少年Sの物語 <連載 第1回>

鳥羽イングリット

  その少年の物語は、何年も前、私たちが南アジアのヒマラヤ山脈の村に住んでいたころに遡る。
 当時、私たちの家は、下の村から登ってくる道筋にあり、道は谷の上流の村へと続いていた。そこには学校があって、下の村から学校に通う子どもたちは、何かおやつを期待して、または単に私たちのことを眺めるのを楽しみに、毎日のように私たちの家にやってきた。S少年はそうした子供たちの中の一人だった。何歳だったのか、大人びた表情をしていたが、体つきはどう考えても10歳以上には見えなかった。
 当時は電話や無線機といった連絡の手段がなかったため、私たちはモンスーンの季節には首都で過ごすのが常だった。ある年のそうした首都滞在から村に戻ると、あの少年は、以前よりもっと険しい表情になっていた。何年も経って知ったのだが、私たちが村から離れている間に、彼の母親は病気になり、そして亡くなっていたのだった。母親が亡くなる前、忘れないようにと繰り返し語った三つのことを、後に少年は語ってくれた。「盗んではならない」「嘘をついてはならない」さらに、母親が彼に約束させたのは「学校に通い、学ぶ機会を逃さずに学ぶ」ことだった。少年の父親は、私たちが村にやってくる数年前に亡くなっていた。少年には兄がいて、母親が亡くなったときは、インドの軍隊に入っていて留守だった。母親が死んでから兄が戻るまで、少年はひとりで暮らした。後に兄は戻って来たが、伯父に弟の世話を頼むと、土地を売り払った金を持ってすぐにまた行ってしまった。それで、少年は伯父のところで暮らし始めた。奴隷のような扱いだったが不平も言わずに働いた。彼は、母親に教えられたことを決して忘れなかった。いつも正直であること、決して盗みを働いてはならないこと。そして何よりも、独り立ちできるように、できうる限り教育を受けるよう努力すること。命じられた仕事を何でも一生懸命にすることで、少年は、母の遺言なのだから学校に行かせてくれと、伯父に食い下がることができた。また、私たちが忙しい時など、彼は子守を買って出てくれた。当時よちよち歩きだった次男にとって、とてもよい子守役だった。
 ある復活祭の日曜日、復活祭の本をいくつか持って、ふたりの息子たちと丘を登っていると、そこに少年がやってきた。その頃彼は、村から遠く離れた高校に通うために、平日は寮で生活していた。伯父から寮に持っていくキビの粉を十分にもらえなかったのか、寮に戻れず、遠くの野良に仕事に向かっているところだった。ひどく落ち込んで、寂しそうだった。それで、私たちは彼を呼んで、一緒に物語を読んで聞かせ、絵を見せた。家族写真に一緒に写ったり、一人で写真に写ったりして、彼は楽しそうだった。私たちの歌う歌に耳を傾け、それから彼は仕事に向かった。数週間後、私たちが首都に戻る頃となった。道中は長く、凸凹であるため、ふたりの息子を籠に入れて担いで運んでくれる人が必要だった。Sは、その日ちょうど学校に戻るところだったので、喜んで担いでくれた。下の息子は彼のことが大好きだったので、滑走路までの丸一日かかる険しい道のりを彼に担いでもらうことにした。私たちの手元には今もその時の写真がある。
 その年のモンスーンの季節が終わっても、私たちはいつものように村に戻ることができなかった。予想もしなかったことに、国を出なければならなくなったのだ。その後9年間、彼からの便りはなかった。多分必要な文房具や切手を買うお金がなかったのだろう。
 ようやく任国に戻り、働きを再開できたのだが、問題も生じた。私たちが戻れないでいた間もずっと手紙のやりとりを続け、翻訳に関わってくれていた若者が、結婚を控え給料のよい仕事に就く必要もあって、翻訳の仕事を辞めたいと言い出したのだ。彼は、あのSを後任にと推薦した。全く見ず知らずの人を雇うより前任者の言葉に従う方が安全だったので、彼の推薦を信じて、私たちはかつての「子守の少年」を雇うことにした。(次号につづく…)
『聖書ほんやく』No.262 2020年12月号掲載