第16回フィリピン宣教地体験学習旅行

フィリピン宣教地体験学習旅行記

斉藤直子

写真、事務所にて。 この旅行への参加を決めたのは、不思議なことに、ペテロの不信仰の個所からだった。ディボーションでマタイ14:28-29の所のペテロとイエス様の会話を読んで参加を決めた。

ペテロは28節で「主よ、もしあなたでしたら私に水の上を歩いてここまで来いとお命じになって下さい。」と言うのに対し、29節でイエス様は「来なさい。」と言われた。この旅行に参加することが御心かどうかわからず祈っていた私にとって、参加を決めることはまさに水の上を歩き出すことのように思えた。しかし、主よ、もしあなたでしたら私に来いといってくださいと祈ったとき、この個所で「来なさい。」と呼ばれた気がしたのだ。しかし、私は自称ペテロに似ているので、信仰の弱さもしっかり似てしまい、ミンダナオ島でのテロ爆破事件のニュースや、持病の腰痛が出たりしたことですっかり弱気になり、旅行に参加することはみこころではないのかもしれないと勝手に不安になっていった。

そんな時、腰も治らないので参加をキャンセルするかどうか祈っていたとき、神様は不思議と同じ聖書の個所を通して私を励ましてくださった。"祈ることを教えて下さい"という本の中で"キリストはペテロに、ご自分のもとに来ることを咎められたのではありません。主は「なぜ来るのか」とたしなめたのではなく、「なぜ疑うのか」と言われたのです。"という所を読んで、私は、ハッとした。主は私がなぜこの旅に参加するのかと咎めておられるのではなく、なぜ主に信頼しないのか、と言われている。腰痛に悩まされる現実の中で癒されることを信じて参加することは信仰を必要とした。主は私の100%の信仰を求めておられた。このことから、この旅の間に、どんなに状況が困難に見えても、私を呼んでくださった方にはすべてが治められることを信じて、祈ろうと思わされた。

3月18日火1日目

4:30起床。朝7:10成田空港集合。無事チェックイン終了。朝食後、出国審査を終え搭乗するが、乗ってから50分ほど待たされる。私は、花粉症で鼻が詰まっていて、離陸と着陸の時に耳が痛くなったり頭痛がするのが心配。祈ってもなかなか鼻が通らず、困っていたが、50分待つ間に不思議と鼻が通った。ハレルヤ!離陸は守られた。しかし、上空でまた鼻が詰まる、というか、鼻水が止まらない。でも、着陸が近づいた時、また不思議と鼻が通った。神様は信頼して祈る時、時間に遅れることなくその祈りをきかれる。感謝!

無事に着陸し遅れながらも入国審査を終えて、3時頃空港を出てタクシーに乗り継ぎSILのゲストハウスに向かう。初めてのマニラの街並みを楽しむ。1回脇道の路地に入った時に、街の人達の生活を生で見ることができて良かった。貧富の差を思わされる。

ゲストハウスに到着。おいしい夕食後、アメリカからの宣教師でサポートの働きをしているゲイルさんと少し話せた。独身で、異国で20年近くも宣教師として働いているなんてすごいと思った。彼女から、メンバーケアのカウンセラーが毎週月曜日にこのゲストハウスに来ると聞いたが、私たちの旅行日程と合いそうになく、今回は会う事を断念。7時過ぎに近所のアイスクリームパーラーへ皆で歩いて行き、アイスクリームを山ほど食べる。夜はゲストハウスに戻ってミーティング。

3月19日水2日目

朝食後、TAP(The Translators Association of the Philippines)のオフィスヘ向かう。朝の街の生活を横目に見ながら車で走ること約45分、少し迷ったが無事TAPオフィスに到着。

TAPはフィリピン人による聖書翻訳団体。フィリピンには数多くの母語の異なる少数民族があり、その多くがまだ母語で聖書を持っていない。TAPでは約40人のフィリピン人宣教師が聖書翻訳、識字教育、保健衛生教育と補助、そしてアジア諸国への宣教師派遣の働きに従事している。TAPでは、現地の人々の実際的な必要に応えることも宣教の働きの一部と考えている。TAPの宣教師たちは主への情熱がみなぎっている表情をしていて、会うだけで励まされた。TAPの皆さんが私たちを歓迎してくださり、見学した後で、沢山のフィリピンのおやつをご馳走になった。

TAPオフィスで働いている方々と私たちのミニ交流会みたいなことをした時、ミラさんが最後に私たちを励まして言ってくれた言葉が心に残っている。"In the body of Christ, God needs all types of people, all kinds of skills for His work (キリストのからだのなかでは、神様は全てのタイプの人々と、全ての種類の技術を必要としている)"私のことも、私の経験や学んだことも、全ては神様の御業のために用いられる、そう思うと感謝。

名残惜しかったが、TAPを後にし、SIL・ウィクリフのアジア地区オフィスを見学に行った。ここで、私は思いがけなく、メンバーケアの働きをしているレスリー・クリスチャン姉と話しをするチャンスが与えられた。それまでは、宣教師たちの心のケアはとても必要とされていると聞いてはいたものの、実際に会った方々はいたって健康そうで、この働きよりも私がより必要とされている場があるのかも、と考え始めていた。彼女と話せたことで、それまで私の中で吹っ切れていなかった物がすぅっと消えたような気がし、この道を進もうという勇気が与えられた。たった10分ほどの短い交わりだったが、神様が私を励ますために用意しておいてくれた特別な出会いだったように感じた。感謝。

午後訪ねたクリスチャンブックストアの前でカトリックのフィリピン人の女性と話した。彼女は私たちが宣教師を訪ねて日本から来ている事をとても喜んでいた。興奮気味に、先週彼女の教団のカンファレンスが日本の沖縄と大阪であり、彼女の教会からも宣教師たちが参加した事を語ってくれた。彼女はそのカンファレンスのため、また日本の魂の救いのために祈っていたので、若い日本人が宣教地を見にフィリピンへ来たのを見てとても嬉しかったのだろう。私も、私たちの知らない所で日本のために祈っているフィリピン人の人に出会えて嬉しかった。彼女はカリスマ的カトリック教会のメンバーだったが、心に持っているのは同じ御霊だ、と感じさせられた。夕食後、山見りつ子宣教師のお話を聞いた。山見さんの言葉で印象的だったのは、"皆ユニークな賜物を持っているから、それぞれがその人のユニークな人柄とか賜物に合う国、教会、民族、働きを選ぶことが最善。"

今日は、本当に内容の詰まった1日だった。TAPオフィスで聞いた話、証し、チャレンジを覚えていたい。

3月20日木3日目

朝4:45起床、5:30出発。30分くらいの朝の散歩がてら近くの大きなカトリックの教会でミサに出た。毎日、朝6時、6時半、7時、昼12時、夕方も2・3回のミサが、そして日曜には1時間のミサが10回くらいあるらしい。私たちは朝6時のミサに参加したが、結構人が来ていた。みことばの交読が旧約と詩篇の中からあり、皆の声が耳に心地よく響いてくる。慣れないため、なかなかみことばは聞き取れなかったがその声のハーモニーと響きだけでも心を落着かせてくれる。メッセージはほんの10分くらいだったが良くまとめられていて、これから始まる一日の生活への適用もしやすかった。

朝食後は泊まっていたSILのゲストハウスと同じ敷地内にあるオフィスを見学し、アライアンス神学校を訪ねた。アナ・ガメスさんという素敵な女性に会い、お話を聞いた。彼女は日系の会社で働いていて1989年から静岡県で働き始めた。そこで教会に行ったが、驚いたことにその教会のほとんどは外国人で数人しか日本人はいなかった。それを見てから、彼女は日本のために祈りだした。フィリピンに帰ってきてからも日本のためにとりなすことを人々に呼びかけ、日本のために祈る会を促進する働きをしている。今ではフィリピンの34の大きな都市で日本のための定期的な祈り会が持たれている。アナさんの案内で"Back to the Bible" というラジオ伝道団体のオフィスを訪ねた。センターに戻って、夕食後はプール際で夜のミーティングを持った。

3月21日金4日目

朝6時頃、ジョンさんがバンを運転して私たちをバタンガス市まで送ってくれた。結構長いドライブだと思ったが、実際は3時間くらい。途中ずっと不法滞在中の人たちのボロボロ家屋が線路沿いに建っているのを見た。ひどい環境だと思う。こんな所で育つ子供たちは学校へ行ったりキチンと食べたりできているのだろうか?貧富の差が激しいことは知っていたが、その現実はかなり深刻そうだ。

バタンガス市のBCBC教会(ABCCOP)についたのは9:30頃だろうか?教会のスタッフのノノンさんからこれから行くグループの事について話を聞いた。彼らは海洋民族というか、Seagypsiesでインドネシアからミンダナオに流れ住み、そこからまた南ルソンのバタンガスに来たそう。争いを好まず、漁場争いが起きるとすぐ逃げて移り住むので、社会的にも低く見られ、差別を受けている。特に学校では、子どもが自分たちの言葉しかできず勉強に遅れて足手まといになるため子どもを受け入れないらしい。アミニズムが盛んな地域なので、宣教の働きは包括的アプローチを取り、教育補助や大人のための識字教育を通してゆっくりと信頼を得て地域に入りつつある。

1997年からこの宣教の働きが始まっているが、今年、初めて7人の受洗者が与えられるそうだ。集落まで教会の車でエドワード牧師に送ってもらった。村に着くと、聞いていたように確かに汚い。海岸に竹や木で高床式の住宅を建てている。その間をしなる竹の橋のような渡り道が通っている。集落に着いたのは1時頃なのに、その頃にはすっかり疲れてしまっていた。紙風船、バレーボール、水風船(ただし水無し)、折り紙、子供好きなメンバーは色々な遊びを通して子供と仲良くなっていった。

午後、エドワードさんのすばらしい証を聞いた後、夕方から子供たちの家を訪問してその家族のためにお祈りする奉仕をさせていただいた。 私は青いシャツを着ていた男の子の家を訪ねた。彼の家はとても小さく、家具は何もなかった。 大体8畳くらいの正方形の床の上に薄い布が敷かれているだけ。台所用品が少しだけ調理台らしき所にあり、窓にはガラスでなくて布が掛けられている。少年は照れくさそうに床の端に座っていた。

彼の父親と何人かの家族らしい人が集まってきた。しばらくしてお祈りしてもいいですか、と聞き、日本語でその家族の祝福のために祈らせてもらった。 そしてその家をあとにした。少年は家を離れるとまた元気になっていった。あの家を私たちに見せるのが恥ずかしかったのだろうか。つらい。彼の家を訪ねたいと思ったのは、昼間子供たちがセンターに遊びに来た時にみんなは折り紙をしていたが、彼だけは聖書物語の絵を食い入るように眺めていたからだった。そんな彼に気がついた時、彼の言葉で一つ一つの場面のお話をしてあげられたら、と強く思った。神様に興味があるんだろう。神様のことを知って、イエス様を早く受け入れられるといいな。

エドワードさんが夕食の準備をしていてくれた。夕食の時エドワードさんが私たちの今日の感想を聞きたいといったので、感想会になった。途中から彼のリードのもと、差別のことやここの人たちの貧困と被差別の現状からの脱出についての討論になった。真っ暗な中懐中電灯の明かりで賛美をして、就寝準備。女子が教室の方で草のマットの上で寝た。男子は集会室で寝た。しかし、眠れなかった。夜中蚊の襲撃・猛攻撃にあい、かゆみともっと刺されるかもという緊張でほとんど眠ることができなかった。

次の日の体調が不安になるので少しでも眠らせてくださいと祈りつつ横になっていた私だが、眠れない中でとても良い経験をした。村の人たちがだいぶ遅くなるまでにぎやかで、遠くからは音楽も聞こえてきた。 しばらくすると、とてもゆっくりとした心の休まる音楽が聞こえはじめ、一人の人が祈っているのが聞こえた。英語のようで少し違う。エドワードさんが祈っているのだろうと思った。何を祈っているのかわからなかったが、その祈り方や声が寝付けなかった私を安心させてくれた。耳だけでなく、心に心地よい、平安をもたらしてくれる祈りだった。祈りはしばらく続き、平安のうちに寝付きたいと思ったが、まだ眠れぬまま祈りも音楽もやんだ。 今日は眠れない。その現実を受け入れつつ、神様は私の体調も知っているはずだし、私に睡眠が必要なら必要な分だけ与えられるはず、と信じた。

3月22日 土 5日目

朝食の準備は村のクリスチャンの女性たちがしてくれていた。感謝。朝食後、ここで子どものセルグループに参加させてもらった。 30人くらいの様々な年齢の子供たちが集まってきて、エドワードさんの周りに座り、一緒に賛美をした。 それから、エドワードさんが聖書物語の絵を用いて、創世記の天地創造から始め、旧約聖書のお話を通して神様の救いのご計画をわかりやすくお話していた。お話の後は、帰る準備。 帰りにアテ・ミンダのお母さんの家でお昼をごちそうになった。

BCBC教会に戻り、宣教団のキャンプ場見学を兼ねてビーチへ出発。教会の青年、サムエルとゾイロが一緒に来てくれた。2人はとても感じの良い熱心なクリスチャンで、車内で良い交わりを持つことが出来た 個人的には、ゾイロの証を聞くことが出来たことで、信仰の目が更に神様に向けられた気がする。"だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。" マタイ6:32 このみ言葉の通りに生きている人だった。45分で着くと言われていたのに、いっこうに着かない。とうとうビーチに着いたときは、すでに夕方。みんなでボートに乗って海岸沿いを快走! きれいな夕日を見ることができた。この時が私にとってこの旅行で2番目に大切な瞬間だったと思う。ゾイロの証を聞いたときから個人的に祈りたかった私は、夕日に輝く雲を見ながら神様と会話をした。夢もある、やりたいこともある、でも、何よりも神様、あなたと共に歩みたい。これからの人生、夢、進路のすべてを神様にお献げするのはすごい決心。まだ、「します」ではなく、「したい」としか祈れないけど、導き続けてください、と祈ることが出来た。

暗くなる頃、ルツコさん一家が到着。彼女の献身、結婚、現在の働きの証を聞くことが出来た。特に、どのようにフィリピンでの働きに導かれたかという質問への答えが印象的。 "始めは、自分の専攻や仕事経験に関係ある働きに召してくださいと祈っていたが、祈っていく中で、いつしか全てを投げ出して、「神様、どんな仕事でもいいので私を使ってください」と委ねることが出来た。 その時、すぐにこのフィリピン宣教への道が開かれた。今は、ただ神様のみこころを求め、みことばを宣べ伝える。おかれる場所、立場、働きは変わるかもしれないけど、神様に従っていく時、みこころの中でみこころの働きをさせてもらえる。"信じる、委ねる、また信じる、導かれる、従う。これだ!

夜はそれぞれのホームステイ先に送ってもらい、私とマコはセザーさんの家へ。ご夫妻と夕食を取り、洗濯、シャワーをして寝た。さすがに熟睡。蚊はいなかった。

3月23日 日 6日目

日曜日はみんなと一緒に礼拝へ。アナさんが日本のためのとりなしの祈り会のことを紹介し、私たちは日本語で"真理の道""この日は主が作られた"を手話付きで賛美した。メッセージは福田先生。 旅でつらいことは、出会った友達と別れなければならないこと。昼食後、教会を離れる時は涙が出た。でも、私たちがみんな神様のみこころの真ん中を歩き続けるなら、きっとみんなにまた会える。そう信じたい。

アナさんと一緒に長距離バスでタナワンへ向かう。私たちがタナワン教会に着くとすぐ、子どものクワイヤーがきて挨拶を教えてくれたり、賛美をしてくれた。私たちも一緒に歌った。その後青年会のみんなと一緒にワーシップと礼拝の時を持った。賛美で"Have yourway in me" という歌詞が心に響いた。 私の人生の中に、神様、あなたの道をつくってください、そう祈った。賛美の後は、宣教チャレンジがあったと思う。というのは、私には献身のチャレンジに聞こえていたが、他の人はそうでなかったと言うからだ。私にとっては、そのチャレンジに応えて立ち上がることは、昨日の私の祈りを 「したい」から「します」と変えることを意味していた。一瞬、立ち上がれなかった。事の重大さに足が竦む。イエス様のために命を献げる決心?? 立ち上がることが出来たのは、昨日の祈りにまで私を導き、私を少しずつ整えてくださっていた神様のおかげだった。 私にとって、この旅で一番大切な時だったと思う。 決心と表明。集会が終わってすぐ、ヒロリンとちーちゃんに祈ってもらった。

おいしいおやつをいただき、夕食までタナワン市見学。散歩のハイライトは、Buko、椰子の実ジュースとその中の柔らかいゼリー! わざわざ私たちのために樹に登り椰子をいっぱい取って、大きなナイフで割ってくれた。夕食のテーブルでは、本当に笑いすぎで苦しかった。こんなに楽しい夕食は久しぶり。夜は疲れて水のシャワーの後はすぐ寝た。

3月24日 月 7日目

朝6時に朝食、6時45分にはマニラに向けて出発。イラク戦争の影響で公共の交通機関を使えないため、SILのチャーターしてくれた大型のバンでタナワンから一気にバガバグへ向かう。長距離バスで行くよりは随分楽になった。道中、福田先生が第2次世界大戦中の日本軍のこと、戦闘の経緯を話してくれた。この辺りは激戦地区だったので、福田先生が「この辺りに日本の防衛線があった」とか、「ここで何千人の若者が死んでいった。」と解説してくれた。彼らの故郷を思う気持ちはどれほどだったのか。でも彼らのしていたこと、させられていたことは決して正しいことではなかった現実にも目を向けなくてはならない。バガバグセンターに着いてすぐ、待望の洗濯をした。センター内には40件ほどの宣教師たちの家があり、翻訳宣教師たちがセンターで作業する時にここで生活しているらしい。飛行機やヘリコプターなどもあり、かなり大きなセンターだと思う。夜のミーティングは、みんな疲れている様子。

3月25日火8日目

今朝は7時に朝食。ゆっくりと外で花に囲まれてディボーションができた。今日はヘリコプターでバランガオの村に入る。眼下に山々、曲がりくねって流れる川、家、教会、谷、棚田が過ぎて行く。何にも無い山岳地帯が続く。宣教師たちは福音のためだけに、こんな山脈を越えて山奥に入って行くのかと思い、感動した。

飛ぶこと30分、一番高い山を越えるとすぐにバランガオの滑走路。バランガオの村の人々が私たちをヘリポートで迎えてくれた。少し歩いてブタック集落の集会所のような家でお昼をご馳走になる。村の子供たちが、恥ずかしさと好奇心とが混ざった様子で、私たちの方を伺っている。風通しのいいその家で、福田先生が住んでいたカダクランからわざわざ私たちに(先生にかも?)会いに来てくれたロディータとルースの証しを聞いた。

午後、小学校を訪ねた。1、2、5、6年生の教室を見学させてもらった。6年生の教室では、日本についてのミニレクチャーをした。5年生の教室では、日本語で賛美を歌い、子供たちと一緒にフィリピンの国歌を歌った。学校のうらへ下りて行ってすぐの家でコーヒーをご馳走になった。いったん泊ることになっている家に戻り、私は水のシャワーを浴びた。夕食に招かれて行くときに、ヒロの懐中電灯が見つからなくて大分探した。かばんを引っ掻き回し、中身を出して探したが見つからない。ふと、祈ろうと思い、祈った。旅立つ前の決心を思い出し、祈る前に諦めることも、諦めつつ祈ることもしたくない、と思って、信じて祈った。そして外に出た。ヒロが外に出ようとした時、懐中電灯が床の上にあったのをみつけた。有り得ない所にあった!神様は、祈りに応えて不思議な御業をなしてくださる。私たちには、この懐中電灯は神様が特別に備えた物としか思えなかった。ハレルヤ!感謝します。

夕食後、広場で教会のメンバーが中心となって歓迎会をしてくれた。私たちは自己紹介をし、なぜここへ来たのかも証しした。夜は、村の人たちが何日もかけて洗ったり干したりして用意してくれた毛布や敷物を使って寝た。私は腰が痛んでいたのでベッドを使わせてもらった。出発前あれだけ心配していた腰痛もここまで守られた。明日も癒され、支えられると信じます。

3月26日水9日目

腰が良くなっていた。感謝。神様は誠実な方。エフレン牧師の家で朝食をご馳走になる。朝食後、学校に行く途中にあるブタックコミュニティー教会を見学した。長方形の木造の教会内には教会員お手製の木のベンチが何列も並べられていた。部屋の中をぐるっと1周しているカラーの絵図が目に入った。良く見てみると、創世記から黙示禄までの聖書に記されている歴史をわかりやすく絵と図で説明してある物だった。エフレン牧師によると、約20年前に聖書翻訳者のジョー・シェトラーさんが作ってくれたものだと言う。この絵図は20年間もこの教会の成長を助けてきたのだろうと思うと、思わず写真を撮ってしまった。バランガオ語の旧約聖書はまだできていない。旧約聖書時代の事を良く理解する事ができるように、読み書きのまだできない人も聖書の話がわかるようにとこの絵図は作られたのだろう。教会をあとに、学校へ向かう。

校長先生が全校生徒を整列させ、フィリピンの国歌と国への忠誠を唱和させてくれた。複雑な思いで見詰めていた。1・2、3・4、5・6年生に分かれてもらい、それぞれの教室で日本語、日本のゲーム、日本の賛美を教えた。私は日本の賛美を教えるチームになり、"海と空造られた主は"と言う賛美を手話付で教えた。子供たちはみんな恥ずかしがりながらも熱心に歌を覚え、手話も嬉しそうに覚えてくれた。特に、1・2年生が"イエスは主ハレルヤ"と言う繰り返しの所を耳が張り裂けるくらいの元気いっぱいの大声で歌っているのを聞いて、本当に嬉しくなった。言葉の壁を越えて日本人の私たちとフィリピンの子供たちで同じ賛美を同じ主に捧げることができる。これは、天国の祝福の先取りをさせてもらったな、と感謝。お昼には、宿泊所に戻ってドミンさんのお話を聞いた。ドミンさんは14歳の時、ジョー・シェトラーさんに出会い、彼女にバランガオの言葉を教えたり聖書翻訳を手伝ったりしていくうちに聖書を通して救われ、今は奥さんと一緒にバランガオの旧約聖書翻訳を進めている。彼のユニークな献身の証しを聞けたことも良かったが、何よりも、彼らの献身の態度に感動した。主に仕える、すべてを明け渡して生きるとはこういうことか、と思わされた。

ある学校の先生にあるメンバーがそっくりだったことから、今晩は豚の料理でもてなされることになった。3時ごろから豚を絞めるところを見せてもらった。怖かったが、洗練されたその技術に目が釘付けになってしまった。村の人は、生きる知恵の宝庫だ。それから、神様の美感覚は超一流だということも再確認した。

豚の解体を見学してからすぐに、福田先生がカダクランでおせわになった方に会いに行った。山を登ること1時間弱、息が切れて本当に辛かったが、景色はきれいな棚田が続き、登ったかいがあると実感させられるほどの絶景。ナトーニンの町を通り辿り着いた家ではお目当ての夫妻には会うことができなかったが、娘さんにライスコーヒーとお菓子をご馳走になって一息つけた。帰りの下りは登りより遥かに楽で、あっという間に戻ってこられた。

暗くなりかけている中、急いでカレーと白玉団子を作らせてもらった。待っていた夕食は、とってもおいしい豚の脂肪とニラと豚のスープ。そのあと、皆がまた歓迎会を開いてくれた。ゴングが遠くから心地よい音色を響かせている。私は、あんなに耳に優しく響く音色を聞いたことが無い。明け方4時ごろ、福田先生に起してもらい星を見ることができた。きれいだった。

3月27日木10日目

今朝は、ロヴェリンさんの家でおいしい朝食をご馳走になった。荷作りをして、村の女性たちに、さよならをする時は泣けてしまった。子供たちが、田んぼの向こうの道で大きな声で海と空造られた主は、と賛美しているのを聞いて泣けてきた。村の男の人たちに荷物を担いでもらってヘリポートまで歩いた。子供たちが追いかけてくるのが、嬉しいようで辛かった。ヘリポートに着いてみると、何と、学校へ向かったはずの子供たちが先回りして私たちを迎えてくれた。驚きよりも喜びが勝る。順番を待つ間、子供たちに賛美を習ったり、大人からバランガオの言葉で神様と言う言葉を習ったりした。ビンディシューナンチァアンアップルディオス!神様の祝福があるように!そう挨拶して村を後にした。

ヘリがバガバグセンターに着いた。虎川先生や福田先生と、第一便の皆が待っていてくれた。一足先にマニラに戻る福田先生を見送り、一休みした。午後は虎川先生にバガバグセンターを案内していただき、ゲリ−さんの誕生会に特別参加させていただいた。温かく飛び入りの私たちを迎えてくださったゲリーさんに感謝。彼が私たちに神の国とその義とをまず第一に求めなさいと言う所から励ましのメッセージを下さった。イエス様を第一にし続ける時、必ず主は私たちに道を示し、導いて下さる、と。夕食後は皆の証し会を持てた。皆それぞれに神様のお取り扱いを受けてきて、また今も導かれているんだなぁという実感と共に、皆を大切に思う気持ちがさらに深まる。疲れていたが、そのまま話し続け、遅くに寝付く。

3月28日金11日目

今日はゆっくりめの朝ご飯を7時にいただき、8時に近くのソラノの町までジプニーで行った。キリスト教書店にまた行き、その後マーケット、などをまわった。センターに帰ってから昼寝をして、夕方は虎川先生と有志で、バガバグセンターの子供たちが公立の小学校でする劇を見学に行った。宣教師の子供たちのこれからのことを考えさせられた。夕食後は、虎川先生のお話を聞いた。神様のお働きに私たちが関わらせていただいている、と言う観点が、私に新しい事を教えてくれた。どこであろうと、神様に遣わされた所で許されている期間働く、それで良いんだと思わされる。そう思えるようになるのは、きっと楽ではないのだ、とも思わされる。

3月29日土12日目

今日は、初めての寝坊。6時10分に起床。焦る。7時にはセンターから車でバス乗り場まで送ってもらってマニラ行きの長距離バスに乗り込む。朝のうちは皆寝たり起きたりうとうとしながらの旅だった。トイレ休憩は少なくて短いと散々福田先生に脅されていたが、思っていたよりもちょくちょくトイレ休憩があり、助かった。見覚えのある大きな道路に出ると、マニラだった。クバオ(Qubao)に着くと、福田先生が私たちを待っていてくれた。何だかなつかしい先生の笑顔に心なしか安心する。センターまでタクシーで戻って、少し休んでから夕食だった。もう一つの日本人のミッショントリップが日本長老教団から来ていた。夕食後は、彼らも一緒に高田先生ご夫妻と島崎先生ご夫妻のお話を聞いた。

3月30日日13日目

朝食後、グリーンヒルズクリスチャン教会で礼拝をした。この教会には多くのブランチ教会があって、教会同士の連携も良さそうで、すごいと思った。この教会自体にも、数千人の会員が集い、教会内の包括的ミニストリーの充実している様子にも驚かされた。弟子訓練、テーマ別の学び会、各種の専門的セミナー、あらゆるミニストリーチャンス、お料理クラスまで、それぞれ専任のリーダーがいて仕えている。こういう風にバランス良く教会が成長できるといいと思う。

礼拝後、主任牧師先生にお祈りをしていただき、教会を後にした。福田先生にスターバックスコーヒーをご馳走していただき、少し歩いてもう一つの大きな教会を見学した。昼食後は昼寝をしてから、私は外でこの旅の恵みを振り返る時間を取った。旅で出会った兄弟姉妹にまた会いたいという思い、アメリカや日本の若者にもっと宣教の事を知って欲しいと言う気持ち、将来こういう短期宣教旅行のリードをしたいという思い、いろいろな漠然とした思いをそのまま神様に伝え、委ねて祈った。委ねたものは、私の夢、将来、人生、いろいろな願いや思い、重荷も。この旅で何度も神様に語られた事は、みこころの真ん中を歩むという事、神様を本気で信頼する事。その事を考えながら祈っていた。

聖書翻訳自体には、私の直接的な重荷はないと思う。私の心の重荷は、まだ神様のことを知らない人たちに福音を宣べ伝えることにあると思う。しかし、この旅を通して、その宣教の働きにはいろいろな段階があり、いろいろな具体的な働きがあることが分かった。聖書を人々の母国語で読めるようにすること、識字教育をすること、教会のリーダーを育てること、伝道集会をすること、祈ること、それから個人伝導することなどなど。私に何ができるか分からないが、私もこの宣教の大きな働きのなにかに関わっていきたいし、私以外の多くの若者にも、この宣教の重荷を持って祈ったり、捧げたり、遣わされたりしていって欲しいと思った。 夜はカンファレンスルームで最後のミーティングを持った。皆それぞれの恵みを少しづつ分かち合った。ひろりんも、献身の証しと、ネパール宣教旅行の証しをしてくれた。

3月31日月14日目

今日はこの旅行最後の日。6時に起床、7時に朝食を取り、荷作りをしてから少し昼寝をして、9時にフィリピンSILの50周年記念切手とマグカップを買いにオフィスを訪ねた。バランガオの村の人たちが私たちへのおみやげとして持たせてくれたお米を分けてもらった。PNGに向かう、ひろりんにお別れをした。同じ神様に仕えていくなら、きっとまたどこかですぐ会えるさ、と自分の心を明るい方に向かせて、さよならをした。出国審査を終わらせてからベンチでお昼ご飯を食べ、無事搭乗。成田につくと、意外にも両親が迎えに来ていてくれた。疲れていたので、本当に感謝だった。どたばたと最後の挨拶をして帰路についた。

帰国後旅を振り返ってみて

帰って来てしばらくは旅の余韻に浸るだけだったが、最近になってこの旅を通して神様が私に語って下さったことや教えてくださったことが本当に私の生活を変え始めてきていることに気が付かされた。

出発前、この旅に期待することとして3つの事を自分のノートに書きとめていた。旅行中は忙しくてそれらを思い返すこともなく過したが、帰って来て改めて考えると、神様はそれらのすべてに答えてくださっていた。

初めに、私はもっと良く宣教地のことやそこで必要とされている働きのことを知りたかった。神様はもっと具体的に私の知りたかったことに答えるために、一般の宣教師だけでなくて宣教師のためのカウンセリングをしているメンバーケアテイカーたちに会って話を聞くチャンスを下さった。その出会いによって私はすごく励まされたし、メンバーケアについての本ももらえたりと今後のためにも良い情報を集めることが出来た。

次に、私は福田先生をはじめ、宣教師の先生がたから、宣教師のあり方とかリーダーとしての大前提などを学びたいと思っていた。福田先生は私とは全然違うタイブのリーダーだったので、本当に多くのことを楽しく学ぶ事ができた。また、この旅で出会ったすべてのクリスチャンリーダーたちを通して共通して語られたことは、どこで何をどのようにするかという技術的なことではなくて、一番大切なことはいつも神様のみこころの真ん中を歩ませてもらうことだった。宣教師にもリーダーにも、大切なことは主と歩み、主に従い続けることなんだと、もう一度教えられた。

この2つのことは旅の中で神様から答えられていたが、3つ目はまだ答えが来ていなかった。それは、神様のご計画のうちでの家族とはなんなのかという私の問いへの答えだった。私も、クリスチャンホームで育ってはいたが、家族との関係で大分悩んできたので、神様は"家族"という組織をどのようなお考えのうちで作られたのか、など、考えることは多かった。今回は、大学卒業後久しぶりに家族と一緒に生活し始めた中での疑問を、この旅をきっかけに神様にぶつけてみたのだった。

帰国して1週間たって、このことの答えをまだもらっていない事について祈ってみた。 すると、その次の日のディボーションで読んだ創世記16章から神様は語って下さった。いじめるサライのもとから逃げ出した女奴隷ハガルのところから、神様は私に「あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」と尋ねて下さった。私は、突き詰めれば私の人生は神様によって始められ、神様に向かって進んでいるのだと考えて読み進んだ。すると、神様はいじめられて逃げ出したハガルに向かって、「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」と、語られた。私は、思わず「なんで???」と反抗してしまいそうになった。辛くて逃げ出した所へ帰れというのだろうか?その状況はなにも変わらないのに?私には理不尽に思えてしばらく考えているうちに、ハッとした。神様は、すべてを知っていて、ハガルにも私にも、一番良いご計画を持っていてくださる方だった。その神様がすべてを知った上でその状況に私を置かれているのだ。たとえそこに辛く思えることや痛みを伴う罪の結果があったとしても、その状況に私を置くことをその時の最善として行っておられる全知全能の神様は変わらない神様だった。

どんな状況であっても、それは神様の御手の中で起こっている。 そこに私を置き、私と共に居られる神様を信頼することはできる。それが私への神様からのお答えだった。私の家族は、すべてを知っておられる神様が特別に用意して私に一番良い場所として選び、私を置かれておられるところなのだ。そして、これはどんな状況にも共通する法則だと思った。状況は悪くもなるし、つらいことはこれからもいっぱい起こる。なぜかは、わからないことの方が多い。 しかし、どんな状況に置かれようとも、すべてのなかで最善の所に私を置かれる神様は変わらずに居られ、その神様の善を私は信頼することができる。たとえ私には説明できないような理不尽な時でも、神様を見上げることができる。何というすばらしい開放感だろう。初めて分かった気がした。このことが、私の家族との関わり方を大きく変え始めている。神様はハガルに語った言葉を通して、私も神様に置かれている所でへりくだって生きなさいと励ましてくださったのだ。

その外に、私がこの旅の目標にしていたことは、この旅の間、決して諦めつつ祈ることをしないということだった。自分で勝手に人間的常識にのっとって考え、祈りながらも内心あきらめていることがあった。しかし、この旅では神様がそんな私に挑戦してくださって、私の不信仰を示してくださった。帰国後も、気を付けてはいても、時々その傾向が現われる。特に、大学院進学を決めることのなかで、そのことがわたしの足を引っ張っていた。しかし、時間を取って真剣に神様の前に自分を探り祈っていくうちに、巧妙に隠されていた私の弱い心と不信仰があらわにされていった。心細くて気づきたくなかった私の本当の心、不安でいっぱいだった。しかし、「主よ。もし、あなたでしたら、私に水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」との祈りに、「来なさい。」と答え、そこへ辿り着く力も備えて下さるイエス様は、今回も尻込みする私の背中を押し出しながら、「私に100%信頼しなさい。」と言って下さった。進路については、現在も祈りつつ模索中だが、このことで、神様に本気で信頼して行く方針はハッキリした。後戻りはできないが、ここまで導き、誠実をもって応えてくださり続けた神様を信頼して歩んで行きたいと思っている。

今回の旅行の個人的テーマ聖句は次の二つだった。

(1)マタイ14:28−33

この個所を通して、私の隠されていた不信仰が明らかにされ、神様との一層真剣な関係が持てるようになってきた。それどころか、私が主のみもとへ歩んで行くのは、皆がそれを見て、「確かにあなたは神の子です。」と言って、主イエス・キリストをあがめるためだったのだ。フィリピンに来て良かった。このことを通して、主の御名があがめられますように。

(2) イザヤ61:1−3

旅の中頃、イザヤのこの個所を読んだ。心に語るものがあり、それから毎朝、通常のディボーションの他に読み返すようになった。この聖句が私のこれからの歩みに深く関わり、私の足元の道しるべとなると思う。主よ、みこころなら、この者をあなたの福音を宣べ伝える働きのためにお使い下さいと、祈らずにはいられない。すべての者が主の前にひざをかがめ、すべての口が「イエス・キリストは主である」と告白するために、(ピリピ2:10−11)その栄光の時のために、神様に生かされ、遣わされて行きたい。

イラク戦争の開始にもかかわらず、この旅のすべてを守り、祝福してくださった神様を心から賛美します。感謝します。

最後になりましたが、わたしたちの宣教旅行を覚えて祈りをもって支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。神様の豊かな祝福が皆様の上にありますように。