『神さまにこづかれて』を読んで




前向きでユーモアたっぷりな、しかも見開き読み切りのコラムに、時には涙し時には声を出して笑いながら読みました。楽しい面白い日常の話題からいつの間にか信仰の高嶺に一気に引き上げられ、高山病にかかりそうな気分のときもあり(笑)いったん低地におり、それでもまた読みたい衝動にかられ。こんな調子ですから、クリスチャンの交わりで是非シェアしたくなってしまいました。トラクト代わりに手元に置いておこうとまとめ買いをしました。
7年前、異文化宣教セミナーの入門コースに参加。そこで主は私の心に一つのフックを掛けました。それは「宣教師は教会が送り出す」ということです。
宣教は、個人の召命と同時に教会の召命でもあることを知りました。あれからずっと「心が一つになる」ということを求め続けていたように思います。
恥ずかしいのですが、宣教師の開拓教会で受けることに慣れた私の信仰の在り方を、神様はこの本をもってこづいてくれて、リバイブ(信仰復興)のチャンスをくださいました。私は当然のこと、当たり前の事ができていませんでした。
信仰の励みになるようにと願いながら、伝道者を志して通信教育に取り組んでいる方、これから神学校に入学していく方、海外でイエス様を信じた方、ミッショントリップ経験者などにこの本を渡しています。
またバイブルキャンプから戻った教会の子供たちの中に「将来宣教師になって貧しい国の子供たちをたすけたい」「牧師になる」「洗礼を受ける」など神様からのチャレンジを聞きました。そんな志を受けた子供対象に礼拝前に「ちょこっと英語タイム」を企画。そこでこの本から「ワンポイントメッセージ」でシェアさせていただいています。素直な信仰にスーッと響き共に感動しています。
本でもありましたが、一歩踏み出す信仰は、アブラハム、モーセ、ギデオンと聖書の中で一貫している教えであり、恵みなのだということを再確信しました。そして宣教のスピリットは教会の命であること、またクリスチャン生活はこの宣教を意識して生きることの中にこそ、神様のめぐみを体験できることをメッセージとして受け取りました。
アンティオキア教会のようにいつか送り出す日が来ることを信じて、ここから今日の一歩を踏み出します。
吉野冨貴子(2012, 2018年異文化宣教セミナー受講生)
『聖書ほんやく』2019年4月1日発行 No.257 掲載記事

※『神さまにこづかれて』については、こちらもご覧ください。