少年Sの物語 <連載 最終回>

鳥羽イングリット
 
 我らが友人Sは、聖書翻訳のコンサルタントとしての技術や、新しい団体を率いていく技術、教会との関係を築いていく技術などを磨くための研修会に参加しなければならなかった。学びには終わりがないことを知った。課題は途切れることがなかった。母語への聖書翻訳を助けてほしいという依頼は多く、とてもすべてに応えることができないほどだった。しかし、このころには前進も見られた。いくつかの言語では新約聖書完成まであと2-3年、というところまで来ていた。Sの母語への旧約聖書の翻訳は、80%初稿を終えていた。その一部は印刷され、試験版として村々に配られた。翻訳をより良いものとするために、人々の意見を集めるためだった。

 みことばが母語で読まれ、読むことのできる人々によって理解された。彼らはそれを霊的な食物として受け取った。そして、みことばに実際的な導きを求めた。人々にとって、みことばは現実のものであって、そこに指針を求め、それに従った。隣人たちに、どうやって信仰を伝えようか、という話になったときに、いくつかの案があった。自分たちの住む地域の生活向上を願っていることを示さなければならないことは皆よくわかっていた。「町の平和と繁栄を求めなさい。そのために祈りなさい」と預言者エレミヤは言っている。クリスチャンたちはどうやったら地域に貢献できるだろうかと考えた。

 初期のころから、若者たちは、モンスーンの季節が終わると、崩れた山道を補修していた。流されてしまった橋を架けなおしたりもした。教会へと続く道だけでなく、村々をつなぐ道や、頻繁に利用される道も補修した。そうしたニュースはSを喜ばせた。しかし同時にホームシックにもさせるのだった。母親とともに通った道や、友達と学校に通った道を思い出した。今、信仰を同じくする人たちと共に教会へと歩いていくことができたら、どんなに楽しいことだろう。だが、彼は、故郷から遠く離れた町から動くことができず、机に向かっている。パソコンの電源が切られることはなく、電子メールはひっきりなしに届き、それらを読み、返事をださなければならない。この仕事は、彼にとっては、そうした犠牲を払ってやっていることであった。しかし、どんなに弱っても、彼は諦めなかった。なぜなら、この仕事は、神から与えられたものであり、彼は自分の生涯を聖書翻訳のために使うことを神に約束したのだから。   (完)

『聖書ほんやく』No.266 2022年4月号掲載