日本ウィクリフ理事会 新理事長より
私が幼稚園生の頃、父親が宣教師のやっている英語バイブルクラスに導かれ、教会との関わりができて、母が信仰に導かれ、クリスチャンホームになっていきます。10歳になる前の日に信仰を持ち、12歳で受洗しましたが、今思えば、よく信仰が分かっていませんでした。そして、高校1年の夏に信仰が覚醒されて、Hi-b.a.に通うようになり、出会った最初のスタッフが福田崇さん(日本ウィクリフの生みの親)でした。Hi-b.a.の中に世界宣教を学ぶサークルがあって、そこで宣教に関する本を読むという課題があり、読んでオズワルド・スミス『魂への情熱』に書名にふさわしく魂を揺さぶられ、宣教師を目指して、大学も選んで進みました。大学では言語学を専攻し、大学院時代に国立市で行われたSIL(夏期言語学講座)の音声学のクラスだけ取りました。そのクラスを取って、つまずきました。全然様々な言語音が出せない自分を自覚して、自分には向いていないなと思って、ウィクリフへの志願は諦めてしまいました。
そして、直接献身して牧会に当たるようになったのですが、20年ほど前に赴任した小金井教会において阿部紀美子宣教師が召命を確信して、識字教育を目指すように歩み出しました。それを受け取って応援する立場になり、10年ほど前に招かれて、日本ウィクリフ委員会(現理事会)に委員(現理事)として加わるようになりました。
福田崇宣教師との最初の出会いから数えて50年、宣教師ではなく、理事長になっているとは、逃げたのにニネベに引き戻された預言者ヨナにも似ているかも知れませんね(苦笑)。
すべての言語: 理事長として、このクリスマスを迎える季節に思い浮かべるのは、よくこの時期に上演されるメサイアで、そのクライマックスはハレルヤ・コーラスです。この歌詞は黙示録11章15節、19章6、16節から取られています。
「この世の王国は、私たちの主と、そのキリストのものとなった。主は世々限りなく支配される。」(黙示録11:15)
「ハレルヤ。私たちの神である主、全能者が王となられた。」(黙示録19:6)
「王の王、主の主」(黙示録19:16)
天上での賛美を先取りする形で作られたものです。この賛美にはどんな人々が加わるのでしょうか。
「また私は、もう一人の御使いが中天を飛ぶのを見た。彼は地に住む人々、すなわち、あらゆる国民、部族、言語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音を携えていた。」(黙示録14:6)
※以上、『聖書新改訳2017』より引用
このように伝えられた人々が加わることになるのですが、この中に言語が出て来るのは興味深いことです。ある言語を話す少数の人々を指すのでしょう。言語学を専攻して、20世紀後半に革命的影響を与えた生成文法で人間の内には固有の他の動物にはない言語能力があるという説によって、これが、神がご自身のかたちとして造られた人間の内にある神のかたちなのかもと思わせられたり、もう現代言語学では定説となっていますが、言語には優劣はなく、何かの言語が原初的なものなどということは決してないということにそれぞれの尊厳さを覚えさせられたりして来ました。宣教の歴史の中では、未開の部族に向かう宣教師たちは「そんな原初的な人たちに教えても難しいことは分からないし、無駄」と言われたそうです。しかし、宣教師たちは聖書の述べられていることに従って、出て行って、聖書の真理など理解しようがないと揶揄された人々が神によって新たな人に変えられて行く手伝いを果たすのです。神の前にはあらゆる言語、その言語を母語とする人々まで大切であって、それらの人々がこの天上の賛美に加わるように招かれているのです。
ウィクリフの働きはこの神のみ思いに一致するものです。この賛美に加わるべき言語の人々の所に出かけて行って、言語を研究し、聖書を翻訳し、読み書きを教えて、聖書を読めるようにし、聖書のみことばによって新しく変えられて行くことを目指すのです。このための働き人がもっともっと必要です。ウィクリフは常に求人中です。このメッセージを聞いて立ち上がる人たちが起こされること、あの人が行ったらいいのではないかという人がいたら、その人と神のみ思いを分かち合って、送り出していただけたら感謝です。
東京フリー・メソジスト教団 小金井教会 主任牧師 宮川浩二