民族音楽ワークショップ ~東南アジア短期ミッションボランティアを終えて~

松本恵美香(大学生)
私は、2、3年前のある日の大学生の祈祷会で日本ウィクリフの宣教師にお会いして初めて、エスノアーツの働きを知りました。それまでは、ウィクリフの宣教師というと、ひたすら聖書翻訳をしているという印象が強かったので、芸術に興味がある私にとっては新しく、またどこか嬉しい、印象深いものとなっていました。それから神様の導きの中で、芸術、特に音楽という切り口から宣教に対して興味を抱いてきました。今回は、自分の将来のことを考えるためにも実際に宣教地でエスノアーツの働きを見たい、という思いから短期ミッションボランティアに参加するに至りました。
3月5日〜8日に開かれた民族音楽ワークショップは、スラウェシ島のトロという村で行われました。トロは、空港のあるパルから車で3、4時間かかる場所にあり、昨年9月にスラウェシ島を襲った地震による被害が色濃く残る所を通っての移動となりました。途中、液状化により、まさに村ごと生き埋めになった場所を目にした時には、言葉にならない思いがしました。
 ワークショップは、賛美と喜びに溢れた祝福された時となりました。毎日3度の食事と間食の奉仕をしてくださる現地教会の婦人方の支えのもと、参加者が母語で神様を賛美する恵みにあずかりました。今回は3つの言語グループから合計25名が集まりました。参加者は毎朝自分が住む村から会場(教会)に集まり、朝食と礼拝をともに守り、それぞれ母語での賛美歌の作曲に励みました。毎朝礼拝でみことばから受けとったメッセージは、彼らを励まし強めるものであったと思います。「賛美は何のため、誰のためなのか」「神様はどのような賛美を喜ばれるのか」「どのようにして楽器を用いるべきなのか」。公用語で、そして欧米の音楽でこれまで賛美を捧げてきた彼らにとって、自分たちの心が動かされる言葉と音楽(楽器)で賛美を捧げることが聖書もすすめていることであると知れたことはとても嬉しいことだったのではないかと思います。日本もそうした一面がありますが、偶像礼拝に使われた音楽や楽器は、私たちの神に向けて使うのに正しくないと考える傾向があります。しかし、罪があるのは道具ではなくそれを使う人間であること、むしろ神様から与えられた音楽や楽器、道具を正しく用いて賛美を捧げるべきである、というのが私にも深く考えさせられたメッセージでした。
 加えて、今回のもう一つの大きなメッセージは、そうした民族音楽での賛美には人を癒し、変える力があるというものでした。自然災害や紛争などが原因となってトラウマを負っている人は多いようです。今回のワークショップの中にも教会がもう一度一つになれるようにという願いを抱いて参加している方がいました。こうしたトラウマに対して、チームの牧師は実例をあげて聖書から語りました。前回ワークショップを行った村で民族音楽での賛美を通して争いがおさまったこと、災害による苦しみの中でも変わらない愛を注ぐ神様を見上げ感謝すること、などなど。心を動かす賛美というのは神様に向けられたものであると同時に、歌う者の心を動かし、そして聞く者の心を動かすものであるということがよくわかりました。
 このようなメッセージを受け、参加者は3日間で15曲の賛美歌を作りました。完成した曲は全て録音、編集し、教会が著作権を管理するという承諾のもと、これから歌われていく準備ができています。私にはそれぞれの曲の歌詞の意味はわかりませんでしたが、音楽と参考にした聖書箇所、そして歌声と表情から、みなさんが心から神様に思いを捧げていることが伝わってきました。これからも今回作られた歌が教会の内外で用いられていき、また新しい歌を作り続けられるように祈るばかりです。
帰り道、チームメンバーの知人のお家で、ワークショップで作られたその方の母語の賛美を聞かせてあげたところ、胸に手を当てたり優しい表情になったりして感動していました。神様がこれを必要とし、用いてくださることを確信しました。
(参加後に書かれた証から、一部抜粋。)『聖書ほんやく』No.259掲載