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松村隆・美知子/ゆり子・謙一・純
東南アジア 、イラルトゥ語聖書翻訳プロジェクト

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近況、祈りの課題

2005年7月

6月オヤン牧師が、ヨハン兄のいるカイマナを訪問してくれました。行き来に 5日もかかるのに主に時間を捧げて奉仕してくれました。その後、彼は、 「もしかしたら、これ以上続けるのは辞めた方が良い」というようなニュアンス のメールをくれました。そこで、私のうちに一つの方向性が見えてきました。 それは、最終ゴールが見えないような奉仕の仕方をしないということです。 今まで印刷されたマルコとルカ、コンサルタントチェックが終わった 使徒の働き、そして、下訳が終わっているマタイ、ヨハネを改訳合冊して、出版 しようということにしました。そして、2010年をゴールにして、伝道的な プログラムも含めて、言語学の論文も含めてそこを目指そうということに なりました。そのような方向性が出てきたことは感謝なことです。それと ともに、突然、隣りの国で働いている言語学コンサルタントがイラルトゥの 働きのために何かしたいということを言ってくれました。驚きです。 GPIと聖書協会は、協力関係をもう一度見直すことにしたようです。 この協力関係も働きにとっては大切です。お祈り下さい。

2005年1月

お祈りを感謝いたします。6月に現地を訪問してきたことがうまく進まなく クリスマスの時に、主にもう辞めさせてくださいと祈りました。牧師の働き をしながら現地の働きをすることはできません。ところが、祈っている 途中、「オヤン・セセライ」という人の名前が頭に浮かんできました。 そこで次の日に電話をすると、外出中で、いませんでしたが、彼から 電子メールが送られてきました。そこで、私が祈っていたらあなたの 名前が浮かんできたので、もしかしたら、主が導いてくださっているかも と伝えると、彼は、牧会の働きの一部として奉仕しても良いという返事を くれました。ハレルヤ。それから働きが動き始まりました。

2004年8月

お祈りを感謝いたします。ヨハン兄ともパプアで会うことが出来ました。 また、マリウス兄という20代の短大卒の兄弟が、働きに加わりました。 今回の訪問でGPI(現地の教会)と聖書協会との協力関係が話し合われ ました。体も守られて帰国できて感謝です。ただ、現地への訪問は、 これを最後にすることにしました。健康的に困難を覚えます。

2004年5月

健康も、守られ牧師としてのご奉仕をしています。4月末に、 ヨハン・ウェルフェテ兄との電話連絡が6ヶ月ぶりにつきました が、相変わらず、こちらからの国際電話が繋がりません。

現地で聖書翻訳をしているロジャー・ドリオル師が、連絡係を 買って出て、カイマナまで電話をかけてくれヨハンに伝言を 託し、ヨハンからこちらに電話がかかって来ました。

5月には、イラルトゥ人として数少ない大学卒業したメリウス兄 が、聖書翻訳訓練会に参加しています。また、7月には、 3週間の予定で現地を訪問する予定です。

今回は、すでに翻訳されているルカの福音書を使って、 聖書研究(用いられるみことば)の実験をしたいと思っています。 バヌアツの渋沢さんのところで起こった聖書研究による教会 そして地域の人たちの大きな変化をこのイラルトゥの人たちの 内にも起こしてくださるように祈っています。

お祈りを心から感謝いたします。

2003年2月

埼玉県の児玉福音自由教会の牧師として奉仕をしています。と共に、イラルトウ語 のマタイの福音書の改訂、辞書作成などを進めています。また日本ウィクリフのコンピュー ター部門でいろいろな奉仕をしています。低血糖症ですので、健康維持に気を付けています。健康 のために続けてお祈り下さい。また、現地で翻訳を続けているヨハン兄とのコミュニ ケーションが スムースにとれるようにもお祈り下さい。

2002年5月

ヨハン兄との定期的な連絡が取れるようになりました。本当に感謝です。ヨハン兄が送ったヨハネの福音書の1章から14章の初稿も無事到着しました。ファックスや電話のやり取りも取次ぎですが、つながっています。ヨハネ伝の見直しをしていますが、一緒に改訳ができない点をどう克服するかがこれからの課題です。

松村さんは、5月20日から2週間、イリアンジャヤやジャワを訪問します。ヨハン兄、ペテロス兄、ユダス兄たちは、カイマナの町から首都ジャヤプラまで飛行機と船を乗り継いで、13日から24日まで行われるインドネシア聖書翻訳訓練会に参加します。松村さんは、訓練会にはでませんが、協力団体のYPAのリーダーや、現地SILのリーダーたちとも話し合う機会を持ちます。また、週末ヨハン兄たちと祈り会い、翻訳の進め方について話し合います。そして、28日には、団体のセスナ機でカイマナの町まで飛び、事務所の電気の配線をし、また、携帯電話が外部アンテナを使うと果たして別の町にあるアンテナにつながるかテストをします。松村さんは、その日の内に、ビアックまで飛び、30日に、ジャカルタに戻り、インドネシア聖書協会のアリチア姉と協力関係について話し合い、31日には、帰国の途につきます。

松村さんの健康のために続けてお祈りください。現在は、回復が頭打ちの状態です。低血糖症で食事療法と栄養剤そして運動が治療法です。

アメリカで勉強中の謙一(82・5生)くんは、夏休みで5月9日に帰国します。良い交わりとアルバイトのため。日本の高校で学んでいます純(85・5生)くんのため。ゆり子(79・2生)さんは、英会話の学校で教えています。それぞれの信仰の成長のためにお祈りください。

2001年11月

この4月より児玉福音自由教会の牧師としての奉仕を始め半年が過ぎました。牧会をしながら、イラルトゥ語の働きを支援しています。牧会の働きにようやくなれてきたところです。お祈りに支えられてヨハン兄も元気です。この夏までに、ヨハネの福音書1章から4章を終えたという連絡も入っていますが、その後の連絡がありません。

松村さんの健康のために続けてお祈りください。低血糖症で食事療法と栄養剤そして運動が治療法です。また、ヨハン兄の奥さんが、木から落ちて骨を折ったので早くいやされるように。

松村さんは釈義・訳語の面で助けています。現在は、マタイの福音書の翻訳の見直しやイラルトゥ語の辞書の編集をしています。ヨハン兄には、電子メールが無く、手紙も届きません。ファックスと電話が便りです。連絡がスムーズに行くようにお祈りください。

1年に1度は訪問して励まし、またヨハン兄たちには経済的な支援をしたいと考えています。渡インドネシアを、来年の5月か9月にしたいと目標にしています。

アメリカで勉強中の謙一(82・5生)くんのため。日本の高校で学んでいます純(85・5生)くんのため。それぞれの信仰の成長のためにお祈りください。ゆり子(79・2生)さんは、大学を無事卒業、英会話の学校に就職しました。

2001年6月

* 昨年6月に帰国以来、導きを祈ってきましたが、この4月より児玉福音自由教会の牧師としての道が開かれました。牧会をしながら、イラルトゥ語の働きを支援していくことになりました。今後は日本ウィクリフの協力メンバーとなります。 * 牧会の働きが祝されますように。イラルトゥの人々が松村夫妻のいない中でも、重荷が与えられ続け、現地の指導者の兄弟たちを中心に翻訳を続けていくことができますように。 * 松村さんは釈義・訳語の面で助けていくことを考えています。連絡がスムースに行き、良い助けを提供できますように。 * 1年に1度は訪問して励まし、またヨハン兄たちには経済的な支援をしたいと考えています。必要が満たされますように。 * アメリカで勉強中の謙一(82・5生)くんのため。日本の中学校に編入して学んでいます純(85・5生)くんのため。それぞれの信仰の成長のためにお祈りください。ゆり子(79・2生)さんは、9月卒業です。卒業後の歩みのために。

2001年5月

昨年6月にインドネシアから帰国し原因不明の頭痛や気力体力不足を検査していただき、10月に低血糖症と診断が降り、主に食事療法と栄養剤で治療してきました。2月末に以前よりもずっと力がついて来たことを感じ、それとほぼ同時に児玉福音自由教会の牧師としての招聘がきまり、4月1日から奉仕を始めました。ウィクリフの宣教師としての立場は解かれますがウィクリフ主事・日本委員会のご理解のもと、協力メンバーとしてイラルトゥのヨハン兄達を釈義の面、精神的、経済的に助けて行きます。児玉教会がご理解のもとでイラルトゥ宣教も続けていきますので働きのため、また、健康の回復のために続けてお祈り下されば幸いです。

2001年4月

26の村のためにバイリンガル教育の研修会を5回開催しました。辞書、会話集、新約各書を出版しました。 カイマナに事務所を開設でき、現地での委員会が働きを継続しています。 日本から、釈義のアドバイスなどをして、プロジェクトを支援していきます。

母教会、支援母体

日本福音自由教会協議会蕨福音自由教会

略歴

2001年4月 協力メンバーとして奉仕を開始
2000年6月 帰国
1997年5月 インドネシアへ再赴任
1996年 福音書の翻訳が進む、6月に帰国
1994年5月 インドネシアのマランへ
1993年9月 米国アリゾナ州ツーソンのインドネシア支部研修センターへ
1993年1月 マニラから帰国、教会訪問
1992年9月 インドネシア政府との契約打ち切りにより出国、マニラへ
1989年2月 インドネシアへ再赴任
1988年4月 第1期目の奉仕を終えて帰国
1985年 プロジェクト地域に住み始める
1984年 インドネシアに着任、初めての言語調査
1977年 日本ウィクリフのメンバーとなる

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