少年Sの物語 <連載 第3回>
クリスマスとなり、彼は、カリンの人たちが読んで理解できるようにクリスマスの意味を書いたトラクトを作ることを思いついた。表紙には、今にも飛びかかってきそうな虎の絵が描かれた。その絵の見出しとトラクトのタイトルは「もう恐れる必要はない!」というものだった。おそらく西洋の人にとっても、その他の国の人にとっても、クリスマス物語を説明するトラクトにはおよそ似つかわしくない絵である。しかし、ヒマラヤの村々の周辺には虎がいて、皆が恐れていた。ほとんどの人が見たことがあったり、声を聞いたり、少なくともその仕業を見たことがあった。カリンのどの人も、真夜中に突然不思議な光が現れたときの羊飼いたちの恐れを理解することができた。天使の語った偉大な御方は、虎と戦うのに十分な力をもっておられるだけでなく、私たちが祈るならば、家畜小屋に虎が近づかないようにすることさえできる。それだけではなく、その方は、人々が常に恐れている正体不明のもの、人々の間を行き巡って、襲ったり、時には殺したりする何かわけのわからないものへの恐怖を鎮めることができた。この天使が伝えた知らせは、まさに現実的なニュースだった。トラクトは大成功だった。
カリンの人々は首都にやってくると、「翻訳研修会」に顔を出した。村の様子がまず伝えられ、それから訳したばかりの聖書箇所にある難しい言葉をカリン語にどう翻訳したらよいかという議論となった。「祈る」「祭司」「復活」「信仰」、その他多くの言葉について、どう表現すべきか。こうした議論に信者と、そして信者でない者たちも参加し、率直な意見が引き出されていった。そのため、新約聖書が出版されると、それはコミュニティー全体の努力の成果ととらえられた。村での献書式当日、200冊もの新約聖書が売れた。そのうち信者が購入したのは100冊ほどで、あとは自分の意見を述べて翻訳に貢献したと自負していたり、自分の言語で本が出版されたことに誇りを感じていた未信者が購入した。信者たちは、囲いの外にいる者たちのために祈り続け、何年もの間に、一人また一人、一家族また一家族と群に加えられていった。
仕事は終わり、Sが担ってきた荷物は届けられた。これからどうするのかと考えた時、妻は彼に、神に仕えることを第一にするという約束を思い出させた。ちょうどこの頃、識字教育のことを聞いた。確かに聖書を読むことのできる信者はいる。しかし、一体何人が本当に読むことができているのか。意味を把握するというよりも、字面を追っているだけの人が多いのではないか。若者たちは以前とは比べものにならないくらいちゃんと学校に通っている。しかし、彼らの親はどうか?母親たちは?彼ら自身が読めなければ、どうやって自分の子供に神の言葉を教えることができるだろうか?Sが負うべき新たな重荷ができた。すなわち、識字教育の本を作り出すことだ。それ以前にまず、新約聖書以外にも読む本があることを知らせなければならない。仕事に取りかかった。町から村へのニュースレター、時折書くトラクト。それらは皆、クリスマスのトラクト同様大成功だった。 (つづく…)