「バナナの木の皮で絵を措いて暮らす」。これが私の理想の生活でした。
4月29日、ケニアの首都ナイロビに着いて1ケ月がたちました。
現在私はSILスーダン支部(ウィクリフの現地姉妹団体)でイラストの奉仕をしています。
ここにはバナナの木がたくさん生えているのです。
SILスーダンではスーダンにある約20の部族言語に聖書を翻訳しています。 スーダン北部では公用語としてアラビア語、南部では英語が学校教育等で使われいるため、 部族語による文字の読み書きを学ぶ機会がありません。 識字数育を受けて初めて聖書を自分のことばで読めるのです。
私が描くのは、部族語の教科書のさし絵です。 私達が小学校に入って国語を、中学で英語を初めて学んだ時のように、 絵の下にその名前が書かれてある、ああいう教科書の、あんな絵を描くのです。 教材のイラストの仕事は日本で数年やっていました。 その言葉を学ぶ人にとって最も日常的、典型的、一般的な物を描かなければならない、 ということを経験を通して教えられていました。それはアフリカでも同じでした。
スーダンの部族で暮らす人にとって一般的な物ってなんでしょうか? 家、扉、水を飲む器、料理の動作、身近な動物、何もかも日本と大違い。 この部族と隣の部族では当然家の形も壺や槍の形も少しづつ違う。 それを翻訳宣教師や部族の本人に聞いて、相談しながら絵を描きます。 アフリカの伝統的な生活様式なんて、知らないことだらけだから興味津々。 非常におもしろいです。絵を描いてバナナを食べて大好きなアフリカに住んで、 その上こんなおもしろいことをやっているのに神様の役に立っているらしいので、 申しわけないみたいです。神様ってほんとにすごいです。
私の好きなことや興味のあることをちやんと生かして使って下さるなんて考えてもみなかったです。 神様に仕え、キリストのからだに仕えることというのは、 だいたい対人関係で人に親切にしたり、集団の中で状況判断して、 必要と思われる行動をすることだと思っていました。 でもそういう事を考えるよりも、絵を描いたり、第三世界の本を読んだりしている方が私は幸せでした。 ひとりで好きなことだけしていたい、というこの性格では、 生きてるだけでも「互いに愛し合いなさい」という戒めに背いているようで、 クリスチャンとしては非常に情けない人間に思われました。 でも神様にとっては、私の性格の善し悪しなんてどうでも良いことで、 それにもかかわらず救って下さったのですから、できることだけ喜んでやっていればいい、 と思うことにしました。
ウィクリフ聖書翻訳の働きは10年近く前から関心をもっていました。 できればその仕事に携わりたいと願っていましたが、自分にその適性は無いだろうとあきらめていました。 2年前に初めてサポートワーカーとしてイラストが必要とされていると知り驚きました。 神様、私にもできることがあったんですね、できることがあるならやってみよう、 というわけで、とりあえず1年間試してみることにしました。 今朝もマサイのおじさんから買った牛の生乳でお茶を沸かして飲みながら、 幸せを感じ、神様の恵みに感謝する毎日です。