千葉から赤道を越えて

高田正博・優子(アジア地区リクルート担当・同リーダー育成責任者)

    2022年末、インドネシアのコラ語翻訳責任者Y兄から、私達にコラ語の働きに戻ってほしいとの要請を総主事が受けたと聞きました。兄弟と連絡を取り、4月末から約2週間、インドネシアを訪ね、久し振りの再会を喜びました。そこで聖書翻訳宣教が地域教会のビジョンとなり、1日も早い聖書出版を待望していると知りました。兄弟は現在、マルク州プロテスタント教会聖書翻訳委員会の支部長として、コラ語の聖書翻訳のみならず、アルー諸島の他言語、地域教会の要請に応えるべくリーダーの要職を務めています。まだ聖書翻訳の働きがない近隣言語グループから、自分たちの言葉への翻訳はいつ始まるのかと尋ねられる機会が増えたと報告してくれました。主の御名を崇めつつ、今後、少なくとも一年に一回は訪れる事を約束して帰路に着きました。

 千葉からほぼ真南に赤道を越え約4,500km、アラフラ海のアルー諸島最北端のコラの地に、私たちが家族で村入りしたのは1986年秋のことでした。夫婦共に翻訳宣教師に必要な学び、訓練を経て、宣教拠点のある州都アンボンに着任し、インドネシア語習得、現地調査等を経ての第一歩でした。訓練中に祈り始めたコラの人々との交わりの始まりでした。言語や風習、文化を学び、民俗誌をまとめ、音韻、文法の論文を州立大学論文集に発表しました。コラ語会話集の出版や辞書作りも加速していました。幾つかの聖書物語を訳し、村でテストをしながら、本格的にマルコの福音書の翻訳に取り組み始めました。その初めから真摯に協力してくれたのがY兄です。当時彼は、アンボンの高校を終え、マルク・キリスト教大学(マルク州オランダ系長老派教会立大学)に進学したばかりの青年でした。クラスのない時、休みの時、私達のコラ語の学びと、マルコの福音書の翻訳作業に熱心に取り組んでくれました。聖書翻訳初期の大きな壁は、聖書用語をどう訳すかです。「神、罪、救い、聖霊、- - - 」私のしつこい質問に嫌な顔一つせず、一生懸命応えてくれる姿に励まされました。その間、私達の証しや、家族同然の交わりを通して聖書翻訳への重荷を共有できた事は、大きな宝となりました。

 1996年からはフィリピンからアンボンを往復しながらマルコの福音書の翻訳を続け、1999年、コンサルタントチェックを予定しアンボン空港に着陸しました。その日が地域での混乱の始まりであり、Y兄に会える事なく、フィリピンに帰国しました。以来、夫婦共に団体の要請に従いながら、米国本部やマニラ・アジア地区オフィスをベースに奉仕を続けて来ました。私たちの奉仕の締めくくりに近づく中、コラ語に関わる機会が再び与えられた事を喜んでいます。

 翻訳は、日本ウィクリフのパートナー団体国際SILとアメリカ聖書協会が開発したソフトウエアParatextを用いて、現地の母語翻訳者7人で進められ、現在、新約聖書の約3分の2を終えています。これからも与えられる責任を夫婦共に忠実に果たしながら、主に委ねて歩み続けたいと願っています。 

『聖書ほんやく』No.270 2023年8月発行 掲載記事