少年Sの物語 <連載 第4回>

鳥羽イングリット

 文字の読めるカリンの人たちは、カリン語でのメッセージを喜んだ。しかし、国語は読めても、カリン語を読むのは少々難しかった。カリン語には、国語にはない音があり、それを書き表すために、見慣れぬ文字が使われていたからだ。多くの人は学校に行ったことがなく、全く読み書きができなかった。行ったことがあったとしても、落第して一年生を何度か繰り返しているうちに諦めてしまっていた。女の子たちの多くは、子守や野良仕事、飼葉集め、水汲みなど家で「必要」 とされて、学校に行かせてもらえなかった。カリンの人たちに、どうやって読み書きを教えたらよいのか?教科書がないなら、誰かが作らなければならない。

 ちょうどその頃、ある識字教育の専門家が別の国で英語教師として働くためのビザ待ちをしていて、3ヶ月間助けてくれることになった。幸先良いスタートだったが、その専門家は自身の任国へ行かなければならなかったし、教えてくれたやり方も、カリン語には適さないことがはっきりした。何事も簡単にはあきらめない我らが友Sは、教えてもらったやり方にこだわり、自分でなんとかしようとしたが、進展はなかった。道が閉ざされ、荷はとにかく重すぎた。教科書を作るというプロジェクトは断念された。一旦目指して取り組んだ価値のある仕事を担い通すことができなくてあきらめることは、彼にとって傷つく経験だった。自分は失敗し、諦めてしまった、時間を無駄にした、と感じた。しかも、この道の真ん中にある障害物を跳び越すのを助けてくれる専門家はいなかった。教科書作りの問題はとても飛び越えられない障壁であった。

 さらに、全く新しい課題も持ち上がった。それは、地図のないルートを中身のわからない荷物を担いで行くようなものだった。その覚悟があるだろうか?外国人はずっとこの国にいられるわけではない。しかし、なすべき働きは多い。まだ翻訳の始まっていない言語が多くある。母語ではない、不十分な読解力しかない公用語で伝えられた福音を理解するのに苦労しているクリスチャンのグループも多くあった。彼らの公用語力では、町で塩や日用品を買ったりするには十分であっても、恵みによる救い、永遠のいのち、神の愛、といった概念を理解するには不十分だった。

 これまで同様、彼はこのチャレンジも自分の責任として受け止めた。聖書翻訳宣教のための場所は、予想外の早さで見つかった。最初の活動は妻とともに壁にペンキを塗ることと床を磨くことだった。机、電話、パソコンを購入した。パソコンの使い方、事務所の運営、プログラム計画など、新しい課題はたやすく乗り越えられるものではなかった。しかし、子供の頃から危険な山道や重い荷物を運ぶことに慣れている者は、音を上げなかった。これらもまた、ずっと後になって彼が語ってくれたことである。結局のところ、重い荷物を担いで山道を登っている最中には、とても話などできないのだ。荷物を下ろして初めて、話すことができるというものだ。難所を越えて、一休みするときに、これまで歩いてきた難しいルートを振り返ることができる。

 というわけで、新しい団体の、当時はまだプログラム自体が無くて、正式に登録することもできなかったその始まりを、後に彼はこう語ってくれた。「自分が頼まれた仕事について何もわかっていなかった。壁のペンキを塗っているほうが、机のパソコンにむかっているよりも、ずっと自信を持ってやれたくらいだ!」しかし、一歩一歩、彼は進んで行った。小規模の研修会が母語翻訳者のために開かれた。初めはヨナ書の翻訳だったり、物語を書く訓練だったりした。新しい仕事は、新しい母語翻訳者の相談にのったり、翻訳原則を教えたり、翻訳のコンサルタント審査にも及んだ。

 はっきりとわかったのは、母語翻訳者が、自分の母語に神のことばを翻訳する時が来た、ということだった。確かに、最初は幾多の問題があった。翻訳をしようとやって来た人の中には、集中力がなくて翻訳できないことがわかった人や、わずかな報酬で毎日翻訳をしながら学んでいくなどということはできない、とわかった人もいた。たやすいことだと思って来た人は、そうでないことがわかると去っていった。しかし、ほとんどの人は残り、自分の民族のための翻訳も識字教育の教材作りも上達していった。 (次号につづく…)

『聖書ほんやく』No.265 2021年12月号 掲載