ドキュメント

フィリピン宣教地体験記、松浦佳代 (堺福音教会・東京チャペル)

この体験記は2000年に行われたフィリピン宣教地体験旅行の記録です。 オリジナルは、 堺福音教会・東京チャペルのWEBサイトに掲載されています。 本ドキュメントの転載、利用にあたっては著作権者の承諾が必要になります。

準備そして出発

2月26日(土曜日 準備会:F先生宅にて

旅行の諸注意を聞き、F先生から航空券や、旅行のしおりを手渡される。なんだ、このしおりのスケジュールは!!すでに出国前3日から帰国後1日までのスケジュールの骨格がすでに書かれているではないか。チケットの手配や、しおり、ソングブックの作成などの準備を全てきっちりこなしてくださったF先生と事務局のNさんの労に感謝するとともに、ここまで綿密なプランを事前に立てている手際の良さに感嘆する。

なみさんをはじめすでにフィリピンに行った人達の話を聞き、ヒロシ君とともに期待に胸を膨らませるとともに、不便な環境に備え対策を立てる。

ちょうどF先生宅に滞在中のアジアSILのディレクターMr. オールソンや、F先生夫人、集まった方々と楽しい交わりの時。

2月27日(日曜日)

東京チャペルにて礼拝。そのなかでヒロシ君と共に皆さんに祈ってもらう。幾人かの兄弟姉妹に祈りのスペシャルサポートをお願いし、いざ出発!!!

3月1日(水曜日)

7:30成田空港にて今回のメンバー4人全員が顔を合わせる。ミチさんは全員と初対面で緊張気味。フィリピン航空 PR‐431 9:30成田発 13:40マニラ着にて一路フィリピンへ。しかしこのフィリピン航空、有力なスポンサーが手を引こうと考えており、危機的な経営状態であるらしい。「帰る前に会社がつぶれて飛行機が無くなるなんてことがないように、みんなに祈ってもらったほうが良かったね。」とF先生。そんなの聞いてないよ――!

機内は子連れのフィリピンの女性が多い。子供には日本語で話しかけながら、自分の実家に里帰りだろうか? 

関連画像 フィリピン空港、1999年の10月にできたフィリピン航空専用の新しいターミナルは、ジャカルタやクアラルンプールの空港をイメージしていた私の予想を裏切り、関西国際空港を連想させる現代的なきれいな建物だった。

タクシーにて空港からSILのマニラセンターへ移動。交通量が多く、町は非常に埃っぽい。車の運転はかなり荒く、運転のコツは「前だけ見てひたすらつっこむこと」らしい。

少し高級な住宅街の一角にあるセンターに到着。ホッとして感謝の祈りをささげ、シャワーを浴び(お湯が出る!!!)、ひといきつく。

関連画像 SILマニラセンターの見学。郵便局、無線室、印刷出版関係のオフィスなどなど(OA機器は日本製も多い!)。図書館での祈り会(私達のことも祈られていた^^)に参加する。

F先生は久しぶりに会う人たちと楽しそうに話している…と、7日にヘリコプターで私達を山に運んでくれる予定のパイロットが病気の治療のためにマニラにきていることが判明する。美しい山岳地方の景色を見ながらヘリコプターで25分ひとっ飛びの予定が、陸路でジープに揺られて10時間の旅に変更になるかもしれないという。「主よ!!!」

アジア・フィールド・トレーニング中に病気になったメンバーの子供を病院に連れてきたユウコさんもマニラにいるらしい。フィールドでは様々な事件がある…。

夕食後にミーティング、そしてマグノリア(アイスクリーム屋)へ向う。南国風のくりぬいたパイナップルや椰子の実に詰まったアイスクリームや、様々な可愛いパフェがメニューに並んでいる。ミチさんと私が「ボリュームのある夕食が災いして小さなコーンしか食べられなくて残念だね。」と話すかたわらで、山盛りのアイスクリームの塊をさっさと食べ終えたF先生の姿を目撃し、感嘆する。

ミチさんとともに祈り、ふかふかのベッドで寝る。

いよいよ現地へ

3月2日(木曜日)

さわやかな目覚め。小鳥がさえずっている。ヒロシ君とF先生は近くのカトリック教会のミサに顔を出したらしい。ヒロシ君はミサが印象的だったらしく、色々と説明してくれる。

関連画像 朝食もアメリカンスタイル。若干胃にもたれる。SILフィリピン支部の働き人達はアメリカ人を初めとする欧米人だが、食堂、洗濯、掃除、外回りで働いているのはバプテスト教会のフィリピン人のクリスチャン達で、気さくに話しかけてくれる。

今日はマニラの市内見学。まずはジプニー(ジープを改造した乗合バス)で近くの市場へ。野菜、魚、肉などの食料品、あるいは日用雑貨品が売られている。見たことの無い果物が沢山あり、店の人に「これ、何?」と聞くと、タガログ語で教えてくれるが、分からない。けれど店の人も、客も親切でひとなつっこく、明るい雰囲気だった。どろどろの足元に気をつけつつ、道を知っているF先生の後をひたすら追う。

エアコンバスに乗って市内のSILアジアオフィスに向う。そこは南国風の落ち着いた良い雰囲気の事務所だった。飲み物とバナナケーキをいただきながらアジア地区の Wycliff、SILの説明を聞く。アジア人のメンバーもどんどん増えているらしい。

次第に強くなる日差しの中、ショッピングモールに到着し、両替を行う。(ここで実は後日、共産ゲリラによる爆破事件が起こったということで、驚きである。)お土産を買う日はもう今日しかないって言われたって、まだついて二日目だよ…フィリピン料理の昼食がおいしい。デパート、本屋、郵便局、キリスト教書店などをまわる。キリスト教書店でテープを売っていたJohn兄は、日本に留学していたそうで、日本語で話しかけてくれた。日本のために祈ってますって。

昼過ぎのフィリピンの日差しは痛いほど強く、サングラスと帽子が大活躍。それにしても大通りは排気ガスや塵が舞い上がり、空気が汚い。(F先生によるとここで暮らしていると鼻毛が早く伸びるらしい)その中でもフィリピーノたちは勢力的に活動している。

午後、昼下がりのセンターに到着。シャワーを浴びてゆっくりする。夕食後、ミーティングで今日の感想を話し合う。ミチさんとヒロシ君はエネルギッシュなマニラの人が印象的だったようだ。ヒロシ君はカトリック教会について色々きいている。私はやはり以前訪れたジャカルタと比べてしまうのだが、全体的に町の雰囲気が明るく、人々がひとなつっこく親切なのは、そして経済的にも比較的恵まれているのは、ここがキリスト教国であるからかな、と思った。

3月3日(金曜日)

今日はミチさんと私も5時に起きて、4人で散歩がてらミサに行く。教会には数十人の人が集まっていた。大きなヨーロッパ風の会堂はスペイン統治時代に建てられたそうだ。第二ヴァチカン公会議以降、タガログ語でなされるようになったミサの内容はほとんど意味がわからなかったが、御言葉を読み、祈り、主に思いを向ける良い時となった。

帰り道、すでに日も昇って今日も暑い1日になりそうな気配である。6時過ぎだというのに、車も、人も、小学生も沢山で通りはにぎわっていた。

関連画像 朝食後、タクシーにてバスセンターに向う。ちょうど用事でマニラに来ていたS先生が一緒に連れていってくれるらしい。バタンガス行きのエアコンバスに乗ってリパ市に向う。車窓の風景がメトロ・マニラのそれからのどかな田園風景に変わってゆく。リパ市でおいしい焼き鳥を食べ、再びリパからエアコンバスでクエンカへ。1時間足らずで先生宅の近くに到着。S先生と3人のお嬢さん、メグミ、シズカ、シノブちゃんが出迎えてくれる。

クエンカは青森県の恐山のように、霊媒や悪霊の働きの強いところだという。そこにあえてOMFがクエンカ聖書教会を開拓し、S夫妻が宣教師として遣わされているというわけだ。

しばらくしてからファミリーとともに、クエンカ聖書キリスト教会の牧師宅を訪問する。美しく広いお宅の2階はファニー夫人の経営するタガログ語の語学学校で、これからフィリピンで働く宣教師候補生達が数人学んでいた。「もっと生徒が来ても大丈夫なのよ。これからフィリピンで働くためにタガログ語が習いたい人がいたら、うちにいらっしゃいね。」とファニーさん。マニー牧師は週日は官庁の要職についているテントメイカーの働き人。ファニー夫人手製の豪華なおやつをいただきながら楽しい歓談の時。

再びS師の車にてS家へ。S先生ご夫妻はF先生と同じ教会から遣わされ、OMF International Philippinesで働いていらっしゃいます。

ミチさんはいつも抱き着いてくるシズカちゃんを始め、子供達が可愛くてたまらないようだ。たのしそうに面倒を見ている。ヒロシ君はケンジ君と将棋をしている。Sファミリーとのにぎやかな交わり。

夕食はS夫人とお手伝いさんの力作の手料理で、マニー、ファニー夫妻を招いての暖かい一時でした。宣教教会と同様にクエンカ聖書キリスト教会も新会堂を建築中で、限られた資金の中で少しずつ材料をそろえ、教会員が週の1日をささげあって1歩ずつ会堂を建てているようでした。全体の資金はそろっているわけではないのだけれど、祈って信仰によって1歩ずつ進んでいると話すマニー牧師の姿に親しみを覚えました。日本からも祈っています!!!

3月4日(土曜日)

関連画像 朝は早めに起きて、S夫妻が市場と美しい湖につれていってくださった。タール湖は大きな火山湖でとても美しかった。対岸は見えないが、有名な観光地だという。こちら側は湖岸に小さな集落があり、数艘の漁船が入り江で漁をしている。といってもこういう景色は突っ立っていて見えるのではなく、およそ千段あるという階段を下って湖に降りて行く過程で見えてくるのだ。林の中、コンクリートで固められて不ぞろいな階段を降りて行く。朝飯前の散歩にしてはこれはちときつい。と思いながら息を切らせて下りてゆくと、下の方からとってきた魚を売るために登ってくる村の人たちと出会う。S夫人が魚を買っている。今晩のおかずかな? 

湖岸につくと村の人たちが網にかかった魚を手でとっていた。小さな魚が沢山かかっている、おいしそうだ。年寄りと若者が一緒に働いており、家族皆で協力して働いている様子だ。日も高く上り始め、では上がりましょうと出発したのはいいが、やはりまもなく息がきれる。休みながらゆっくり上るのだが、限界である。後ろからF先生の「宣教師は一番目に信仰、二番目に知力、3番目に体力が必要だね。」という言葉を聞きつつ、「ここにきてなんだけど私には宣教師は無理かもしれない」と思い悩む。しかし神様の恵みと憐れみによって上の車に到着した。帰ってシャワーしないと汗だくだ。

関連画像 S家でおいしい朝食をいただき元気を回復する。再び車でクエンカ聖書キリスト教会にむかう。メンバーの男性達が今日も新会堂を建てている。みんな大工仕事はお手のものという感じだ。素敵な新会堂が建てあげられつつある。ちょうどお茶の時間で、フィリピンのお菓子をいただく。

少し歩いたところにある旧会堂では青年たちが明日の礼拝の賛美リードの練習をしていた。会堂の設備に対して、PA、ギター、ベース、ドラム、キーボードなどの楽器が充実していることに驚く。フィリピンではこれらの優先順位が高いのだそうだ。賛美者たちも技術的にも霊的にも良く整えられていた。曲のレパートリーも豊富である。

関連画像 私たちも特別賛美の練習をした後に、青年の兄弟姉妹と交わりながら車でバタンガス聖書教会にむかう。彼らは一生懸命私達にタガログ後を教えてくれるのだが、なんとか挨拶と丁寧な表現を覚えたところで教会に到着する。今から近辺のグループ教会の青年が集まって集会をするらしい。200人くらいのエネルギーがあふれる生き生きした青年たちが集まっていた。少し覗かせてもらったタンバリンの踊りはお見事!

関連画像 私たちは一路バタンガスの海岸に向う。ここにクリスチャンの研修、宿泊、レジャー施設があり、この時も青年達が修養会かなにかをしていた。椰子の木下で、海の風に吹かれながら、直美夫人の用意したフィリピンのお菓子をいただく。おいし〜い。

おいしいピザ屋さんで昼食をいただき、帰宅。午後からクエンカ聖書キリスト教会の祈り会に参加する。相変らずタガログ語のメッセージは全く分からないが、賛美と祈りの中に主の臨在と御霊の自由な働きが現された素敵な祈り会であった。言葉の壁の前に知性はなすすべが無くても、共に賛美し、異言で祈る中にあって、私たちの霊は異国の見知らぬ教会の兄弟姉妹への愛と一致を知ることができる。その深い恵を改めて教えられ、私自身主に心探られ、非常に恵まれた一時であった。

関連画像 この後、集っていた先生の開拓中の伝道所に出向いて祝福をお祈りした。牧師先生宅にお邪魔すると、山盛りのおやつを振舞われた。今日は食べてばかりの1日だが、(西カリマンタンで宣教されていたO先生の)「頼まれた説教と、出された食事は断らない」という言葉を思い出しながら感謝していただく。

そしてまたまた、教会員の方の経営する食堂にておいしいフィリピン料理の夕食をいただいたく。そこを手伝っていた二人の若い姉妹がたが、「私も主のために働きたいわ」と真直ぐな澄んだ目で語ってくださったのがとても印象的だった。

帰宅後、S夫妻も交えて沢山賛美し、祈り、床につく。

マニラからカダクランへ

3月5日(日曜日)

いよいよフィリピンに来て始めての主日礼拝! ということで、期待に胸を膨らませつつクエンカ聖書キリスト教会にむかう。礼拝の様子は、長さが1.5倍ということをのぞいては東京チャペルに似ていて、賛美と祈りの中でとても恵まれた。ただし説教の内容はほとんど分からず、10分に1回くらい英語で聖書箇所を教えてくれたり、重要な内容を繰り返してくれることから、ポイントが分かる。

礼拝後マニー牧師の「クエンカ聖書キリスト教会はいつでもあなた方を歓迎しますよ、またぜひ来てください」という言葉に送られて、S先生宅にて最後の昼食をいただき、今度は少し離れたタナワン聖書教会へむかう。クエンカ聖書キリスト教会、バタンガス聖書教会、タナワン聖書教会はアブコップ(フィリピン聖書共同体連合とも訳せる、OMF、センド・チームが開拓した教会が合同してできたものらしい)という団体に属しており、類似した雰囲気を持っている。

到着してみると付近の教会の合同青年会らしく、数百人の青年たちが賛美している熱気に圧倒された。(ふとJECのグローイングアップキャンプを思い出す。)歓迎のフィリピンのダンスや出し物を見た後、私たちの特別賛美、F先生の証しと続き、別室に通された。そこには教会の役員や日本に送った宣教師、アナ・ガメス師をサポートしているセルグループの兄弟姉妹が集まっており、良き交わりの時が与えられる。このタナワン聖書教会のメンバーにも日本に来たことのある方がいくらかいらっしゃるようだが、一人の姉妹が本当に主から重荷を与えられて日本のためにとりなし祈るネットワークを作りはじめたそうだ。今はその働きもずいぶん広がり、数十のグループが日本のために祈ってくださっているという。

傾きかけた午後の日差しの中、これまでお世話になったS夫妻にお礼を言って、一行はマニラ行きのエアコンバスの車中の人となる。

なんと帰りのバスは、ちょうどチケットセンターの前に止まったのだった。ハレルヤ!再びメトロマニラの雑踏に戻り、明日のバスのチケットを買う。定食屋でおいしい夕食をいただき、しばらく街を歩き回り、ジプニーでSILマニラセンターに戻る。

3月6日(月曜日)

快適な目覚め、早い朝食を食べて北部の山岳地帯へ向かう。タクシーにてバスターミナルへ。午前9時、バスの横腹に荷物をつみこんで出発!1時間あまりで、ブラカン・ターミナルに到着する。トイレ。さらに2時間ほどでサンホセ・ターミナルに到着。トイレ。なんということのないが、おいしいフィリピンの昼食を食べる。道路にトライセクル(スクーターの横に客を乗せる乗り物)の群れがひっきりなしに走っているのが印象的だ。でもあまり客は乗っていないが・・・。次第に山道に入り、自然が美しいので嬉しくなる。メトロマニラの都会より、山や川がある景色のほうが心が安らぐ。

関連画像 道中、F先生が、第二次世界大戦中日本軍が行なったことや、戦いの激しかったようないわれのある地を通るたびに、それに言及する。ある峠にモニュメントが立っており、それは、日米共に多くの戦死者を出した激戦地の跡ということだった。二時間くらいで山中のアリタオ・ターミナルに到着する。再びトイレ。トイレのあるところに行く度に、念のために用を足すのは少しわずらわしいが、その辺ですることになるのもいやなので念のために行ってしまう。1時間あまりでバガバグ・ジャンクションに到着する。ジプニーにてSILバガバグセンターへ。

ゲストハウスマネージャーのマリアンさんは、私たちの堺福音教会の基を築いてくれたスウェーデンの宣教団体、インターアクト(旧オレブロ・ミッション)から派遣されている宣教師で、とても陽気なスウェーデン人だった。私たちの教会はインターアクトの宣教の実だという話をしたらとても喜んでくれ、いろいろと親切にしてくださった。

各自待望の洗濯をし、その後バガバグセンターの見学。宣教師の子ども達専用の学校を訪れると、女性の先生が教室を案内してくれた。小学校、ハイスクールそれぞれ一学年10人くらいのインターナショナルなクラスである。授業は基本的に英語だが、他の母国語を持っている生徒は、インターネットなどを使って自分たちの国語を勉強しているという。

図書館には各メンバーの言語に関する研究やレポート、出版物、特に聖書とその分冊、言語学や文化人類学などの参考資料、賛美集や説教テープなどが所狭しと並んでいた。さらに、チャペル、旧印刷室、SILのセスナなどが発着する滑走路、セスナと(私たちが乗るはずだった)ヘリコプターの倉庫、ラジオ無線小屋メンバーの家などを見て歩く。

途中、あるプロジェクトの言語協力者の一家が住んでいる小屋の前を通る。SILのメンバーが彼らをセンターに招待し、家を貸して聖書翻訳を助けてもらっているということだ。彼らはフィリピンのもともとの原住民の人たちで、ルソン島の山岳地帯を焼畑をしながら、狩猟採集の生活を営んでいるということだった。もともとは低地に住んでいた彼らは外から何度か侵入してきた民族に押されて、次第に山中へ追われていったそうだ。

子供達が家の柱のかげから私たちを興味津々の目で見ている。目がきらきら光っていて可愛い。しかし私たちと目が合うと慌てて向こうにかくれる。彼らの目にはこの日本人の一行はどんな風に映っているのだろうか。

おいしい夕食。なんとここではご飯がでた。マリアンさんの御主人(コンピュータのエンジニアとしてバガバグセンターで働いている)の職場を見せてもらう。陽気でおしゃべりなマリアンさんに比べて御主人はとても物静かな人だが、とても親切にSILの出版物――聖書、メンバーの論文、辞書、保健衛生に関する現地語の書物、村の物語など――を説明し、見せてくれた。

文明の恩恵にあずかれるのも今日まで…最後の安眠を楽しむ。

3月7日(火曜日)

今日はヘリコプターでカダクランまでひとっ飛び25分…のはずが…ジープで10時間陸路の旅に変更になった。

朝8時小雨がちらつく中ゲストハウスを出発する。(この雨ではパイロットが病気にならなくてもヘリコプターは飛べなかったかな)道路のわきでラガウエ行きのジプニーが来るのを待つ。

しばらく待っているとゲストハウスで一緒だったスイス人の兄弟と、同じくスイス人のSILメンバーがやってきた。バーリックに住むスイス人のマルチン神父を訪ねるのだそうだ。共にジプニーに乗り込むと車内は人と荷物でぎゅうぎゅうになった。

まもなく到着。今度はバナウエ行きのジプニーに乗りかえると、4人のチェコ人の観光客に出会った。少し話すが、このフィリピンの山奥では彼らは外見的にも文化的にも私たちよりずっと浮いてしまう。ジープは次第に山の中に入り、標高が上がると共に視界にもやがかかり気温がぐっと低くなる。寒い。Tシャツで震えている私を見かねたF先生がウィンドブレーカーを着せてくれる。旅の始まりから何かとかばってくれる先生に感謝です。

1時間くらい走っただろうか。ジープがバナウエに到着。雨はちょうどやんだ。ハレルヤ!次のジプニーを探すが見つからない…結局スイス人の彼らと6人で一台のジープをチャーターしてボントクまで行ってもらうことにする。発車するのを待っていると途中まで乗っていくフィリピン人のお兄ちゃんと、若いフィリピンのお姉ちゃんを連れたスイス人のおじさんが乗りこんできて閉口する。おじさんも同国のスイス人の宣教師と顔を合わせてばつが悪いようだ。あらら…

いよいよ舗装が途切れがちな山道に入る。舌を噛みそうながたがた道やタイヤを取られそうな深い水溜りを、運転手の兄ちゃんはきれのよいハンドルさばきで乗りきってゆく。当然パワーハンドルではないからこれは相当な重労働だ。運転席の前についているメーター類は全然動いていないし、雨が降ってもワイパーは作動しない。どうもこの車はアクセルとブレーキとギアチェンジだけで動いているらしい。

1時間半か2時間くらい走るとボントクに到着。スイス人の二人はマルチン神父が迎えにくるという博物館にて分かれる。

わたしたち4人は食事をとり(良質な肉を使った焼き鳥であった)カダクラン行きのジプニーを探す。F先生はこのあたりではすでに顔なじみらしく、色々な人と楽しそうに話し、今日の便は2時に出発するということをつきとめた。

あと2時間ある。ということでまず村での食料(バター、ミルク、蜂蜜、ティーバックなどはこれ以降入手が困難になる)を買い、カダクラン出身の人の家にて挨拶する。この辺りの人の顔立ちはマレー系の低地の人の顔と明らかに違う、思わず自分の母親のような顔の人を見つけた。

先程スイス人の二人をおろした山岳部族の博物館を訪れる。彼らは非常に勇敢な部族らしく、東南アジアの各地に見られる首狩の伝統を持っていた。アニミズムの信仰、青銅などのゴングを用いて行う儀礼の様子などインドネシアでもよく見られるものと似ていた。

お次は…F先生に引率されるままについてゆくと、なんとこのMountain Province州の教育委員長のオフィスにたどりついた。私たちがこの地区(カダクラン、バーリック村)の公立小・中・高等学校で教えるのは、フィリピン政府の認可のもとの公の仕事なのだ。さらにつれて行かれたところはメイヤーが参加するセミナーの会場。メイヤーは途中でそのセミナーを抜け出し、その辺においてあった救急車でカフェに連れて行ってくれ、昼食をすすめてくれた…。一同お腹はいっぱいだったがここは食べなくてはならない場面だと腹をくくり、にこやかに会話をしながらコーヒーとハンバーガーをいただく。2時を過ぎた頃からミチさんはしきりに時間を気にしている。結局2時半まで家族の話や村の噂話などをしたところでそろそろ…ときりあげる。店を出ると件のカダクラン行きジプニーが目の前に来てくれた。

一行が乗りこむと、おんぼろジプニーは激しい雨の中いざ、カダクランへ出発。山の奥深くに進むと霧が立ちこめ、視界がきかなくなる。運転手は心得たハンドルさばきとギアチェンジでぬかるむ山道を進む。片側は切り立つ断崖なのでなるべく山側について走っているようだ。「安定して走っているのが奇跡のような乗り物だな」と思っている私たちの後ろで、F先生は一緒に行く村の人から村のニュースなどを聞いているらしい。

雨はいよいよ激しくなり五里夢中の山道を4、5時間走っただろうか。うとうとしながら祈っていたらバーリックに到着という。F先生はT先生へのプレゼントを置きに行き、帰ってくると再びジプニーが発車する。一段とすさまじい山道をガタガタ1、2時間走った後に車は斜めになって停車した。夜の9時、ここがカダクランだという。しかし真っ暗で何も見えない。懐中電灯で足元を照らしながらフラフラと民家の軒先に入る。疲れと眠気でしばらくボーっとしていると、今晩私たちを泊めてくれるロディータ姉妹たちが迎えに来てくれた。

彼女が明かりなしですたすた上がって行く数十段の階段を、我らは足元を照らしながら慎重に上り後をついて行く。ほどなく高床式の立派な家にたどりつき、ロディータの手料理をいただく。さっぱりして食べやすい。おいしいことを彼女に伝えたいのだが、彼女はどのくらい英語を理解するのかな? さっきからF先生とここの言葉で色々話している。よく見るとわたしたちがいつ来ても良いようにおやつも用意していてくれたようだ。

私が寝る前に水浴びをするというと、今日は寒いからとお湯をいっぱい沸かしてくれた。大げさでない、けれど心からの暖かい歓迎のおもてなしがとても嬉しい。兄弟たちが少し上にある校長先生の家へ移動した後、1日の疲れがどっと出てミチさんと祈って寝た。

授業に挑戦!カダクラン

3月8日(水曜日)

関連画像 カダクラン初日の朝。朝から鶏たちがけたたましく鳴いている。ひんやりとした高原の朝もやの中、そのへんを歩き回ってえさをつついている鶏たちを追いたてながら、家の横の簡易な水道のところまで行き顔を洗う。昨日の疲れが取れないですね。とミチさんと話していると、上の方からいつも元気なF先生とさわやかな顔をしたヒロシ君が下りてきて、朝食が始まった。

午前7時、この家の主ロディータと、彼女が今あずかって育てている甥っ子のホライオック、そして私たち4人が食卓を囲む。ホライオックはいたずらっ子でさっさと朝食を終えてテーブルの下にもぐりこんだりして遊んでいる。彼は昨日の晩、その愛嬌のある笑顔でミチさんの心をつかんでいたが、今日は持ち前の人なつっこさでヒロシ君と仲良しになって遊んでもらっている。

関連画像 今日はいきなりカダクランの小学校で教えることになるらしい。階段と坂を下りて小学校の校庭に行くと朝礼が始まった。校舎にWelcome to T. F***** and visitors from Japanとある。5年生が歓迎の歌を歌ってくれる。ここに至ってF夫妻の働きが、そしてF先生自身が、今では村の人にとても好意的に受け入れられていることをひしひしを感じる。

午前中は授業の様子を探るため、各クラスを見学させてもらう。1年生から6年生まで各一クラスずつで、上の学年にゆくにしたがって生徒の数が少し減るのは、ドロップアウトする子もでてくるからだそうだ。授業はほとんど英語を使って進められる。英語教育を徹底しているので、上の学年の生徒たちは、日常生活で全く使用しないにもかかわらず、楽に英語を理解し、受け答えできる。彼らは自分たちの母語の他に、近辺の村の人と会話するための地方の共通語イロカノ語、国の公用語であるピリピノ語(タガログ語)、そして英語を使いこなすのだ。

この日の昼食はロディータの家庭料理だったが、心はここにあらずで授業計画ばかり思いめぐらしていた。

関連画像 午後は4、5、6年生のクラスを教えることになっており、科目は日本語、英語の賛美の歌を使った音楽の授業 “kankanta“ 。ヒロシ君とミチさんと3人で協力できるのがありがたい。しかし午前の授業を見ていると、教師の教室内での動きといい、授業進行の中での間の取り方といい、日本とかなり違う。ということは自分たちが日本流でやる授業は彼らに違和感を与えるんだろうなー…と思いながら、いまさらどうしようもないのでベストを尽くしてみる。

それにしても彼らの声ははりがあって力強く、美しい。毎日数百段の階段を上り下りし、野山を駆け巡り、家の仕事をこなしているからだろうか。全員子供なのに非常にしっかりした声で上手に歌う。授業が終ると小学校の先生達がフィリピンのお菓子と飲み物を用意して下さっていた。やったー。

おまけに今晩の夕食はロディータの弟の家に招待された。一体何が出てくるんだろう…なるべく犬の肉じゃないといいけど。家につくと、ロディータと彼女の親戚、小学校、ハイスクールで見た先生などがすでに来て話を始めていた。輪になって椅子に座り、だれとはなく話題を継ぎながら食事ができるまでの会話を楽しんでいる。私たちに話題をふるとき以外はみんな現地の言葉で話しているので、F先生が通訳してくれること以外は分からない。みんな英語を聞くことは抵抗無いけれども、話すのはちょっと自信がないなという雰囲気だ。

F先生は双方に分かるように時々英語で話してくれる。「昔僕たち家族がこの村に入ってきたときはこんなことがあったよね…」

和やかな雰囲気の中1時間以上話が続いただろうか。「まだ食事は出ないのー」といいたげな顔をした私とヒロシ君にむかって、「フィリピンではこうして集まってぽつり、ぽつりと話しながら一緒に時間を過ごすということが大事なんですよ。別に話題が切れてしばらくしんとしても、また誰かが話し出して、なんとなく時間が過ぎてゆく。だからこういう風な場がここではいっぱいある。」とF先生。

しばらくすると、ようやく夕食が運ばれてきた。主食のご飯と、今さっき絞めたばかりの鶏をばらしておいしく味付けし、煮たもの。そしてその煮汁のスープ。お客様には野菜は出さないそうだ。みんな野菜は家で毎日食べているからだという。鶏は自分の家にいるものか、村の誰かからちょうど良い頃合のものを買ってくるかして調理するという。丸ごと料理したんだよということを示すことによっておもてなしの心を表すため、頭も足もお尻も全部入っている。かつてインドネシアで鳥の頭を経験済みの私としては、頭は遠慮したいと思う。大皿から各自とれるのでなるべく安全な(!?)部位を選ぼうと試みる…が…腿の肉をとったのに…さらに引っ張ると…なんで3本にわかれた足の先の爪までついてくるの!!!結局思いっきり具体的な形状の肉 (というかまさに「足」だ)にかじりつくと、硬い。思いっきり野山を駆け巡った筋肉もりもりの鳥の足ってかんじだ。味も濃くておいしいが、満身の力をこめて肉にかじりつき思いっきり「肉」の味を噛み締めるという体験は、なんとなく、違和感があった…おいしかったけれど。

先程まで台所にいた人達や子供も加わって、4、50人のにぎやかな晩餐だ。学校の話や子供の話などひとしきり盛り上がり、みんな満腹しておひらきとなった。

3月9日(木曜日)

カダクラン午前4時前。「コッ、コッ、コッ、コケコッコー!!!」十数羽の鶏のけたたましい鳴き声と、高原の朝の厳しい冷え込みの相乗効果により、さすがの私も早起きになる。もう少し寝かせて…と思うが、横になっている高床式の部屋の床、そのすぐ真下で雄鶏が叫ぶもんだからたまらない。顔を洗いに外に出るとホライオックが鶏にえさをやっていた。そう、ここでは子供達もそれぞれ家の仕事を割り当てられ、よく働くのだ。

関連画像 昨日きいたディボーション・スポット、小高い展望台に行ってみる。朝の光の中眼下に広がる緑のV字谷、綺麗に整備された棚田。これで椰子やバナナの木がなければ日本の農村地帯と見まごうばかりだ。フィリピンの山岳地帯で発見したことは、熱帯植物さえなければここの景色は日本の田舎とそっくり、ということだ。

朝食をすませて、さぁ、今日も可愛い(けど腕力は私より強そうな)小学生を教えるぞ! 学校に行く道すがら、子供達や村の人たちに興味津々に見られる。F先生が一言、二言話すとみんな笑いながら通りすぎてゆく。いいなー言葉ができて。私達が英語で挨拶すると、みんな挨拶を返してくれる。けど先生が現地の言葉で話しかけるように、彼らの心にすっと入ってゆくことはできない。

今日は雨だから朝礼はなしでいきなり授業。授業前に賛美をしているクラスがある。素敵な授業準備だ。午前中はまず1、2年生に「海と空造られた主」と「イエスによりわれらは一つ」の歌と、手話からとった踊りを教える。みんな振りつきの歌が大好きなようで、歌うだけだったらだるそうにしていた子も、動きがつくと、思わずノって参加してしまうらしい。非キリスト教国に住んでいる私達にとって、音楽の時間に子供達が自然に「イエスは主、ハレルヤ!」(Jesus is the LORD, Halellujah!)と歌う姿を見るのは、驚きであり、喜びであった。

授業が終ったら10時のおやつ。先生達がお金を出し合って用意してくれているらしい。職員室には今まで毎年日本人が残して入った折り紙作品や、日本語の授業に使ったらしい絵が書かれたシーツなどが置いてあった。私達がこうして日本語と英語の賛美の授業をすることも喜んでくれているのかな…。そうだったら嬉しいな。

3年生は「海と空造られた主」と「ホサナ」を歌う。このクラスは先生がしっかりまとめているらしく、授業態度が非常によろしい。

昼食をはさんで午後は4年生から。三年生の教材に加えて「Come, now is the time to worship」を歌う。3曲目は、「ホサナ」のようには、すぐに生徒が反応を返してこず、ちょっと歌詞が難しかったし、選曲が悪かったかと思った。しかし旋律も綺麗だし、結局後になって教室の外でよく歌われていたのをみると、比較的年上の子達は気に入ったらしい。

Come, now is the time to worship…Come, just as you are before your God…

One day every tongue will confess you are God/ One day every knee will bow

Still the greatest treasure remain for those who gladly choose you now.

いつかこのヴィジョンをもって立ち上がる青年が起こされるかしらん?

5年生くらいになるとだいぶ年齢にばらつきがある。日本の賛美ということで小坂忠さんの「さあ、主にささげよう」を歌うと、三連符の手拍子がビシッときまった。彼らはとてもリズム感が良い。

職員室で3時のおやつを御馳走になっていると、6年生の先生が卒業式に歌うのにふさわしい曲を教えてくれという。例によって急な申し出で楽譜も用意していないが、F先生に対訳を作ってもらい、岩渕まことさんの「God bless you」を紹介した。

今日の夕食は小学校の先生ジュディスと、瀕死の病の中、F先生とツアーでいらした先生の祈りによって癒され、今は政治家として働いているサイモン夫妻宅に招待された。昨晩と同様和やかな歓談の中、現地の言葉と英語、日本語を使い分けながらジャンジャンしゃべって場の主導権を自然につかんでいるF先生のバイタリティーに感嘆しつつ、横に座って耳を傾けていると、食事が始まった。

なんと醤油で味付けされた鶏肉と、今日は野菜料理も豊富にある。ここでは醤油を使う習慣はないそうであるから、私達の口に合うようにと配慮してくれたのだ。こうして甘やかされていては宣教地体験学習にはならないのかもしれないが、その心遣いは素直に嬉しい。また、食後のコーヒーなど、飲み物がいつも温めだとおもっていたら、実はここの人達は強烈な猫舌で、沸かしたお湯を冷まして出してくれていたのだという。頼むと、そうだったわねというように、熱いお湯を持ってきてコーヒーを入れてくれた。

帰り道、救いに導いてくれたF先生を訪ねて山を歩き、会いに来てくれたシメオン村長に助けられながら階段、坂道を登り、家路につく。今日も雨で美しい夜空は見えず、暗やみに虫とかえるの声が聞こえるばかり。校長先生の家の広場で4人で今日のフィードバックとお祈り。長い1日が終った。

3月10日(金曜日)

コッケコッコォー!!!! コッ、コッ、コッ、コッケコッコー!! コッ、コッ…まだ薄暗いうちから起きだすミチさんを横に見つつ、たまった疲れに身を任せ、ぎりぎりまでうとうとと眠る私。カダクラン三日目、今日はハイスクールで授業することになっているのだ。気合を入れて起きあがる、と、今日も雨模様のお天気。南国にいるはずなのに肌寒い。

朝食後、教材を準備して学校まで下ってゆく。ここにも手作りの歓迎の横断幕が飾ってあり、まず先生達が笑顔で出迎えてくれる。生徒の顔ぶれがハイスクールらしく、ぐっと大人っぽい雰囲気である。

関連画像 まずは一年生の授業。まずはすでにお馴染みの「Hosannna」を英語と日本語で歌う。今日はギターを借りてきたのでずいぶんリードが楽である。と、なんと数人の先生達が授業見学にやって来た! わぉ、教育実習みたい、と内心緊張しつつ「さあ、主にささげよう」も教える。「ハレルヤ、ハレルヤ、力のかぎりー」という歌詞の通りみんな力いっぱい歌って、手拍子をしてくれる。日本の中学生と比べると、斜に構える子もほとんどいないし、ずいぶん素直に、真正面から授業で扱っているトピックへの反応を返してくる。教師の出した要求に、まずはそれぞれ自分なりのやり方で応えようとする姿がみられる。

90分の授業の中だるみを防ぐため、これまでのチームを通して知っている日本の歌をきいてみた。みんな手製のソングブックを持っており、それをぺらぺらめくりながら、「この日は主が造られた」「主われを愛す」「海と空造られた主」「神の国と神の義をまず求めなさい」を挙げてくれた。「それじゃ、4グループに分かれてしばらく練習して発表会をしよう。」ということで、1グループに日本人が1人ついて練習する。見学していた先生方も助けてくれなんと一緒に参加して歌ってくれる、ずいぶん熱心だ。

発表はそれぞれ上出来で、最後は「Come, now is the time to worship」でまとめる。今日初めて聞く歌でも、気に入ればみんな瞬く間に覚えてのびのびと歌う。積極的な反応を楽しみつつ、みなぎるパワーに圧倒されつつの1時間目が終り、教室を後にする。

ブレイクをはさんで3年生。これはまた一段と大人っぽい。3人とも若干気後れしつつ授業するが、もとから元気なのか、調子に乗りすぎているのかノリノリで歌ってくれるので、ギター伴奏も凌駕されてしまう声量である。3人で労力を分けあえることを心から感謝した2時間目であった。

関連画像 今日のお昼はハイスクールの先生達が用意してくれるらしい。心のこもった家庭料理で、午前中の疲れを癒してもらった。あぁ嬉しい。昼食後、先生達と一緒に賛美を歌う。カダクランの人は歌うことがとても好きだ。

午後は2年生と4年生。2年生の授業を終えると、そろそろ体力の限界を感じた。ピアノがないぶん、声で曲をリードするのは結構肉体労働なのだ。4年生はクラス内での年齢の幅が一番大きいのだろう。私と同じくらいの歳の男の子もいる。最後の力を振り絞り、みんなで協力しつつ、F先生に励まされ、なんとかカダクランでの最後の授業を終える。やったー!!!

心も軽く職員室に戻ると先生達からお礼のプレゼントまで用意されており、感激する。ハイスクールの授業は重労働だったが、先生達は本当に良くしてくれた。おまけにそのうちの一人、ルツ先生のお宅にお茶によばれた。わーい。家につくと、ハイスクールで教えた長女のエデンちゃんも待っていて、おもてなししてくれた。これは村のどの家にもいえることだが、壁には家族の写真や、成績優秀などで表彰されたメダルなどが、所狭しとかけてある。

関連画像 しばらく話していると、ここでは子供達が本当によく家の手伝いをするということに話題が及んだ。この家でもエデンちゃんが一番下の弟に、脱穀作業を教えているらしい。子供達も自分達が食べる米は自分で、稲の状態から、臼と杵を使って脱穀するのだ。「へーすごいね」と感心していると、ルツさんが脱穀作業を見せてくれるという。稲穂の状態からつかんできて、臼のなかで力強く見事について、茎ともみがらをはがし、美しでもみがらと米を分離させる。おそらく何千回となく繰り返してきた成果であろう、卓越した職人の業を目の当たりにして、彼女をはじめ、この仕事ができるカダクランの人々を私は深く尊敬したのだった。

彼らにお礼を言って、夕食に招待されている家へ向うと、いつも自家製のパンを広場に売りに来ていたアネッタさんが出迎えてくれた。いつもの夕食前の歓談のなか、ここの親族のおじいさんが、F先生に応えて、第二次世界大戦における日本軍統治下のエピソードを少し語ってくれた。強制的な日本語教育の中で覚えた日本の歌、ラジオ体操…そのような不幸な関係の後、おそらく初めて村に足を踏み入れた日本人であろうFファミリーの境遇はおそらく厳しいものがあったに違いない。と想像する。

しかし主に召されたファミリーが運んだものは、幸いにも真の意味での和解の福音だった。現在、わざわざ醤油で味付けした鶏肉料理を作って勧めてくれるここのファミリーと、穏かな顔でくつろいで現地の言葉で話しているF先生を見ていると、血肉の戦いによってできた隔ての壁が打ち壊された、その姿を見せてもらっている気がした。

帰り道、カトリック教会に寄ると、1人の女性がなにやらテキストの準備をしていた。今日の8時半か9時頃から若い人向けの聖書の学び会があるそうだ。南国の人の例にもれずカダクランの人も宵っ張りだ。しかしカトリック教会で聖書の学び会とは素晴らしいではないか! ここでも翻訳した聖書が用いられているのだろうか?

一行は滞在している家に戻り、反省会をしておやすみなさい。

3月11日(土曜日)

わぉ! 今日は私達がカダクランに来て初めての晴れの日である。ミチさんと喜び勇んでたまっていた洗濯物を洗う。ジャブジャブ…脱水機がほしいところだが、強烈な日差しが補ってくれるだろう。

久しぶりののんびり味わえる朝食。こちらに来てとみに増進したヒロシ君の食欲に改めて感心する。「今日は山をいくつか越えて別の村に行こうか?」という村の人とF先生の提案を心から退けて「今日くらいゆっくりしようよ〜」と主張する私。

結局午前中はめいめい洗濯したり、祈ったり、ヒロシ君はホライオックと谷間の川へ下っていった。私は高台で物思いにふけっていると、子供達が「うみとぉそーら、つくられたしゅはっ♪」と歌いながら近づいてきた。

F先生のところへ行くと(私達が到着するはずだった)へリポートへつれていってくれるという。みんなでぞろぞろついていくと、山の中腹に平らな草むらがあった…ヘリコプターが発着しやすいように今は草が刈り込んであるという。草むらヘリポートか…しかしこれが出来るまではセスナが砂利道滑走路を使って離着陸していたというから、パイロットは大変だ。

関連画像 昼食後は谷を越えて一つ向こうの山の上にあるカリウの小学校に散歩することになった。「カリウに行くよー」と言うと近所の子供達もついてきた。きれいに手入れされた段々田んぼの間のあぜ道と階段を下ってゆくと、川の近くにYWAMの建築中の会堂が見えてくる。今日もせっせと兄弟達が作業している、彼らはこんな力仕事には慣れっこというかんじだ。

このカダクランには、カトリック教会、今は学校の部屋を間借りして礼拝を持っているYWAMの教会、去年マニラから牧師が来て始めたというペンテコステ教会(Potter's House)、スピリティスタの教会がある。カリウの学校の下にスピリティスタの会堂があった。ここのクリスチャン達は本当に良く聖書を読んで真剣に信仰生活を営んでいるそうだが、霊の次元のことについて土着宗教と混交しているような印象を受けた。

しばらくゆくと田んぼで作業している家族に出くわした。「さっき向こうから階段を下りてきてたね。カリウに行ったの?」確かにここに立って谷を一望していると、われわれ一行の移動していた様子がよくわかっただろう。こうしてみると、誰と誰が一緒に散歩しているとか、かなり遠くで農作業している人でも田んぼの位置と服装で誰が何をしているか一目瞭然なのだ。みんながお互い知り合いの小さな村の中では、オーバーに言えば一挙手一投足が周知の事実となりうる。「こりゃ短期間なら良いけど、一生こんな閉塞的な村社会で暮らすことは私には出来ないわ。」とひそかに思う。

気持ちいい散歩を終えてヒロシ君は村の男の子達とバスケット、ミチさんと私は木陰で汗を拭いていると、途中から一行を追いかけてくれたエデンちゃんがお茶に誘ってくれた。家に行くとお菓子まで用意してあった。思いっきり心のこもったおもてなしをうけてF先生を始め大感激である。

お礼を言って家へ帰り、こういう暑い日に水浴びをするのは最高の気分である。さっぱりしたところで、ロディータの夕食が待っている。彼女は本当に良く気を配ってくれ、私達が快適においしい食事を楽しめるようアレンジしてくれる。

夕食後はミーティング、外に出ると夜空がきれいだ。しかし少し雲が出ているので楽しみにしていた満点の星というわけにはいかない。それにしても神様の創造の産物である大自然に囲まれて暮らすと、主の偉大さと、恵みの大きさを直接的に実感する。

カダクランからバーリックへ

3月12日(日曜日)

今日はフィリピンに来て2度目の聖日。主に期待していこう!朝食後まずはカトリックのミサに出席する。先週の水曜日からレントに入っているので、教会暦にのっとって聖書は受難週の箇所である。専任の神父がいないので、この地域のカトリック教会に配られるイロカノ語の式次第を代表の青年たちが読んでいる。「神の国は近づいた。目を覚まして祈っていなさい。」ということらしい。間に2、3人の証しがあり、F先生も前でメッセージを語っている。

私達には何を話しているのかさっぱり分からないが、聞いている人達の生き生きした目の輝きを見ていると、母語で語られるメッセージがいかに自然に彼らの心に入ってゆくかということを感じさせられる。もちろんイエス様はカダクランの人々を深く愛していらっしゃるだろうが、彼らの言葉で福音を語って神様を証しできる働き人が、世界中で他に何人いるだろうか?

ミサがすんでから遅れて出席したYWAMの牧師もこの村の出身ではないので、イロカノ語でメッセージをしていた。そこでも私達は英語で自己紹介をし、特別賛美を歌い、F先生はここの言葉でなにやら語った。

近くの村の出身の牧師でさえこの近辺の共通語(イロカノ語)で語るのに、はるか外国からの働き人が、それもここ十数年は年に一回、数日間村に滞在するだけの人物が自分達の言葉で話しかけてくるのはずいぶんと不思議な気がするだろうな。と思う。

人間的に考えてもそういう人には親しみがわくし、嬉しいかもしれない。けれどその人が神様の愛を語り、福音を語ったとしたら。その人には全く馴染みの無いはずの自分達の母語を身につけた、その動機が神様の愛に動かされてのことだったとしたら…そんなことは人の思いをはるかに越えた主の証しとなるだろう。

礼拝の内容は全く分からないながら、別のところで深いインパクトを受けつつ、兄弟姉妹と挨拶して建物の外に出る。アネッタに誘われるまま、家で焼き立てのパンを御馳走になり、ロディータの家でくつろいだ昼食を終えると、スピリティスタの兄弟達がF先生を訪れてきた。ハイスクールの先生の娘たちも来て、兄弟方が帰ると、しばらく彼女達と話したり、遊びや歌を教わったりする交わりの時が与えられた。

関連画像 学校のことや、今までここに来た日本人の話など、英語やF先生の通訳で話していたのだが、ちょっと私達が日本語で言って4人で笑ったりしていると彼女達からクレームがついた。「私達がタガログ語やイロカノ語を使ってもF先生が訳しちゃうのに、あんた達が私達に分からない言葉で会話するのはずるい。」ということらしい。確かにそういえば大人と夕食の場などで話している時にも、私達が日本語でちょっと話すとみんなが気にしたような目で見ていたことがあった。こんどからTPOを考慮して英語で話そう。

彼女達と分かれてカダクランで最後の夕食に招待してくれた家へ向う。彼らはFファミリーがここで働いた始めの頃から協力してくれている親しい家族だという。部屋の中に丸く座り、のんびりしたおしゃべりが始まった。名前と歳は? 学校で何を勉強しているの? 結婚は? 大体きまってきかれる質問にもなれた。また、どんな話題を選ぶと礼儀にかなって適切か、ということも少しずつ分かってきた。例えばみんな、年齢をきくことによってお互いの上下関係を計ってから話し始めるとか、結婚とか子供の数とかはとりあげても失礼にあたらない格好の話題であるとか、卒業式も迫ったこの時期には卒業生の親族にお祝いを言うのが大切な礼儀であるらしいとかいうことである。

しかし自ら勝手の分からない話の流れに飛び込んでゆくこともないので、楽しく話を聞きつつ豪華なディナーに舌鼓を打った。幸せ。

3月13日(月曜日)

いよいよカダクラン出発の朝である。ロディータありがとう。昨日の女の子達が重い荷物を持ってジプニーまで運んでくれた。(彼女達は少なくとも私よりはるかに力持ちである。)ただの寄留者である私達を、F先生のゲストだといってみんな本当によくもてなし、助けてくれた。主の祝福が豊かにありますように。村の人たちに見送られながら一行はバーリックの町に向けて出発した。

関連画像 バーリックはカダクランより少ーし都会で、現在東ボントクプロジェクトにおいてF夫妻の帰国後も働きを続けているT宣教師が働いている町である。山を削って作られたガタガタ道を3時間ばかり車に揺られていると昼前に現地に到着し、一行は宿屋に荷物を置いき、T先生とリリー・パン宣教師の住む家を訪れた。

「いらっしゃい。こんにちは」と笑顔で迎えてくれたT先生は物静かで理知的な雰囲気のする方だった。用意してくださっていた日本風の昼食をいただいた後自己紹介。何気ない世間話の中でも村の人の近況や、現地の教会の様子など情報交換するのはお二人ともさすがである。

午後はバーリック村の郡役場、警察、病院、カトリック教会などを訪問する。みんなのんびり仕事をしている。カダクランという、もう本当に山中の村から少ーし都会のバーリックに出てきて思うことは、こうして食べ物も着る物も少し豊富にあって、より大きく丈夫で快適な家が建てられるようになり、生活が便利で快適になってゆくと、人はすぐそれに適応して楽な暮らしに移行するということだ。例えば、今までいちいち杵と臼でもみを脱穀しなければならなかった作業が機械によって出来るようになると、もう誰もわざわざ体を使って働こうとはしなくなる。それまで山の中を歩いていくしかなかったところに道路が出来て車が走るようになると、たいがいの人はそれを利用する。それが悪いというわけではないが、逆に、私たちのように文明の恩恵にどっぷりと浸かってしまった人間が、村の人のようなシンプルな、毎日体をフルに使って暮す生活に入るのはかなり大変なことである。

関連画像 夕食後はT先生とリリー師の事務所で行われる、東ボントックの言葉に訳された聖書の改訂作業の一環としてもたれるミーティングを見学させていただいた。そこにはT先生の他に、バプテスト教会の役員や、カトリック教会のメンバー、ペンテコステの牧師さんなど、年齢、聖別、宗派の違う数人のクリスチャン達が集まり、翻訳された聖書の言葉の選び方や、そこに表される内容などに関して、意見を述べ合い、吟味するのである。「わぉ、まさにウィクリフってかんじ」と思いながらわくわく聞いていたが、言葉がわからないので話している内容が不明で残念。それにしてもめいめい自分の思いを主張する協力者達の意見を汲み取り調整しつつ、忍耐強く吟味するのは大変な仕事だ。

ミーティング後みなさんと少し交わってから帰宅。カダクランと同じく息を切らしながら数百段の階段を上る。東京では味わえない美しいおぼろ月夜である。

3月14日(火曜日)

ピピピピッ、ピピピピッ…久しぶりに時計の電子音で目覚める。さぁ、新しい日が始まった。遠くに鶏の声を聞きながら顔を洗う。T先生宅にて久しぶりにさっぱりした朝食をいただいた後、バーリックの公立小学校に出勤。道すがら興味津々でこちらを見る生徒たちに挨拶し、校長先生に挨拶、朝礼での自己紹介はカダクランと同じ。今日は1年生から6年生まで全9クラス気合を入れて教えなければならない。

関連画像 教室の雰囲気は大体カダクランと同じだが、生徒が制服を着ているとか、ほとんどの生徒がノートと筆記用具、そして立派な教科書を持参しているといったことに違いがある。また、全体的により能動的に学ぼうという姿勢が見られ、授業を楽しんでくれている手応えがあったのが嬉しかった。教える3人のチームワークも今や完璧である。

例によって間にお茶休憩をもらいながら3時前に最後のクラスを教え終えた時はハレルヤ!主に感謝だった。

帰り道、カトリック教会のマルティン神父を訪れる。バガバグからボントクまで共に来たスイス人の兄弟姉妹の友人の神父さんである。彼は先任の後を継いでここに赴任してから十数年、その間1度母国に帰ったとか帰らなかったとか。とにかくずーっとここで奉仕していらっしゃるのだという。先任のボーマン神父も40年以上バーリックで宣教師として働く中で、2度帰国しただけだったというから、彼らがここに骨を埋める覚悟で献身して来たということが分かる。

彼は一行を暖かく迎え入れてくれ、私のたどたどしいドイツ語もたいそう喜んでくれ、ヒロシ君が今度盛岡に配属されると聞くと、自分の宣教団体の友達がいるから訪ねてみなさいとメモを渡してくれた。一つとても印象的だったのは、私が大学でJ.S.バッハの復活祭カンタータを研究したと言った時のこと。「あぁ、バッハですか、久しぶりに聞いた。素敵なオルガン作品も沢山ありますよね…ここでは決して聞くことが出来ないけれども…」そう言って、しばらく故郷で聞いていた賛美の調べに思いをはせて目を輝かせているマルティン神父の姿は忘れることが出来ない。

教会音楽あるいは賛美の様式にもそれぞれの国、民族、世代、などによって固有の文化がある。異文化宣教に召し出された者にとっては、自分が快適だと感じる文化や、時に文明の恩恵にあずかる生活を捧げることは当然のことで、主の助けがあればそれにまさる大きな喜びを得ることもしばしばである。しかし、神父さんが一瞬見せた故郷の賛美へのあふれる思いは、心にとまったことだった。

T先生宅で豪華な夕食を楽しんだ後、先生方が翻訳した聖書を使った聖書研究会に出席した。二十人前後の兄弟姉妹が集まった非常に良い雰囲気の聖書研究会である。ここでもみんなF先生とそのゲストだといって喜んで迎えてくれた。まずみんながそろうまで何曲か賛美するのだが、使用する賛美集は、かつて村の人たちの「自分達の賛美を歌いたい」という強い飢え乾きに動かされたF夫人がまとめていったものなのである。歌詞は全部ここの言葉で、現地の音楽を用いたものと、西洋の伝統的な旋律を用いたものとあったが、多くの人は前者を好んでリクエストしていた。

今日はルカの福音書のイエス様の例話からの学びで、内容はたいがい分からないが活発に疑問が出されている。しばらく話し合ったところで、出席していた牧師さんに質問が向けられた。牧師さんが語りだすと信徒は聞き役に回ってしまうのはフィリピンも日本も同じ。しかしこの牧師さんはイロカノ語の聖書からひきながらイロカノ語で説明しているらしい。横でF先生が「そのことは翻訳する際に補って説明してあるんだけどな。」とかつぶやいている。確かにここの東ボントック語の新約聖書が完成しつつある今、その言語で福音を語る働き人が沢山起こされてほしいと願う。

夜はふけて会はいよいよ盛り上がっているが、明日ハイスクールで教えなければならない私たちは途中で帰途につく。帰り道、今夜も月が明るく懐中電灯はいらないくらいだ。なんかいい雰囲気だなーと思って歩いていると、あちこちで語り合ったりギターに合わせて歌っている若者達を発見。楽しそうだねー。

3月15日(水曜日)

バーリック三日目の朝。この宣教師体験ツアーもいよいよ終りに近づきつつある。残された日々を存分に味わおう!

T先生とのなごやかな朝食。先生とミチさんは水っぽくてシャリシャリした歯ごたえの野菜、シンカマスがお気に入りのようだ。二人でシャカシャカ食べている。昨日少しお腹の調子を崩していたヒロシ君もすっかり食欲が戻ったみたいだ。

今日の午前中はハイスクールで授業。先生の一人に「ギターはありますか?」ときくと、生徒の一人に声をかけてくれた。「早く、早く、あなたのギターを取ってきてちょうだい。」頼まれた彼はダッシュでふもとの自宅まで数百段の階段を駆け下り、駆け上がり、5分で自らの楽器を取ってきてくれた。す、すごい!!!大変念入りに手入れしてあるそのギターを用いておなじみの「ホサナ」「さぁ、主にささげよう」「Come, Now is the time to worship」を歌う。

授業後、生徒達のリクエストにより「さくら さくら」を歌う。どうも、彼らの教科書の「日本の音楽」という箇所にこの曲が登場するらしい。彼らの教科書をチラッと見せてもらってびっくり、量的にも質的にも非常に充実した内容で、音楽民族的内容、音楽理論的内容などがそれぞれしっかり分かりやすく書いてある。教育実践の現場でこれがどれだけ活用されているかは知らないが、日本と比べてうらやましいかぎりである。

授業後、学校の関係者たちとお話をしているなかで、ヒロシ君のお父さんが数人のフィリピンの子供達のチャイルドスポンサーをしているという話になった時のこと。この辺りにもスポンサーを必要としている子供がいるわとか、日本という国に行ってみたいねとか、でも私たちが日本に出掛けるには大変な経済的負担だわという意見がだされた。 五十数年前の日本もそのような状況だったのだろうが、現在自分はここに来たいと思ったらある程度の努力で訪れることが出来るけれども、こうして話している人達が逆の事をするのは果てしなく困難なのだという事実はなんかとても不自然で、もどかしい感じがした。カダクランでも思ったが、彼らの目に私達はどう映っているのか…。

ともあれこれで全授業が終り、心も軽くふもとのクリスチャンの家を訪問しに行く道すがら、教えた歌を口ずさむ子供達の姿に微笑みつつ、改めて町並みを眺める。「ここはカダクランより立派な家が並んでいるけど、多くの家にはトイレがついていないんだ。みんな、日の出前にその辺で済ませてしまうからね。」だからトイレ付きの家を見つけるのは大変なんだというような宣教師の苦労話を聞く。

到着した家にて笑顔で迎えてくださった老夫婦はF先生の旧知の言語協力者だろうか? 先生いわく「フィリピンではこうやって連絡もなしに急に訪ねて行くととても喜ばれるんです。」1年に1回でもこうやって気の置けない知り合いとして家に足を運び、最近のこと、昔のことなど語り合う。これがSILスタッフと現地の人達との信頼関係を築く鍵となっているのだろうか? 

関連画像 お昼を招待された副郡長さんの家はただ今増築工事中。強烈な日差しの中頭に水をかけながら歩いてたどり着いたところを、「良く来てくださいましたね、さあ、ゆでたバナナをどうぞ召しあがれ。」と奥さんに迎えられた。立て続けに3度目のお菓子は、ちときつい、と思いながらもにっこり感謝して一つづついただく。彼女はさりげなくではあるが、我々のことをよく注意しており、「このバーリックの印象は?」とか「大学では何を勉強しているの?」など積極的に質問を投げかけてくる一方、食事している様子を良く観察していた。働いている大工さんたちと共にご飯と塩づけの豚肉(これが強烈なにおいで、赤身と同じくらいの白身の塊と皮がついているのだ、もっとも白身はお持ち帰りも出来るのだが)をぱくついている姿も良く見ていたようだ。そして別れ際にいう言葉が、「今日は私達の昼食に来てくれてありがとう。私はこの塩づけ豚肉が日本人の口に合わないのは知っていたけれども、私達のいつものやり方を知ってもらいたくて敢えてこういううスタイルにしたんですよ。」彼女は私の知るかぎり、自主的に異文化体験トレーニングを施してくれた唯一の現地の方である。

昼下がりにT先生宅にて水浴びをしてさっぱりしていると階上で大きな音がして、先ごろリリー宣教師と共に現地入りした母教会の視察団の兄弟姉妹があわてて私のところに飛んできた。T先生がどこかから落ちて怪我をしたというのである。かけつけてみると幸い足に軽い怪我をされただけで「大丈夫、応急手当してもらうから」ということであったが、不自由に歩かれる姿が痛々しい。

このシンガポールからの数人のグループは母国から運んできた大荷物の整理などでしばらくばたばたしていたが、誕生日のお祝いの夕食に招待された家でゆっくり交わる時が与えられた。彼らは教会内で宣教をサポートしているチームのメンバーで、宣教地を体験しながら、聖書翻訳・識字教育のプロジェクトの進み具合も見てこようという目的で数日間ここに滞在するようだ。気のいいエネルギッシュな兄弟姉妹たちである。

ただしアメリカ人同様シンガポール人もいわゆる「強い」文化を持っているので、気づかない間に周囲の人々を自分たちのやり方に巻き込んでしまう傾向がある。つまり、誕生日祝い一つとっても、村の人が普段どういう流儀で行うかなど観察してみる前に、「誕生祝ってのは、その当人を真中に迎えて、ろうそくを立ててやるんだよね」という自分たちの間で良しとされているペースに彼らを巻き込んでしまうのだ。

なんだかんだありながらも楽しい夕食をすませ、バプテスト教会の祈祷会に参加する。この教会ではアメリカのバプテスト教会直輸入の賛美歌を歌い、キング・ジェームス訳聖書の御言葉からメッセージを聞いたが、昨日の聖書研究会と比べると…彼らは本当に心にすっと入って生きる御言葉を必要としているのではないだろうか…。

帰り道、今晩も月が明るいので懐中電灯をつけずに、足元に気をつけつつ田んぼの狭いあぜ道を歩いていたら…気づいたら後ろに交通渋滞を引き起こしていた。村の若者達は暗かろうとどうだろうとすたすた歩いてきてしまうので、我ら一行の後ろに停滞してしまったらしい。少し行くと、昨晩同様ギターを弾きながら語り合っている4人の若者がいた。みんな宵っ張りだなー。

月光で星が見えないのを嘆くF先生を慰めつつ一行は帰途についた。

さようならフィリピン

3月16日(木曜日)

関連画像 バーリック出発の朝。晴れ渡った空の下、棚田の稲が美しい。T先生と楽しくおしゃべりしながら最後の朝食。F先生とあれこれ打ち合わせをしながら、心なしかさびしそうな様子が気にかかる。T先生には、宣教地とそこに住む人々の中に根を張って着実に召された仕事に仕える宣教師の姿を見せていただいた。働きの上に主の守りと豊かな祝福がありますように。

今日のバーリックからバガバグセンターの旅は、村の人の協力でジプニーをチャーターしたので非常に快適である。ずーっと山肌を削って作った道を通ってゆくので、来る時は霧にかくされて見えなかった、道の片側が切り立ったがけになっているのがはっきり分かって壮観である。

途中、バナウエのとても美しい棚田の風景が見られるスポットにて記念撮影。しばらく行ったラガウエというところで村から送ってくれている(そして帰りにはバガバグで沢山物資を買って村に運んでいくと思われる)お兄ちゃん達と、定食屋でボリュームたっぷりの昼食を取る。みんな屈強そうな人達だが、おごられているせいか遠慮して沢山食べようとしない。強く勧められないかぎりがつがつするのはみっともないとう文化なのだろう。

関連画像 2時頃に懐かしのバガバグセンターに到着!主に感謝。お兄ちゃん達にお礼を言ってジプニーの上で記念撮影させてもらった。

山から下りて一気に暑くなった昼下がり、同じゲストハウスにて洗濯、シャワーと昼寝を楽しむ。

夕方からバガバグの町に出掛けることになった。夕方といっても西日が強く、田んぼで草を食んでいる水牛と同様わたしも体の表面が干からびそうだ…市場やお店の他にメソジスト教会、ミッションスクールに隣接するカトリック教会を訪問し、そこの神父さんと少しお交わりをした。

彼ももう40年以上ここで奉仕しているそうで、もう本国よりもこちらのほうが住み慣れた。とおっしゃっていた。T先生もおっしゃっていたが長年遣わされた所で生活していると、特に独身の場合、本国よりも現地の方に自分の居場所が確立してしまうということだ。この神父さんも「自分の宣教団体には、本国にリタイアした宣教師ばかりが集まって余生を過ごす施設があるのだが、誰もそこに行きたいとは思わない。私もここで今まで通りずっと思うように暮して行きたいと願っている。」と言っていた。

しかし一つ後悔していることは、ずっと英語で奉仕していて、ここの人の言葉を学べなかったということだそうで、今となっては不可能だが、来たばかりの若いうちに一生懸命学んでいればどんなに良かったかと思っている。という私達へのアドバイスだった。確かに現地の人と親しくなればなるほど言葉の壁がもどかしくなってゆくにちがいない。

センターで夕食後、久しぶりのミーティング。山岳民族の地で受けた恵みを分かち合う。

3月17日(金曜日)

今日はバガバグからマニラへの移動の日。早い朝食を済ませ、美しい朝焼けのなかメンバーの車で長距離バスのターミナルまで送ってもらう。みんな口数が少なくなっているのはカダクラン、バーリックに思いをはせているからか?あるいは疲労と眠気のためか?隣に座ったミチさんとそれぞれの日本の母教会の話をしつつ、いつのまにか深い眠りに落ちていった。11日前に来たときの逆のコースでバスは一路マニラに向う。

夕方頃今は見なれたマニラのバスターミナルに到着。一行はそれぞれ思い荷物を持って黙々と歩き、キリスト教書店に寄った後ジプニーでセンターに向う。

SILマニラセンターについて感謝の祈りをした時にはF先生を始めみんなの顔がホッとくつろいでいた。連日で移動が続くと神経と体力を消耗する。

荷物を整理して一息ついてからみんなでなんとはなく話をしていた。神様が世界中の教会に宣教の風を送り、動かしていらっしゃる中で、それを知らず国内の小さな視野で互いを分け隔てしてしまうのは悲しいね。それを避けるためにも、改めて互いの信仰を分かち合ったり、話題は変わってF先生の若者に送るマッチメイキングの話を聞いたり…。

そうこうするうちに夕食。その後タクシーでフィリピン宣教協会の事務局を訪れることになった。F先生は日本のフィリピン人クリスチャンの集まりの代表をされていて、その事に関して宣教師のハンナさんや、フィリピンの教会の牧師さん達と会議をするらしい。先生方が何やら重要な話し合いをされている間、私たち三人は事務局の建物内ツアーをしてもらい、ここで働いている姉妹方からそれぞれの任務や協会全体の働きを聞いていた。

このフィリピン宣教協会は、国内にあまたある宣教団体どうしのネットワークを結び、働きや情報を交換し、世界宣教のプロジェクトを効果的に進めるためにあるそうだ。また、国内の諸教会の宣教への関心の高さを調査し、それぞれの教会の状況とレベルに応じた資料や情報を提供してゆく働きもしているという。国内にごく限られた宣教団体しかなく、諸教会へのアピールもそれぞれが独立しておこなっている日本の現状を考えると、何とも夢のような話である。

ところでこの事務局の中には小さいながら日本宣教のための部門があり、私たちの知らないところで日本のために祈り、捧げ、労してくれている兄弟姉妹が祈ることを教えてくれた。

夜もふけてぐったりしていたミチさんと私に、スタッフの姉妹が声をかけてくれた。「会議はまだ2、3時間かかるだろうから上の部屋で横になって休んでいたら?」お言葉に甘えて二人は仮眠室へ。水瀬君はこの近辺を案内してもらい、フィリピン名物バルー(受精卵の中で半分ひよこが出来かかっているものをゆでた卵)を賞味したらしい。すごい!フィリピンのみんなからも「それでこそフィリピンに来た価値がある。」と喜ばれていた。

午後10時半頃インドネシア宣教の働きをしている姉妹が私達の部屋を訪れてくれた。私が10/40ウィンドウの国々に重荷を持って祈っていると話していたことに応答して来てくれたらしい。自分は導かれてインドネシアというイスラムの国で奉仕しているが、英語を教えながら賛美と証を分かち合うなかで多くの人々がイエス様を受け入れ、救われ救われてきていると、喜びに顔を輝かせながら語ってくれた。しまいに私達も起き上がって三人で祈ることとなったのだが、英語で、異言で互いにとりなしあう中で、御霊の豊かな注ぎを味わった。主の臨在に包まれ、母国語、文化は違っても、お互い大切な神の家族ということを知性をこえたところで実感し、嬉しくなった。

体は疲れているが霊は燃やされながら下に降りると、しばらくして会議を終えたF先生が出てきた。お疲れ様でした。

一行は11時を過ぎてもまだ活気づいたマニラの町をタクシーで通りぬけ、センターに戻った。

3月18日(土曜日)

いよいよフィリピン最後の朝。センターで朝食を済ませ、かばんに入りきらなくなったおみやげと、今にもあふれだしそうな思い出と、チャレンジを抱えてフィリピン空港に向かう。

免税店を歩き回りながら時間をつぶし、どうやら無事営業しているフィリピン航空432便、15:20マニラ発に乗り込み一路成田へ。20:45成田到着。振り返ればなんと移動と新しい出会いの多い旅であっただろうか。受けた恵みの多さを数えつつ感謝のお祈りをして解散となった。