フィリピン宣教地体験旅行
私にとってフィリピンが遠い遠い国だったのと同じように、宣教も身近なものとは言えませんでした。教会で宣教師の先生たちから送られてくるニュースレターを手にしても、宣教地体験旅行に参加した人たちの旅行記を読んでも、私にとってそれらは自分とはほぼ無関係といっても過言ではないほど関心のあるものではありませんでした。少し宣教というものに興味をもち始めたのは、昨年前橋キリスト教会で開かれた「世界宣教大会」です。自分の所属する教会ということもあり、宣教地旅行に参加したことのある兄弟姉妹がその準備をしている姿を見ていました。当日はこどもの世話を担当することになったのでどのような内容だったのか詳しく知ることはできなかったのですが、宣教が身近でないからそのはたらきを知らなくていいというのは間違っていると思うようになりました。ちょっと興味をもち始めた頃このフィリピン宣教地体験旅行のことを知り、行きたい!と思うようになりました。"この旅行は観光じゃないからね"という忠告も受け、宣教のはたらきを知るという目的でいざフィリピンへ旅立ったのでした。そして実際に宣教地に行きどのようなはたらきがなされているかを知ることで、宣教というものが何なのか、なぜ必要なのかを考えることができました。また、フィリピンのクリスチャン人口の多さに感動し、その熱さに励まされ、日本に帰ってきてからどのようにクリスチャンとして歩んでいったらいいのかを教えられました。
今回は、聖書の完成が間近ということもあって例年と異なり、実際に日本人の宣教師が聖書翻訳されている村へは行くことができませんでした(そのかわりすでに村の人にプロジェクトが引き継がれているバランガオという村に行くことができました)。しかし、マニラのSILゲストハウスで山見先生と、バガバグセンターで虎川先生とお会いし、証をお聞きすることができました。聖書翻訳しながら伝道するということがどんなに危険を伴うことなのか、さまざまな訓練を経て宣教師として山岳地帯に入り、言葉もわからない中で生活を始める大変さ、強盗に銃を突きつけられた経験があるetc私には想像できない世界でした。そんなに自分を犠牲にしなくても・・・日本に帰ってくればある程度の生活の保証はあるし、家族もいる。どうしてそこまでして宣教することが大切なのかまだ私にはわかりませんでした。日本に帰りたくはないのですか??この質問に対して、村の人が大好きだし今の生活に満足しているという答えが返ってきました。村の人を愛するということの中に本当に神様のことを知って救われてほしいという気持ちがこめられていたように思います。
なぜ自分は周りの人に神様のことを伝えるのか、神様を受け入れてほしいと思うのか。それは神様からの命令だからというだけではなく、だれかからごほうびがもらえるとかお金集めのためではなく、ただただ大切な人に永遠の命を手に入れてほしい、自分に与えられている神様からのあふれるばかりの愛をみんなにも知ってほしいという気持ちからなのだということに気づきました。
友達に神様の話をするとたいてい、あなたの神様への信仰はわかるけど私には関係ないという反応が返ってきます。その度にどうしてわかってくれないの??と悲しくなり、もどかしい気持ちになります。とくに宣教地旅行から戻ってきた私は日本に遣わされている宣教師なのだという気持ちが強くなりすぎて、自分が伝えなくちゃ、みんなに神様のことを知ってもらわなければ・・・と意気込んできました。そして相手の反応の鈍さに自分の力が足りないのだと落ち込んでいました。しかし、私たちが目に見えない神様を信じることができたのは自分のちからではなくて聖霊のはたらきなのだということを思うときに、私たちは周りの人に神様のことを伝えることはできても、信仰をもたせることはできないということを思い知らされます。宣教師のはたらきが何ものにも邪魔されないように祈るとともに、神様が福音を聞く一人一人の心を開いてくださるように祈ることが大切なのであると教えられました。
聖書翻訳のはたらきを間近で見ながら、日本にすでに聖書があるということに感謝するとともに、もっともっと聖書を知りたいと思うようになりました。村の人が母国語の聖書を読んで初めて聖書が何を言っているのかを理解できたと言うのと同じように、小さい頃から手にしていた聖書が神のことばなのだと初めて実感することができたのです。これは大きな収穫でした。
この旅行で受けた恵みは数え切れないほどたくさんあります。神様のために自分を捧げたい、でも今はおかれた場所で御心を求めていきたいという兄弟姉妹と一緒に二週間を過ごす中で同じ恵みを分かち祈り合えたこと、神様に喜んで仕えている方々の姿に励まされたことetc本当に感謝です。
また、バランガオ村の子ども達が手話つきで教えた歌(海と空つくられた主は)を私たちが村を去る日の朝祈っているときに、大きな声で並んで歌ってくれていたのがとてもとてもとても嬉しかったです。マニラ近郊の村でもバランガオでもたくさんの子ども達に出会えたことが本当に感謝でした。これからの歩みがどのように導かれるかわかりませんが、期待していきたいと思っています。"われらの目指すみちはまことのいのちのみち" ハレルヤ!
