子女教育と私
私と主人(有)は現在、アジアで奉仕している宣教師の子どもたち(TCK※)のケアと教育の働きに携わっています。
この働きを始めるきっかけは今から約40年前、1983年の『聖書ほんやく』誌を読んだ時にさかのぼります。フィリピンのバーリグ語聖書翻訳の働きをしていた福田崇・愛子宣教師の記事が載っていました。「二人のお嬢さんのために教育宣教師を募集中!」
私は早速、ウィクリフの事務局に連絡をとり、所属教会の牧師先生や役員会の方々に祈っていただき、1984年から86年まで短期奉仕者として、二人のお子さんの通うバガバグの小学校で教えました。
私もそうでしたが、独身の女性宣教師は宣教地において情緒的なサポートがかなり必要です。誕生日、クリスマス、休暇の折、友人や宣教師家族が声をかけてくださり、大きな励ましとなりました。
そのフィリピン滞在中に首都マニラで、宣教師子女に関する初めての国際会議が開かれました。世界中の多くの宣教団体から330人が集まりました。なかでも特に印象に残ったのは、TCKとして育った方々の生の証しでした。小さい頃から両親と離れて暮らすことからくる不安、恐れ、「ぼくはなぜこの国にいるの」、「私のふるさとはどこ」といった戸惑いの声、切なる叫びでした。TCKには単なる知的教育だけではなく、心のケアが欠かせないことに目が開かれました。
帰国後結婚し、1995年にパプアニューギニア(PNG)へ赴きました。2歳前の娘を連れて宣教師家族としての出発でした。両手のスーツケースの中身半分は乳幼児の衣類、おむつなどでいっぱいでした。それから2012年までの17年半、宣教師子女のためのインターナショナル・スクールで主人と共に教師として奉仕しました。その間、4年に一度は帰国し1年間ほど日本に滞在しました。
娘が小学校5年生の時、北海道に帰って来ました。私の郷里の函館では毎年夏に「港まつり」という開港をお祝いする祭りがあります。屋台が並ぶ道を通り過ぎながら、「金魚やヨーヨーすくい、焼きイカ、チョコバナナもあって、とっても楽しいよ」と言うと、「いっしょに行く友だちがいなくて、どうしてお祭りが楽しいの」と、娘がボソっと言いました。日本に戻るのは親の私にとっては「帰国」ですが、娘にとっては「よその国」に行くことと同じでした。それまで宣教地でいっしょに過ごしていた友だちと離れ離れになって、ことばも文化もよく分からない「外国」にやって来たのです。不安になったり、怒り出したり、情緒が安定しない理由が私にもやっと分かり始めました。実際、日本から海外に出かける時より、再帰国(再入国)のほうが多くの課題があります。
TCKを理解し支援するために、欧米では長年の歴史と研究を基にして書かれた良書があります。私たちはそのような資料の翻訳にも関わっています。そしてTCKの親たちがオンラインで情報交換できる場を提供する試みも行っています。TCKたちが互いの祝福や課題を分かち合える機会を持てるようにと願っています。
さて、宣教師の子どもたちの教育形態としては、実際大きく分けて三つのオプションがあります。
(1) インターナショナル・スクール(英語)
(2) 現地校(現地語)
(3) ホームスクーリング(母語や英語)
上のいくつかを子どもの年齢や性格に応じて組み合わせたり、途中から切り替えたりすることがあります。
私たちはPNGから帰国した後、2014年から日本を拠点として、アジア各地のTCKのための働きに携わっています。インターナショナル・スクールのある各国の大都市圏から遠く離れた地で奉仕している働き人がいます。多くの場合、上記(3)のホームスクーリングという形態を選びます。しかしそれでは親の時間とエネルギーが多く必要になります。また子どもが中高生のレベルになると親だけでは教えることが困難です。
そのため最近では新しい試みがなされています。いわゆる学校ではなく、小グループの中高生たちが一定の場所に定期的に集まる方法です。そこでプロの教師の支援を受けながらホームスクーリングを続けていきます。私たちもそのチームの一員として数学と英語を教えています。そうすることで宣教師家族は自分たちの奉仕している言語地域に住むことができます。
このようにパイオニア的な取り組みをしながらTCKの教育活動を支援しています。日本の諸教会の皆様が今に至るまで、この働きのために忠実に祈り支えてくださり、心より感謝申し上げます。
チェンマイで行われたTCKサミットにパネラーとして参加した時の様子 |
※親の母国とは異なる「第3」の文化で育った子どもたちの総称としてTCK(Third Culture Kids)と言いますが、宣教師の子どもたちもそのように呼ばれています。
『聖書ほんやく』No.266 2022年4月発行 掲載記事