異なることもあるため、ユニセフ等と協力して、宣教地の学校で、母語と国語、さらに別の公用語を併用する「多言語教育」のプロジェクトを行っています。
開かれた聖書
私たちが東南アジアの宣教地で働きを開始した時、始めの数年間、アメリカ人の宣教師夫妻が携わっていたルワン語の聖書翻訳プロジェクトに加わり、レティ方言を担当し、その調査をしました。 そのルワン語の聖書が完成し、2005年の12月に聖書の献書式が持たれました。献書式のために村や教会の指導者達はいろいろなイベントを計画しました。村の中や教会を飾り、たくさんの時間を使って準備しました。でも、彼らは歴史に残るこの献書式のために、なにかもっと特別で、献書式の後も長く残るようなことをしたいと思いました。 それで、みんなが見ることができる教会の前庭に記念碑を作ることにしました。 「この記念碑の意味は」と訪ねると村人はこう言います。
「ずっと昔、19世紀の初めに、オランダ人の宣教師が最初に神の言葉を私たちの先祖にもたらした。何人かの人々は受け入れたが、彼らの生活は変わらなかった。その聖書は彼らにとっては閉ざされた本だったので、彼らの心は堅いままで、今までの伝統的な信仰を持ち続けて生活していた。聖書を読むことも出来ず、理解できなかったからだ。 でも、私たち、今の時代の人々は、自分たちの言葉に訳された聖書を受け取った。私たちの心に語りかける開かれた本だ。私たちは聖書の意味がわかるので喜んで読む。神に従い、私たちの生活は変えられていっている。」 自分達の言葉で聖書を読むと、意味がわかり、心に届きます。まさに開かれた聖書です。聖書の言葉を母語に翻訳することの大切さはここにあるのです。(『聖書ほんやく』2009年4月号(No.227)掲載)
イエス様は幽霊となって出てくる!?
塚田真理子(識字教育/東南アジア)ひとつの国で700以上のことばがあるなんて、想像できますか?そんな国のひとつのことば、D語に聖書を翻訳する働きをしていた時のこと。 村に入って、村の人たちといっしょに生活しながら、その土地のことばとそこに住む人たちの習慣や伝統、生活の仕方、ものの考え方などを学んでいました。
その頃、よそ者の私をとてもかわいがってくれ、自分の孫としてくれたおじいさんが亡くなりました。その村の村長を長年務めた人だったので盛大にお葬式が行われました。そのおじいさんが埋葬された後で、お墓にたきぎの火がともされました。お葬式の後10日間、火を絶やしてはならないと村人が教えてくれました。その火を絶やすと、埋葬された人が怒って幽霊となって出てくるから、という理由でした。
その時に、村の人たちは「よみがえる」ということばを使いました。村の人たちにとって、よみがえるとは、死んだ人が何かの理由で怒って、幽霊となってでてくるという意味だったのです。 イエス様は私たちの罪のために死んで、よみがえられました。もし、私がイエス様はよみがえられたのだと村の人たちに伝えたら、イエス様は幽霊となって出てきたことになってしまいます!このことを知らないで、イエス様の復活を村の人たちに話していたら大変なことになってしまったことでしょう。
聖書の翻訳をしていくうえで、その土地の習慣や伝統、そして、その裏側にあること、また、ことばの使い方や人々のものの考え方を知ることはとても大切なことなのです。 さて、D語では、イエス様の復活に「よみがえる」ということばを使うことができません。では、あなたは、イエス様の復活のことをどんなことばであらわしますか?頭をひねって考えてみてください。(『聖書ほんやく』2008年8月号(No.225)掲載)
本気だったの?
聖書翻訳/パプアニューギニア私たち三人(ノルウェー人、フィンランド人と日本人)は、1991年9月から2006年3月までパプアニューギニアのメンデ語を話す人たちの間で、聖書翻訳とリテラシー(識字教育)の働きをしていた。6人乗りのセスナ機に乗って、隣の言語地域の滑走路に降り立ち、そこから3時間歩いてたどり着く、といったちょっと奥まったところにある村に私たちは住んでいた。
幸い、ことばを教えてくれる人が与えられ、後に彼らは私たちの翻訳協力者となった。しかし、初めの頃、仕事の約束の日にやってこないことがよくあった。それが、いつの頃からか、とても忠実に彼らはやってくるようになった。「今日は絶対来ないだろう。」と思う雨の日にさえ、彼らはやってきた。雨が降ると、村人はみんな家の軒下に座ったり寝転んだりして時を過ごすのが普通だというのに。そしてついには、「来週はこれこれの理由で来られないから。」というように、前もって言ってくれるようになった。これは、そんな習慣のないこの地域では、実に画期的なことであった。
そしてある日、ひとりが告白(!?)した。「最初は、あなたたちが本気でこの村に住んで聖書を訳してくれるなんて思わなかったからね。ひとりずつ母国に帰って行った時、もう戻って来ないだろうな、と思ったんだよ。だけど三人とも村に戻って来たから、ああこれは本気なんだとわかったんだ。だからこっちも本気になったって訳さ。」
よそ者である私たちを信頼してもらうには、それなりの時間が必要だったということである。(『聖書ほんやく』2008年4月号(No.224)掲載:筆者が現在関わっている国の都合上、匿名にしております。)
聖書翻訳のポペイロ
兼次 宏枝(日本ウィクリフ・広報担当主事)ポペイロという仕事を知っていますか?インターネットで調べると、サッカーチームの用具管理者とありますが、要するに、サッカーチームの選手たちがきちんと練習することができ、試合に集中することができるように、チームの環境を整える人のことです。Jリーグでは、まだポペイロがいるチームはほとんどないようですが、ヨーロッパや南米では、ポペイロはチームにとって、なくてはならない人だそうです。 ウィクリフにもたくさんのポペイロがいます。もちろん、正式に『ポペイロ』というわけではなく、『サポートの働き』と呼んでいるし、仕事にもたくさんの種類があるけれど、サッカーチームを支えているポペイロと同じように、ウィクリフの働きを支えているのです。
日本ウィクリフ事務局の仕事も、ウィクリフのポペイロの仕事の一つです。普通の会社にたくさんの仕事があるように、日本ウィクリフ事務局にもたくさんの仕事があります。私も事務局で働くウィクリフのポペイロの一人で、日本の人たちにウィクリフの働きを知らせるために、『聖書ほんやく』誌やパンフレットの編集やウェブサイトの管理などをしています。他にも海外にいる日本ウィクリフの宣教師たちが安心して仕事ができるよう、事務局にはいろんな働きの必要があります。
一日も早く、世界中のすべての人が、自分に一番よくわかる言葉で聖書を読むことができるように。 そのために、ウィクリフにはたくさんの宣教師が必要です。聖書を翻訳する人、リテラシー(識字教育)をする人、そして、それらの働きをサポートするためにいろんなことをするポペイロ。 あなたもウィクリフのポペイロになりませんか? (『聖書ほんやく』2007年12月号(No.223)に掲載したものに加筆修正しました。)
「丘の上のおじさん」ジョーゼフさん
「丘の上のおじさん」と私たちが呼んでいるジョーゼフさんは、私たちが住んでいる村の外れにある丘の上に住んでいます。ジョーゼフさんの家のすぐ裏がジャングルでドリアンやランブータンなど南の国の果物も豊かです。
普通の村人の家にはないのですが、ジョーゼフさんの家には勉強机がありました。そこでは、私たちは椅子に座ってゆっくり時間をかけてお仕事をすることができました。ジョーゼフさんは、聖書の翻訳の仕事をよく手伝ってくれました。
そのジョーゼフさんが私たちの町の家に来て初めて泊った時のことです。翌朝、一緒にご飯を食べていると、ジョーゼフさんは涙を流して、「もう、私たちは兄弟だ!」と突然言ったのです。涙を流しているジョーゼフさんに、私たちはとても驚きました。「どうして?」と、聞くと、「あなた達の家に泊まり、食事を一緒にしたからだ」と、答えました。そういえば、私たちが奉仕している地域のボーカン人は、親戚の人の家にしか泊まりません。普段は、親戚でない人たちのところでは食事もしません。親戚でないと安心できないのでしょう。
ジョーゼフさんのおじいさんの代は、まだ首刈族だったのです。今でも親戚でもない人は信頼できないのは当然なのでしょう。私たちは外国人で、親戚でもないのに、その人たちの家に泊まって、食事まで一緒にしてしまったのです。それで親戚か兄弟になったような気がしたのでしょう。
また、別の時のことです。お食事をする前に、翻訳の仕事を続けていた主人とジョーゼフさんに「マギナカン タカ!(お食事にしましょう!)」とボーカン語で言ったら、ジョーゼフさんは本当に嬉しそうな顔で、「フフフ」と笑って、「わたしのおかあさんが言っているみたいだ」と言って喜んでくれました。 「もう、私たちは兄弟だ!」とか「わたしのおかあさんが言っているみたいだ」というような言葉を聞くと本当に嬉しくなります。
翻訳の仕事は忍耐のいる長く時間がかかる仕事です。そういう言葉は、私達にとって励ましとなり、私たちが主のための奉仕を続けていく中で大きな支えになっています。(『聖書ほんやく』2007年8月号(No.222)掲載)
「犬飼いのおじさん」セーモンさん
私たちが住んでいる村の隣村にセーモンさんという人がいました。私たちが奉仕している地域に住むボーカン人で、私たちの仕事を手伝ってくれていた人です。 セーモンさんの家には犬が4-5匹いました。皆つやがよくて強そうな犬でした。狩が好きなセーモンさんは狩に連れて行く犬を大切に育てていました。そんなセーモンさんを私たちは「犬飼いのおじさん」と呼んでいました。犬が大好きな息子の信は犬飼いのおじさんをとても尊敬していました。信は私たちの村に犬飼いのおじさんが来ると、自分の犬を連れて行って見せたりしていました。私たちは犬を通してセーモンさんをもっと親しく感じるようになりました。
セーモンさんは、私たちが作った本のために多くの手伝いをしてくれました。「○○さんの犬は××さんの犬より良い。よく行水させているから。」という文章をくれたのもセーモンさんでした。ボーカン語の学習書の下書きができた時、後ろにつけた単語集を見て、「辞書ができた!」と満面の笑顔で喜んでくれました。セーモンさんはボーカン語をとても愛していた人でした。
セーモンさんは、私たちが今回帰国する少し前に病気で亡くなりました。とても悲しく辛いことでした。セーモンさんは亡くなりましたが、セーモンさんの笑顔は私たちの心に今も残っています。セーモンさんが手伝ってくれた奉仕の実も本という形で残っています。セーモンさんのような土地の人々によって私たちは助けられ、励まされて神様の仕事を続けています。(『聖書ほんやく』2007年4月号(No.221)掲載)
神様の業
山見 りつ子(聖書翻訳/東南アジア)どこまでも青い空、緑の木々と華やかな花々、犬、猫、山羊、牛などの動物、歌や踊りが大好きでよく笑う人たち。私は、フィリピンのちょっと田舎が大好きです。
私のかかわっている部族のすむ、海と山に囲まれた地の果てのような所にもいましたが、雄大 な自然にはっと息をのむ思いが何度もしました。礼拝を守るためあちこちの教会に行きましたが、そこには愛にあふれた方々がたくさんいて、家族を得たようなもの。寂しいことがあまりなかったです。
フィリピン人の友人もたくさんできました。また彼らのキリストに対する愛と、献身には大きな励ましを受けています。私の属する現地協力団体は欧米人が多いので、その文化になじんだり、コミュニケーションに慣れたりするには時間がかかりました。でも生活や仕事の面で、いろいろな方々のお世話になり、お互いはキリストの身体の一部であるという意識を深めました。
聖書翻訳宣教は難しいと感じることはしばしばですが、部族の方々、コンサルタントやいろいろなサポート部門の方々の協力、また皆さんのお祈りと助けにより進められています。神さまの御言葉が部族の方々の理解できる言葉で翻訳されるのは、神さまの業と言えるでしょう。 私はフィリピンに来て24年になりますが、こんなにすばらしい経験を与えてくださった神さまに感謝しています。(『聖書ほんやく』2006年4月号(No.218)掲載)
サポートの働き - スポーツと聖書翻訳
松丸嘉也(サポート(子女教育)/パプアニューギニア)ウィクリフの宣教師は、聖書を翻訳する人だけではありません。翻訳された聖書を読めるように読み書きを教える人と合わせて、これら2つの働きはウィクリフの「言語(学)」部門と呼ばれています。これはウィクリフの中心となる働きですけれど、これだけでは聖書の翻訳は進んでいきません。聖書翻訳を力強く進めるために、ウィクリフにはもうひとつ、「サポート」と呼ばれる部門があります。
サポートの働きをする宣教師は、聖書翻訳を色々な方法で助けたり支えたりしています。みんながそれぞれの役割を持って、力を合わせて、神様の言葉を世界中に届ける働きを続けています。飛行機のパイロット、コンピューター技術者、大工さん、自動車整備士、事務の働き・・・どれもみんな大切なサポートの働きです。
私は、宣教師の子ども達が通う学校で先生をしています。子ども達が学校に通えると、親である宣教師たちは、安心して自分達の仕事を進めることができます。私は中学生や高校生に体育を教えています。バレー、バスケ、サッカー、ソフトボール、フットボール、陸上などを教えています。ここの学校でも、サッカーは人気があります。生徒達がだんだんとスポーツが上手になっていくのを見ると、とてもうれしくなります。それだけでなく、クリスチャンとして成長していく様子を見て、本当に励まされます。 スポーツと聖書翻訳がこんな形で結びつくなんて、想像したことがありましたか?スポーツだけではありません。あなたの得意なことや好きなことが、色々な方法を通して、(聖書翻訳)宣教と結びついていくのです。神様がそのように用いてくださるのです。なんと素敵でワクワクすることでしょう!(『聖書ほんやく』2004年6月号(No.212)掲載)