ドキュメント

宣教の心 、永井敏夫(メンバーケア担当主事)

救急・消防隊員のストレス

今年8月新宿区歌舞伎町で起きた雑居ビル火災は、今年の国内の10大ニュースのひとつに数えられるだろう。この火災を扱った新聞記事の中に、次のような興味深いものがあった。火災現場に出動した救急・消防隊員の三人にひとりが、放心状態になったり夢でうなされたり、食欲低下や不眠などの症状を表しているというものだ。ベテラン隊員のコメントによると、隊員は日常的にストレスを感じていると言う。隊員の中には、「頼もしい」という目で社会から見られ、職場からは「弱音を吐くな」と言われ、逃げ遅れた人を助けられない時に「申しわけない」と感じるなど、さまざまなストレスを感じている者もいると記事には書かれていた。

宣教師のストレス

上記のようなストレスは、宣教師にはどうなのだろう?「宣教師にストレスはあるのだろうか?」「あっていいのだろうか?」これらの問いにあなたはどう答えるだろう。霊的な巨人と評されるウィリアム・ケアリーやハドソン・テーラーなどの伝記を読むと、偉大な宣教師たちもさまざまな困難の中でストレスを感じていたことがよくわかる。勿論、聖書の神さまに祈り、委ね、困難を克服していく姿には本当に学ぶところが多い。宣教師をケアするという考え方はほとんど皆無だった当時、彼らは数え切れないストレスの中で犠牲を払って福音を伝えてきた。そして今、神さまに心から頼って福音を宣べ伝えてきた多くの先達の故に、現在のキリスト教会があることも私たちは忘れるわけにはいかない。

宣教師や牧師は人々をケアする立場にいるが、その一方でケアを受ける立場にもいることを私たちは忘れやすい。霊的とか偉大とかいう言葉を使うとき、宣教師も牧師も生身の人間であるという部分が、私たちに見えにくくなっていたことはないだろうか。さらに、「ケアという考えは、宣教師の質を下げるものである。」という主張が、もし日本のキリスト教会にあるとするなら本当に残念である。

孤軍奮闘の勇士たち

アジアでは宣教師の数が急激に増加している。国によっては、宣教師の派遣団体も無く、訓練や支援体制が充分でないが軍隊のようにどんどん宣教師が派遣されている所もある。神さまの愛にのみ押し出されて出かけて行くが、後方支援も少なく、キリストの体なる教会とのつながりがあまりない場合も多い。「派遣され、忘れられている宣教師たち」もまだまだ多いという話をタイのメンバーケアの会議でも聞いた。子どもたちにもほとんど会えず、自分の辛い思いを聞いてくれる術もない地域で、孤軍奮闘しているアジアの宣教師たちのことを思うと本当に胸が痛む。

宣教師との心の距離

ウィリアム・ケアリーが家族でインドに出かけてから200年と少しが経過した。「信仰があれば、他の物は・・・」というあの頃に較べると、今は航空機やコンピュータや医療技術も格段に進歩している。地理的に、宣教師との距離も近くなっており、訪問したり、メールのやりとりも以前よりできるようになった。しかし、宣教師たちと私たちとの心の距離はどうだろうか?もし、宣教師も「ひとりの弱い人間」というあり方を忘れて「霊的」「信仰的」という言葉のみを私たちが使うならば、私たちの心と宣教師の心の距離は縮まらないのではないだろうか?私たちと同じ生身の人間として宣教師を見て具体的に助けていくことは、宣教師を信仰が足りない人間と見ることには決してならないように思う。

実際的なケアを

これからの宣教にITが欠かせないと言われているのと同様に、メンバーケア(宣教師とその家族のケア)も欠かせないものとなるだろう。宣教団体の中には、所属する宣教師たちに対してケアをするスタッフを置き始めている所もある。世界福音同盟、アジア福音同盟でも、メンバーケア従事者のためのセミナーやワークショップが開催されるようになってきた。宣教師自身が本国のクリスチャンたちに覚えられ、祈られているという事実に加え、これからは、今私たちができる実際面のケアを考えていく必要があるように思う。継続的な祈りと具体的なケアを続けていく時、私たちと宣教師との心の距離はより近くなっていくのではないだろうか。そしてさらに、私たちの心が宣教地の人々の心に近づいていくことにつながっていくのではないだろうか?

血の通った心で

ケアをすることは、宣教師たちの霊性を低く見ることでも、低くしていくことも決して無い。私たちは、誰もがキリストの愛を受けて今生かされている。そして今、世界でキリストの愛を伝えている宣教師たちに、私たちも血の通った心で接していこうではないか。血の通った心こそ、イエスキリストが私たちをご覧になっている心ではないだろうかと思う。

具体的な方策について

宣教師の出発から帰国後まで、私たちにできる具体的な事柄については、 日本ウィクリフ発行の「送り出す者として」(頒価1,000円)に記載されており、この本を用いてのセミナーも開催可能です。本を手に入れたい方、セミナー開催に興味のある方は、事務局までご連絡ください。

『聖書ほんやく』、202号掲載