新しい地に向かって ~ バーリグ語聖書献書式

虎川清子(元 日本ウィクリフ宣教師)

 「やっとできましたね」「旧約と新約全部ですか?」バーリグ語聖書翻訳プロジェクトを長年にわたって支援してくださった方々から、バーリグ語聖書全巻出版の報告をメールや手紙でさせていただいた時、送られてきた言葉です。

 振り返ると、このプロジェクトを開始したアメリカ人ウィクリフメンバーのオールソン師夫妻から数えて40年以上経っています。私は1984年に、4年間を過ごしたリモスカリンガ語新約聖書翻訳プロジェクトから移り、日本に帰国予定だった福田崇師夫妻からプロジェクトのバトンを受け取りました。学校の先生の家にホームステイしてバーリグ語を習得後、旧約聖書の物語文の翻訳で聖書翻訳のための練習をしました。その後、新約聖書の書簡類から翻訳を始め、2004年4月にはバーリグ語新約聖書が完成して、献書式がバーリグで行われました。その後、私は日本に帰国し、日本ウィクリフを退職しましたが、新約聖書翻訳を一緒にした母語翻訳者3人が、続いて旧約聖書の翻訳に取り掛かりました。事情があって2人は退きましたが、ヴェロニカ姉が残って旧約聖書の翻訳を終え、新約聖書の改訂も村の方々の協力で仕上げることができました。ヴェロニカ姉は一人で決断しなければならないことが多くあり、度々メールで祈りの課題が送られてきました。健康面でのチャレンジもありました。翻訳審査を翻訳コンサルタントにお願いする時は、フィリピン国内ばかりでなく海外にいるメンバーにもお願いし、メールでのやり取りとなり、時には送受信のトラブルもありました。また、村の方々に訳文を読み通していただく時、稲の刈入れ時と重なって誰も来ることができない日が続きました。ヴェロニカ姉は自分の田んぼの刈り入れを気にしながら、新約聖書の改訂をしたり、挿絵を選んだり、辞書の改訂をしました。そして、やっとすべての原稿をマニラの印刷所に送ることが出来ました。印刷コーディネーターがヴェロニカ姉に送った「確かに受け取った。ハレルヤ! 印刷に回す」というメールをコピーして私にも送られた直後に、新型コロナウイルスの流行が始まりました。フィリピン全国に緊急事態宣言が出され、厳しいロックダウンとなりました。印刷が始まればすぐにでも完成するはずが、印刷所に行けるのか、印刷機が動くのかという状況になってしまいました。更に、コロナ禍による輸入制限のためか印刷資材の値上がりで、印刷費が倍になるという知らせが入り、当初2000部印刷する予定を半分にするという話も出ました。しかし、バーリグ聖書協会が自分たちで何とか500部の費用を負担するから予定通りでという決断をしたと、議長のセフェリーノ兄からメールが届きました。私は帰国後もプロジェクトを支援していましたので、印刷費用として献げられていたもので1500部をカバーできるか調べなければなりませんでした。主はご自分のプロジェクトの必要をご存じで、わずかの差で赤字を避けさせてくださいました。

 世界各国でパンデミックのニュースが飛び交い、フィリピンでは厳しい規制が課されました。感染拡大の収束が見えてこない中、印刷所が機能しているかも分かりませんでした。しかし多くの方々の祈りが積まれ、原稿が送られてから2年以上たった2021年7月に、マニラのフィリピン聖書協会の印刷所から製本されたバーリグ語聖書全巻448部がケソン市にあるウィクリフ事務所に配送され、残りも後で配送予定というメールが届きました。主はご自身のタイミングで仕上げにかかっておられたのです。主がなさるという御言葉の真実と、変わらない主に信頼すること、共に祈り続ける忍耐を深く教えられました。

バーリグ語聖書献書式 聖書を囲んで献書の祈りをささげているところ
©Ablaze Media Productions
 そして、2022年5月28日(土)、ついにフィリピンのルソン島山岳州のバーリグでバーリグ語訳聖書全巻の献書式が行われました。季節は乾期から雨期に入る時期ですが、当日は天候が支えられ、会場の小学校校庭のオープンジムには、前日に日本から到着した福田崇師、児玉武志師、私とアメリカからオールソン師夫妻と長女のルツ姉、首都マニラからの関係者10名を加え、更に村の方々を合わせて200人くらいの人が集まりました。

 長く続くコロナ禍で、献書式開催は不透明でした。印刷出版はされたものの配送不能で、マニラの事務所に2年以上保管されていた2000部のバーリグ語聖書は、4月に規制解除するや、トラック2台でバーリグに運ばれ、式の開催が急展開で決まりました。献書式開催は不可能と思っていた私は、パスポート申請をするところから急いで渡航準備をすることになりました。しかし、多くの方々に祈っていただき、コロナ以前の海外渡航の手続きにはなかった様々な必要書類がギリギリのところで間に合いました。 一方、現地でも大統領選挙直後で準備期間が短く、プログラム、招待状、ゲストの宿泊手配など大変だったと思います。

 当日は、高校生のマーチングバンドを先頭に、警察官、市役所職員、バーリグ聖書協会関係者とゲスト、シニアの方々、そして民族衣装を着けた村の地区ごとの5グループが会場までパレードをして、プログラムが始まりました。

 聖書協会議長セフェリーノ兄の開会挨拶をはじめ、バーリグ語での歓迎の歌や賛美があり、私がプロジェクトの歴史を紹介した後、会場中央に積まれた聖書を囲んで各宗派(この地区にある各教会の所属団体)代表が献書の祈りをささげました。その後も挨拶や賛美が続き、福田師のメッセージや4人の母語翻訳者たちの証もありました。伝統音楽と踊りの時となり、各地区代表者たちの輪に出席者が自由に加わって喜びを分かち合いました。閉会の祈りがバプテスト教会代表者によってささげられ、セフェリーノ兄の謝辞をもって午前の式典が終わりました。昼食が用意されて、出席者全員に紙皿に盛られたご飯とおかずが配られ、それぞれが教室や校庭に集まって食べていました。

 午後は残った人々が聖書セミナーに参加し、福田師の聖書の読み方や使い方の話を聞き、どのように聖書を読んでいるかを出席者が分かち合いました。同時に人々は聖書を買い求め、80部が売れました。私が泊めてもらった家主さんは、夕食後にメガネをかけて、買ってきた聖書を早速読み始めていました。

 私は会場前方の席に座り、周りを囲んで座っている村の方々の顔を眺め、このような形でプロジェクトの完成を見させていただいたことへの感謝の想いがあふれてきました。同時に、イザヤ書43:18-19のみ言葉が心に響いてきました。「先のことに心を留めるな。昔のことに目を留めるな。見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。」(新改訳聖書)

母語翻訳者たちとバーリグ村の人々
(右から3番目が母語翻訳者のヴェロニカ姉、そのひだりがミリアム姉、右がドラリン姉)
©Ablaze Media Productions
 18年前にバーリグ語訳新約聖書が完成し、今、旧約聖書と合わせて一冊の聖書が出来上がりましたが、これでプロジェクトが終了したのではなく、これから聖書が開かれて読まれるとき、神様が母語(バーリグ語)で人々の心に語りかけてくださり、新しいことを始めてくださるのだと示されました。今、目の前で起こっていることに気づかないのか、知らないのか…、と迫っておられるように感じました。新しいことが、起こっているのです。イスラエルの民が出エジプトで紅海の水が分けられ、海底の乾いたところを歩いて渡って約束の地に向かったように、バーリグの人々は今、パンデミックの押し寄せては返す大波が分けられて献書式を終え、新しい地に向かっているのです。

『聖書ほんやく』No.268 2022年12月1日発行 掲載記事