ドキュメント

アブラハムのように、永井康子

1972年、私はオーストラリ アヘ旅行した時に、オーストラリ ア原住民について知りました。日 本に帰ってから彼らへの重荷が増 し祈っている時、宣教師としての 召命をはっきりと受けました。そ の時の私には教師としてどんな宣 教の働きができるのか、皆目わか りませんでした。けれども私は、 アブラハムのように示された地へ 出かけて行きました。1973年 6月のことです。

西オーストラリアの、主都パース にある神学校で学んでいる時、西 オーストラリア大学でオーストラ リア原住民に関する講座を聴講し、 講師の方からはじめてウィクリフ 聖書翻訳協会の名を聞きました。 その後ビザの更新に手間がかかり、 西オーストラリアの教育庁に勤め ることになりました。

オーストラリアのウィクリフ本 部では、多くのクリスチャンたち にウィクリフに対する理解を深め ていただくために、各州にウイク リフの代表者を置いています。そ の代表者の方が私の行っていた教 会で集会を持たれました。聖書を 翻訳するためには翻訳者だけでは なく、彼らを支えるために技術面 で多く働きがあること、そして翻 訳された聖書を人々が読むことが できなければ宝の持ちぐされにな るので、読み書き教育 (リタラシ ー)の仕事が必要であることを、は っきりと説明して下さいました。 その時私は、このリタラシーの仕 事こそ、私が教師として宣教のご 用にあたる道であることを知った のです。

私は主の導きを確信していたの で、1977年12月、教育庁を 辞職し、オーストラリアの西の果 てパースから東の果てシドニーヘ SIL(言語学講座)をとるため に行きました。その後すぐに、パ プアニュー・ギニアでのジャン グル・キャンプに参加、西オース トラリアにもどり、各教会を訪問、 そして、リタラシーとCCC・コ ースを終了後、日本の教会を訪問 して、1979年9月、北オースト ラリアの主都ダーウィンにあるS IL・オーストラリア原住民支部 に到着しました。オーストラリア 原住民に対する重荷を抱いてから 7年目でした。その間、主が着実 に私の行くべき道を開いて下さっ たことを思い返すたびに、感謝で いっぱいになります。

私は1979年11月、ヤニュ ワ族の読み書き教育のために遣わ されました。パートナーのカート ン女史はニュージーランドヘ 帰られましたが、、主の助けで私は ひとりでこのプログラムを進めて きました。1982年からガラワ 語の読み書き教育をも行なってい ます。ヤニュワ語の聖書翻訳には、 カートン女史が1962年からあ たってきましたが、非常に複雑な 言語の上に人々の協力があまり得 られず、翻訳があまりはかどって いませんでした。けれども私が遣 わされた時には、神様の御言葉を 自分たちのことばで読みたいとい う想いが人々の中に起こされ、ま た外部の方々のヤニュワ語に村す る関心が深まってきました。特に ヤニュワ語辞典の出版は非常に期 待されています。感謝なことです。 これからの奉仕のためにさらに主 の導きを祈っている毎日です。