ドキュメント

みことばによって、虎川清子

「人が全世界を手に入れても、自分の命を報したら、何の益になろうか」(ルカ9・25)

この御言葉によって、自殺を考えていた者が、新しい生命に生きるように変えられた。 学ぶ目的・生きる目的を失った一学生に、キャンパス・クルセードの学内集会は、 キリストによる価値ある人生の存在を明確に教えてくれた。 この世に存在するに値しないと思っていた時に、御言葉を通して、人間の生命を全世界以上に、 価高く値づもって下さる方にお合いしたのである。 この方に従っていこうとの思いが与えられ、教会生活が始まった。

教会学校の教師見習いをしていた時、ネパールに、聖書翻訳宣教師として遭わされようとしていた鳥羽師が、 子ども達の宣教礼拝で、証詞をされ、御言葉の必要が語られた。会堂の後で子供達と聞いていた私は、 強い関心を与えられた。正しい新しい情報を知るために機関紙を送ってもらい、 祈り始めた。この関心が、主から出たことなのかどうか、吟味する期間が必要だった。 メンバーになるまでの種々の訓練・特にジャングル・キャンプの体験談では、 自分に無理と思い、国内内で、祈り献げる者になろうと決めた。

大学卒業後、母校の私立ミッションスクールに、教師としての道が開かれ、教会学校の奉仕もでき、 祈り献げることを続けることができた。しかし、いつも、このままでよいのか?  という思いがあった。御言葉を母語で持たない人々のために働くことができたらという思いは、 熱しやすくさめやすい私の性格とは反対に、強くなっていった。 そして、私が出ていくべきではないのか? という問いがきこえてきた時、 私は次の3つの条件を出して、私は行けないと決めていたのである。 1つは、身体的に訓練もフィールドでの働きも無理である。 2つめは、クリスチャンとして年も浅く未熟な点が多くある。 最後は、学問的に、言語学は専門でない。という3つである。

第一の条件は、耳の手術後、聴力が落ちていた時、礼拝メッセージを通して、 「人の魂の叫びは、肉の耳ではなく、心の耳で聞くべきである]と知らされ、否定された。 言語学の準備は、日本で初めて、夏期言語学講座が開かれ、出席が許された。 むずかしい学びではあったが、興味をもって学ぶことができた。自分にはできないと思っていた者に、 「あなたの道を主に委ねよ。主に信頼せよ。主がなしとげて下さる] (詩37・5) との御言葉によって、主にのみ信頼して、歩を進めるべきと示された。

この御言葉通りに、神学校での全課目聴講、渡米、学び、ジャングル・キャンプと、主は常に共にいて、 訓練をなしとげさせて下さった。 思いわずらいや、人に頼ることではなく、主にのみ信頼する時に主御自身がなしとげて下さることを教えられている。 「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである](∃ハネ15-16a 口語訳)