ドキュメント

ここに私が、大鍔正枝

海外宣教という働きの分野を初 めて知ったのは、聖書学院に入っ てからである。興味があったので 海外宣教祈祷会のメンバーになっ てとりなす中で、いろいろ日本人 宣教師の事情を教えられていった。 ただし私はいつも海外宣教はその ための特別の賜物をもっている人 のすることで、国内宣教にたずさ わる人とは初めから別だという理 解をしていた。

しかし、主人との出合いは、こ の私の考えをかなり修正すること になった。世界宣教の幻に立たな ければ国内宣教も聖書的とは言え ず狭いものとなると気づかされた のである。それでも自分としては 祈りと献金による参加で満足して いた。

ところが主人から改めてウイク リフヘの献身の話がもち上がって、 私は海外宣教をいやおうなしに自 分自身のこととして考えなければ ならなくなったのである。それ以 来何度「できることなら避けたい」 という内なる声を聞いたことか。 ちょうど出エジプト記とイザヤ書 を読んでいたころ、私はそれまで になく痛く私のうちにある不信仰 を示されていった。建て前は神に 全面的に信頼する人生と言いなが ら、実際は人間的なものに頼りや すく、自己中心であること。みこ とばのない人々の叫びに無関心で あったことなどを責められた。こ ういった不信仰を悔い改めること で、私は新たに主の大宣教命令に 目が開かれていった。

さらに、まもなく主の再臨があ ることを信じる者として、私は主 のこられるまでに何かをしなけれ ばならないという危機感を持って いる。これまでの導きの中で、私 たちがしなければならないことの 一つは、みことばを持たない人々 にみことばの一部でも知らせるこ とだと教えられた。このビジョン の実現はウィクリフの働きに加わ る働き人が一人でも多く起こされ ることによって、それだけ早まる ものと確信する。

「ここに私がおります。私を遣わ してください]     イザヤ書6・8