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吉川啓子、パプアニューギニア、ウアレ語聖書翻訳プロジェクト

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ウアレ語「使徒の働き」献呈式レポート

10月16日(日)  夜明け前からいろいろな音がしている。朝食のあと第一の鐘が鳴り始める。10時、 第三の鐘がなり礼拝がスタート。80人ほどが集まってきている。今日は、隣村の教会 やクワレ村の救世軍の群れも一緒に集まっている。村内の空き地に作った簡易の礼拝 スペースで、礼拝が始まる。村の言葉で賛美がまず4曲ほど。子どもの賛美や、「イ エスなしではどうして良いのか分からない。」などの賛美に続いて、三位一体を歌う 賛美などの後、それぞれの教会からの報告、そして献金と続く。

 10時55分献呈式が始まる。「使徒の働き」の翻訳が終わった時、啓子さんがいない で献呈式をするというのを誰が予想しただろうか?まずSILの地区代表であるロバー ト続いて私が話す。「これは、啓子さんと数人の協力者だけが負っているプロジェク トではないこと。神さまが責任を持って始められ、そしてやり遂げてくださること。 私たち(ウアレ語話者、SIL、日本ウィクリフ)は一人一人がそれを信じ、重荷を みんなで共有していく責任があること。」などを一同に奨めた。聖書朗読のあと、三 人の牧師、翻訳協力者、ロバートと私が赤い表紙の分冊に手を置いて一同で祈る。

 11時半頃から、ウアレ村の牧師により使徒1:8からのメッセージ。「今日は新しい はじまりのスタートの日。使徒の働きは終わっていない、今に続いているストー リー。」という言葉が心に残る。12時すぎ賛美そして祈りで式が終了する。参列者ひ とりひとりが列になり握手をしに来てくれた。ほとんどの人が「ありがとう」と言っ て握手をしてきた。それを教えた啓子さんは今ここにはいない。

吉川啓子さん召天

既にご承知の方も多いと思いますが、2005年7月25日(月)午前、パプアニューギニアの ウカルンパ(聖書翻訳宣教センター)で吉川啓子さんが天に召されました。享年54歳 でした。啓子さんはこの日のフライトで首都のポートモレスビーに出る予定でした。 朝、久米のぞみさんと電話で話し、家に来た啓子さんに会ったそうです。(二人の家 は徒歩1分ほど)他には、福永貴恵さんが郵便局の近くで、黒川未踏さんが自分の職 場で会ったことも分かっています。啓子さんは郵便局からこの朝、母教会宛にコー ヒーや、印刷されたばかりの「使徒の働き」を送っていました。

以下、久米のぞみさんが語ってくれた啓子さんの様子を紹介します。

「25日の11:00頃、航空部門の車で啓子さんの家に行ったが応答が無いので中に入 ると、トイレで仰向けに啓子さんが倒れていた。左手を胸に右手は伸ばした状態で、 手は冷たくなっていた。呼吸もしていなかったので、すぐにクリニックに電話をし た。2人の医師が駆けつけたが、心不全で天に召されたことが伝えられた。啓子さん をベッドに移していると、デイレクターたち、福永さん夫妻、黒川未踏さん、仲が良 かったエマとマリーが家にやってきた。

啓子さんの髪をなでたら、にっこりとし、「「ありがとう。何の苦しみも今はない のよ。イエスさまと一緒だから。」」と言っているかのようだった。先日使徒の働き のステパノの殉教の箇所を読んだ。啓子さんが翻訳したところの一つだ。殺意を持ち ステパノに殺到してきた群衆に対し、自分の霊を神さまに委ねて殺されたステパノの 殉教の挿絵は、啓子さんと同じように心臓に左手を置き、右手は広げている姿だっ た。同労者のイナラは今までで一番聖書のことばが分かったという。一粒の麦が落ち てたくさんの人々に愛を伝えた啓子さん。ウアレ語を話す人々は今は悲しみや暗闇の なかにいるが、やがて喜びの日が必ず来ることを信じている。天を見上げて歩んでい きたい。」

次に、首都ポートモレスビー、熊本愛泉教会で行われた葬儀の様子を、永井のメモを もとに紹介します。

27日(水)

17:00過ぎ成田空港で、啓子さんの遺族お二人とお会いする。18:00過ぎ熊本愛泉教 会の牧野師が合流。夜行便でケアンズに出発。

28日(木)

6:00前にケアンズ到着。12:00発のフライトに乗り、ポートモレスビーへ。13:45頃 到着。14:30過ぎに入国終了。3名の日本大使館職員、PNGSILのデイレクターた ち、日本人メンバーたちが出迎えてくれる。まずゲストハウスに移動し、荷物を置 き、準備の後、葬儀場へ。

空港に出迎えてくれた方々、すでに朝から来ていた村人 たち40数名、首都やウカルンパから来てくれた現地の同労者たちも含め、100名ほど がチャペルに入って礼拝が始まる。熊本愛泉教会牧野師の司式で、まず「慈しみ深 き」の賛美がスタート。聖書箇所がヨハネ15:13、祈り、啓子さんの愛唱歌だった 「めぐみの高き嶺」の賛美に続いて、牧野師がメッセージ。映画「ミッション」にも 触れ、十字架を持って行進していた神父が銃で撃たれたのち、共に行進 していた中から十字架を拾い、掲げて歩む人が出て、行進が続いたように、ウアレ語 プロジェクトも継続していこうではないかという力強いメッセージがされる。

賛美の 後にSIL支部総主事、現地の聖書翻訳団体BTA代表、ウアレ語プロジェクトに ずっと関わってきたイナラ、日本人メンバーを代表して中村さんの4人による告別の 辞。賛美、終祷のあと、遺族代表の弟さんがご挨拶。献花、参列者と挨拶、写真撮影 などが終わったのが、18:00少し前。火葬は今晩行われるという。大使館職員が死亡 届けの用紙などをくださる。明日16:00頃に遺骨を受け取りに来る事になった。

29日(金)

9:00前に迎えが来て、啓子さんが首都に滞在中に住んでいた家に行く。家の中にあ る物を、遺族の方々と種分け。ブライアン、ご遺族、牧野師、イナラ(のぞみさん通 訳)、と私で今後のことで協議をする。クワレ村、首都、ウカルンパにある家と荷物 や車の処理、今後のプロジェクトの方向性などが中心となった話し合い。イナラや村 の翻訳委員会委員長も同席し、ご遺族、母教会がこのプロジェクトの完成を心から願 うことを表明してくれ、日本ウィクリフ、PNGSILとしてもできる限り最大限の 尽力をすることで出席者で確認する機会となった。イナラの「啓子の遺志を継いで やっていく」ことを心から願っている思いがとてもうれしい。神さまのご介入なくし ては何もできないプロジェクトだが、私たちには祈ることができる。

7月30日(土)

朝、デイリーブレッドで「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽 きることがない。私たちが滅び失せなかったのは、主の恵による。」<哀歌3:22>を 読み、絶えないもの、尽きないものについて思う。今日は遺灰を持って、日本に戻る 日。

7:15にゲストハウスを出発。空港に着くと、三宅さんが既におられた。 三宅喜久恵さんは、啓子さんの10数年来の友人で首都に住んでいて、日本大使館の事務をして いる方だ。25日(月)の朝、ウカルンパのデイレクターのブライアンからの電話を受 け取ったのはこの方で、大変なショックを受けておられた。今回、大使館関係者に働 いてくださったので、本当に感謝だった。SILメンバーたちやイナラ夫妻をはじめ 数人の村の人たちも駆けつけてくれた。最後の交わりののち、ジョンから指名を受け た中村さんが祈ってくれ、遺灰をしかり抱いた妹さん、弟さん、牧野師、私の4人は 出国手続きに入った。多くのみなさんに本当にお世話になった。

7月31日(日)

熊本は明け方から雷と大雨。

11時から礼拝。喪服の方も数人おられる。今日は前から計画されていた黎明宣教礼 拝の日で、黎明宣教会から派遣されている四組の宣教師からの宣教会便りも配られて いる。啓子さんが投稿した「熱心なお祈りに支えられつつ」という記事が6,7ページ にある。この教会出身の日高ルツ宣教師が証しと賛美をしてくれた。教会では、啓子 さんの妹的存在だった方だ。詩篇67篇から「すべての民、こぞって」と題してメッ セージをさせていただく。あまねく地に知られる、もろもろの国民に伝えられる、こ ぞってほめたたえる、ことごとく神を恐れるの4点で、啓子さんのことを思いながら 話す。主の「どうしても」(ルカ4:43)に応えていくチャレンジを語りながら、クワレ の人々のことを思うと涙が出てきてしまう。

13:00過ぎ、啓子さんのお母さん、妹さん夫妻がお見えになる。お願いしてあった 交わりのために、早めに来てくださり感謝。まず、ウィクリフとして何もできなかっ たことをお詫びする。ご家族の思いをお聞きし、今後のことについてもお気持ちを伺 う。啓子さんの家や所持品などが、ウアレ語の人々のためになるように使って欲しい という思いに心が熱くなる。今後、SILパプアニューギニア支部に委任状を出し て、諸手続きをする方向となった。

15:00から告別式が始まる前に、村の様子がビデオで紹介される。また礼拝堂に入り 口には、2003年に体験旅行に参加し、クワレ村とウカルンパを訪問された古田さんの 写真を拡大コピーして掲示してある。啓子さんと村の女の子(啓子さんが名付け親) のケイコちゃんのふたりで写っているものもある。

教会と新生の民黎明宣教会の合同の式で、司式が宣教会代表の船越師、説教が母教 会の牧野師。「啓子師は教会の誇りであり、最高の宝である」というメッセージに一 同心が打たれる。告別の辞が、母教会、黎明宣教会からあり、私もウィクリフとして 述べさせて頂く。啓子さんを思い出しながら、「求め続け仕え続ける歩み」について 話す。啓子さんが1985年の8月にパプアニューギニアに赴任してから今年で20年目と なる。1998年から昨年まで続いた宣教地体験学習旅行の参加者は約60名に上るが、誰 もが啓子さんの証しを聞く機会を与えられてきたことを思う。

15通を超える弔電の紹介、終祷、アーメン三唱のあと、お母さんの挨拶の時とな る。ひとこと、ふたことを話した後に声がつまって沈黙となる。しばらくして、妹さ んのご主人が代読してくださる。本当にしっかりとした文章だ。続いて献花が始ま る。100名ほどの参列者が白いカーネーションを遺灰の箱の前に置く。遺影の啓子さ んとひとりひとりが無言の対面。式が終了した時、時計は17:00をまわっていた。

略歴(式次第の用紙から抜粋)

1951年1月16日:誕生
1967年12月24日:熊本新生教会で受洗(高校2年生)
1972年-79年:日赤看護学校、熊本音楽短大、西南神学校などで学ぶ
1979年-84年:宣教師訓練コース、レドクリフ宣教訓練校、イギリスSILなどで学 ぶ
1985年1月:日本ウィクリフメンバーとなる
1985年8月:パプアニューギニアに派遣される
1988年1月:ウアレ語プロジェクトがスタートする
2005年7月25日:ウカルンパの自宅で召天。54歳。(宣教第4期の半ば)

支援母体:新生の民黎明宣教会
母教会:日本バプテスト連盟熊本愛泉教会
派遣団体:日本ウィクリフ聖書翻訳協会
受け入れ現地団体:SILパプアニューギニア支部

最後に、今回デボーションの中で教えられた次の文章をお分かちしたいと思いま す。「大事なことは次の二つです。神が定めたことであること、あなたが応えること です。」「神の計画はあなたひとりで実現するものではない。神が働きかけ、それに あなたが応え、さらに他の人が応えていくならば、神の計画は進んでいきます。」 <清野隆二師>

私たちは、神さまがひとり子イエスキリストを賜うほどに私たちを愛して下さって いると信じていますが、「主よ何故ですか?」と問うことが多い世界に生きていま す。今回の啓子さんの帰天のことも、理由は私たちには全く分かりません。ただ分か るのは神さまが啓子さんを愛しておられること、主はみこころをなしておられるとい うことです。啓子さんとの思い出を振り返りながら、これからの私たちがどう歩んで いくのかを祈りながら考えていけたらと思います。ご遺族への慰めと救いのために、 今後のウアレ語プロジェクトの進展のためにお祈り下さい。<永井敏夫>


過去に掲載された近況、祈りの課題

2004年10月

お祈りを感謝いたします。 今回は久しぶりのクワレ村滞在中、使徒行伝を翻訳委員会で審査したときのことをご 報告したいと思います。

村入りに先立って、6月に翻訳委員会を村で開いていただき、使徒行伝の審査の 日取りを決めて頂きました。今回は28章と長いので、5日間はかかると予想していま したので、そのように計画していただき、委員の方々もそのことに喜んで賛成してく ださいました。翻訳委員長のボラナ兄と同労者のガエ兄がリードして委員会を進めて くれて、審査の日取りのみでなく、ほかの村から来る委員のための宿泊する家、毎日 の昼の食事と午前午後のおやつの役割分担もクワレ村と隣のガベ村とで決めてくれま した。ここ数年私はクワレ村を留守にしていますので、村人が助けてくれるだろうか と心配していただけに、このように2村あげて審査を助けてくださったことに本当に 感謝しました。

そして委員会の前日、ほかの3村から1名ずつ3名の委員が到着されました。全部で6村 に案内の手紙を出していましたが、3村から来てくれて本当にうれしいでした。それ で委員と同労者を合わせて20名(うち3名は婦人)が集まって審査がなされました。

月曜日から金曜日の昼までの審査は、私の体調には無理ではないかと心配していま したので、そして月曜日は4時から休み、火曜日、水曜日は3時から休みましたが、 木曜日は5時まで審査に参加することができました。皆様のお祈りに答えて、主が肉 体も新たな力を注いで強めてくださったことを感じました。今祈っていてくださるの だなあと、本当に感謝しました。

今回の審査でうれしかったことは、ウアレ語翻訳がとてもわかりやすくできている という評判だったことです。このように1章から28章まで読み通すのは村人にとって 初めてのことだったと思います。その中でも7章のステパノの殉教の箇所は村人に とって大変なインパクトがあったようです。殉教の記事の箇所に来ると、部屋の雰囲 気が変わって緊張した雰囲気に包まれ、1節1節にうめきのような声をあげる人、読み 終わるとため息をつく人、目に涙を浮かべている人、まるで映画のシーンを見ている ような雰囲気でした。またペテロが獄屋から天使によって連れ出される場面では、舌 鼓を打ちながら『何という主の力か』と口々に言って感動していました。

審査のために、そして私の体調のためにお祈りくださいました皆様に、心より感謝 いたします。

8月25日から約5週間、ウカルンパでヘブル書の翻訳研修会に出席しました。イナラ 兄が奥さんと来てくれました。3年ぶりで午前中の講義に最初から最後まで出席する ことができることを感謝しています。途中少し体調がよくないこともありましたが、 最後まで続けることができ、イナラ兄も集中して講義を聴き、仕事ができて、主がイ ナラ兄の上に働いていてくださることを感謝しています。イナラ兄は10月中旬までウ カルンパで翻訳を手伝ってくれます。ヘブル書の二稿までを終えて、使徒行伝の見直 しをします。イナラ兄の出発までに終えることができますようにお祈りくだされば感 謝です。その後、コンサルタントの審査のために使徒行伝の英語への逆訳を始めま す。体調に合わせたペースで進めることができますようにお祈りくだされば感謝で す。

2004年6月

4月末にウカルンパから首都のポート・もレスビーへ移動しました。こちらは少しず つ涼しくなっています。雨季が終わろうとしていますが、まだ時々雨が降ります。 使徒行伝の翻訳の見直しを20章から始めています。イナラ・ゴギナ兄と弟のガエ兄が 来ています。イナラ・ウィーニ兄も加わるかもしれません。予想以上に時間がかかっ ています。7月に村の翻訳委員会での審査を予定していますが、それまで全章終える ことができるかどうかわからないといったところです。できなくても村での審査は行 う予定です。この2ヶ月間の働きのために、特により正しくわかりやすいウアレ語に 直すことができますように、お祈りくだされば感謝です。 体の方は昨年に比べると元気になってきています。昨年よりも仕事をよくできるよう になったと同労者が喜んでいます。でもやはり疲れやすいです。健康が支えられます ようにお祈りくだされば感謝です。

2004年2月

昨年はウアレ語文法分析の為にウアレ語の話を集めましたが、集めた話を見ていく中で、新しい言葉を発見することができました。 イナラ兄と、花嫁料の儀式の準備をする手順について書いてあるテキストの中に出ている、ある動詞の意味をいろいろ聞いていました。それはヤム芋の準備をするにあたり、花嫁料の為に使うもの、次の植え付けのためにとっておくもの、そして自分たちが食べるものと、3種類に選び分ける言葉でした。この言葉はマーケットでびんろうの実を選んで買う時にも使われます。またスポーツのチームメンバーを選ぶ時にも使われるということでした。ウアレ語では「選ぶ」という言葉がなかなか見つからないということを先回の日本での報告で話したと思います。この言葉はイエス様が十二弟子を選ばれた時の「選ぶ」という言葉に、またエペソ書1章11節の「わたしたちは、.....神の民として選ばれた」という箇所でも使えるのではないかと考えています。一人だけを「選ぶ」という言葉には使うことができないようです。今回は集めたウアレ語テキストの中からこのように「選ぶ」という言葉を発見できたことは本当に感謝なことでした。

今年3、4月まで文法分析をして、その後ポート・モレスビーへ出て使徒行伝の翻訳の見直しを続けます。7月までに村の翻訳委員会による審査もしたいと願っています。そのために村に2週間ほど滞在することになると思います。マラリヤから、また他の病気から守られますように、健康の為にお祈り下されば感謝です。

翻訳同労者はイナラ兄を始め、4-5人の男性で、交代で仕事に来てくれます。彼らの信仰の為にもお祈り下さい。

2003年2月

ウカルンパセンターにある家を購入できました。これからはセンター内での引っ越 しがなくなるので感謝です。クワレ村にある家、ポートモレスビーで借りている家、 そしてウカルンハの家と三つになりますが、どれも必要があります。4月までは、ウ カルンパに滞在予定です。第2コリントの研修会が終わり、初稿が完成しました。少 し無理をすると心臓の動悸が激しくなったりしますので、時間を制限して奉仕をして います。体の調子を考えながら、仕事をしていけるようにお祈り下さい。

2002年3月

昨年7月からウアレ語の聖書翻訳活動の第4期が始まりました。昨年日本の教会での報告の中で、後10年から15年と言ってお祈りをお願いしましたが、健康で何の障害もなければという条件付きでした。昨年パプア・ニューギニアヘ再赴任して8月に早遠マラリヤにかかり、3ヶ月間仕事ができませんでした。今から何年と考えるのではなく、主が許して下されぱ1年、また1年と続けるようにと主が教えておられるようです。ただ今、ガラテヤ書、ピリピ書、使徒行伝の翻訳を続けています。お祈りを感謝致します。

2001年6月

* 翻訳同労者の兄弟たちの信仰と翻訳の働きのために。吉川さんが、日本にいるあいだに少しでも、翻訳同労者たちが自分たちで「使徒の働き」の翻訳を進めることができますように。 * 1月13日に帰国し、休養の後、3月から教会訪問に入りました。報告集会が祝され、さらに多くの人々に祈って頂くことが出来ますように。またパプアニューギニアの聖書翻訳宣教に献身する人が起こされるようにお祈りください。 * ウアレ語で訳された聖書を一人でも多くの人たちが読んで、信仰に目覚め、成長できますように。 * 一緒にいるお母さんの救いのためにお祈りください。

2001年4月

今年の前半は、日本にもどり、休養をしました。母教会を中心とした交わりにより励まされています。 限られた数の教会に報告に伺いました。 6月17日に、再派遣の祈りが母教会であり、7月には任地に戻ります。現地での移動の中で強盗集団から守られますように。

母教会、支援母体

日本バプテスト連盟熊本愛泉教会、新生の民黎明宣教会

略歴

2001年7月 パプアニューギニアへ再赴任
2001年1月 第3期目の奉仕を終えて帰国
1995年 第3期目の奉仕で任地へ
1994年9月 第2期目の奉仕を終えて帰国
1990年7月 第2期目の奉仕で任地へ
1989年12月 第1期目の奉仕を終えて帰国
1988年1月 プロジェクト開始
1985年8月 パプアニューギニアに着任
1984年 日本ウィクリフのメンバーとなる

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