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ひとりひとりがパートナー パプアニューギニア支部総会に出席して、永井敏夫

ひとりでの訪問

関連画像 3月下旬パプアニューギニアを訪問した。毎年7月に実施の宣教地体験学習旅行の引率でこの国に来ているが、ひとりでの訪問は初めてだった。ポートモレスビーからセスナ機に乗り、蛇行する河川、起伏のある山々、村人たちの散在する家々を見るとほっとする。思いをはせること90分ほどでウカルンパに到着した。今回の訪問は、2年に一度のSIL(ウィクリフと姉妹関係にある現地で働くNGO)総会に参加のためだったが、こちらの日程の都合上始めの部分のみに出席した。行くまで知らなかったのだが、総会のテーマは「互いに励まし合う」だった。45年の歴史を持ち、600人以上を抱える世界最大級の支部であるパプアニューギニアの総会のテーマとしては、従来のものと異なる響きがあった。

ひとつの目的のために

総会のスタートでは、団体の存在理由、団体の存在価値、年度ごとの到達内容などを、10人ぐらいずつに分かれて話し合い、まとめ、発表する時があった。この小グループでは、翻訳宣教師も、読み書き教育者も、学校の教師も、クリニックの医師も、パイロットも、自動車修理の専門家も、共に考えて、意見を出し合った。グループで出された意見には、効率重視という観点からの物も少しあったが、それぞれの立場で聖書翻訳というひとつの目的のために真剣に考えを出し合う姿は、キリストにある共同体の一員である自覚の高いことの現れだった様に思う。

どちらも大切

一方、参加者が集っての朝の賛美と祈りの時、そして日曜日の礼拝などでは、天国の前味とはこういうものなのかと感じた。神様の臨在の中で、「パプアニューギニアそして世界中の聖書翻訳宣教が進んでいくために一番大切な原動力は、イエス様の愛なんだ」。と思った。組織的な分析や計画、そして押し出されていくためのイエス様の愛のどちらも大切なことを改めて教えられたように思う。

励ましあうこと

今回の総会の講師であるデイビッド・リー博士は、韓国の方でアジアからの初めてのスピーカーだった。彼のメッセージを聞きながら、「励ましあうこと」について考えてみたことがある。ウィクリフのメンバー同士、宣教地の村人たちとメンバー、そしてメンバーと日本ウィクリフ、メンバーと支援している日本の諸教会の関係についてだった。それは、私たちは誰もが「互いに励ましを与え合う パートナー」であり、また「互いに励ましを受け合う間柄」であるということだ。イエスさまから愛と励ましを受け、それを携え、人々に仕え、祈り合い、祝福しあい、神の愛を伝えていくことが、私たちひとりひとりが救われ、生かされていることの証しなのだと思わされた。

神様とヴィジョン

ヴィジョン2025と聞いてもよくわからなく、また漠然とした感じのする人も多いかもしれない。確かにこのヴィジョンでは、目標やゴールに向けての計画に重きが置かれているが、だからと言って、人間的な思いや力量からのヴィジョンでは決して無い。大切なことは、神様がご自身のみわざを成しておられるということを信じ、このヴィジョンを神様からのものと受け止めることではないだろうか?

私たちの存在

召しが与えられ、訓練を受け、情熱を持って実際に世界に出かけていくメンバーたちが必要なことは勿論だが、日本の諸教会の兄姉たちの存在無くして、聖書翻訳宣教は決して進まない。また宣教地で聖書翻訳者たちを受け入れ、翻訳に協力している村人たちの存在も忘れてはならない。彼らの存在も、メンバーにとっては励ましであり、支えでもある。さらには、村人たちにとってもメンバーたちからの励ましが必要であると言える。この三者のどれが欠けても聖書翻訳の業は進まないし、ヴィジョン2025の達成もあり得ない。聖書翻訳宣教という大きな流れの中で、ウィクリフのメンバーである宣教師たちも、宣教地の村々の人々も、日本で祈り支援してくださる兄姉たちも、ひとりひとりが大切なパートナーであることを深く教えられた総会出席だった。

主の定められた時まで

パプアニューギニアのある日本人メンバーは次のようなことを述べている。「ヴィジョン2025は、最終目標ではなく、主が再び来られる時まで、あるいは主が良しとされる時まで続けられる働きである」。旧約聖書の中で、城壁の修復をするネヘミヤにひとりひとりが協力した記事は私たちを励ましてくれる。聖書をひとりでも多くの人々に母語で届けていくために、私たちは主のわざに加わっていることを覚えようではないか。パプアニューギニアには、現在19カ国からの働き人が遣わされて共に労しているが、来年には21カ国に増加する予定と言う。日本の教会からもさらに働き人が起こされ、パプアニューギニアに、そして世界に遣わされるように心から願って止まない。働きの種類は体の部分ほど多いが、主の御名が崇められるためにひとつ心になり、主の定められた時まで共に歩み続けようではないか。

『聖書ほんやく』、200号掲載