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宣教の主が遣わした子供たち、永井敏夫

はじめに

関連画像 事務局に1965年の創刊号からの「聖書ほんやく」のバックナンバーがあるが、 今回は子女教育にスポットを当てて今までの推移を追ってみたい。

教育形態の紹介

1981年7-8月号NO.85に 「ウィクリフでは、現地でのメンバーの子供の教育はどうしていますか?」という問いが登場する。 その答えとして、村での通信教育、センターの学校に通学、 そして都市部にある現地校かインターナショナルスクールで学習という3種類があることが紹介されている。 また「ウィクリフセンターで教師として奉仕したい方は、今すぐ事務所までご連絡ください。」という奨めもある。 同じページに鳥羽ファミリーの写真が掲載されているが、当時小学生だった3人のお子さんは現在みな社会人になっている。

緊急の課題として

それから1年半後の号に「福田夫妻の2人のお嬢さんのために教育宣教師を募集中。」(1983年1-2月NO.94)という記事を見つけた。 「ウィクリフの働きの中で、緊急な課題は宣教師の子女教育です。教師のいない所では、 親が教育に時間をさかなければならず、それだけ働きが遅れてしまいます。 教育宣教師に間するお問い合わせは今すぐ事務局へ。」と、緊急の課題として取り扱われている。 そして翌年、この必要に応えて小林(現在、福永)貴恵さんがフィリピンに教師として派遣されている。 ほぼ時を同じくして、小さい子供のいる家族が続いて派遣されていくようになった。

母親の願い

インドネシアが奉仕地の田口孝子さんは、宣教師としてそして母親としての苦労を述べた後、 次の様に書いている。(1988年9-10月NO.128) 「私たちがマルクでの主の働きに積極的に加わっていこうとすれば、何らかの犠牲は伴うが、 何とかして工夫して子ども達が喜んでこの地で育っていけるようにしたいと思っている。 それ以上に子供たちがこのような環境の中で育つことをむしろ特権と思うように育ってもらいたい。」

家族で1チーム

田口孝子さんはまた、子供の存在について「子供たちの存在は村の人たちの緊張をほぐし、 彼らが気軽に私たちの所に来るために大きな役割を果たしてくれた。 私たちに憩いを与えたり、気落ちした時、元気づけのビタミンになってくれたのも子供たちである。 だから私たちは子供を含めて家族で1チームだと感じている。」と述べている。 「子供は元気づけのビタミン。子供を含めて家族で1チーム」という表現に、 イエス様も「そうなんだよ。」とうなずいておられるような気がする。

パプアからの呼びかけ

1981年から10年目に「教育宣教師急募!」(1991年11-12月NO.147)の題で、 教師の必要を説く大鍔正枝さんの記事が掲載された。 児童憲章の一節から始まっているこの記事は、最後に「あなたの尊い時間を、 宣教師の子どもたちの教育のために捧げてくださいませんか。」で終わっている。 ここにはパプアニューギニアの5人の日本人小学生の写真も添えられていて、 まるで「誰か早く僕たちの所に来てよ!」と言っているかのようだ。 この後、短期奉仕者が与えられ、さらに3家族のフルタイム教育宣教師が続いて派遣されてきた。 彼らは、インターナショナルスクールに於いて日本人子女に限らず様々な国々からの子女に関わってきている。

主に派遣された子供たち

パプアニューギニアで奉仕した福原(現在、遠山)さゆりさんは、 現地からのレポート(1993年9-10月NO.158)で次のように述べている。 「神様は、子供たちを単なる宣教師の付属としてここに送られたのではなく、 一人一人に特別な目的を持って、教会を通して派遣されたのだと、私は考えています。」 7年前の記事だが、主が特別な目的を持ち子供たちを派遣し続けておられることに、今も変わりは無い。

信仰の継承

”主に遣わされた子供たち”のために、私たちはどう祈ればいいのだろう。 イエス様が一番願っておられること、それはひとりひとりの子女が、自分の救い主としてイエス様を受け入れ、 主との交わりを持ちながら歩むことではないだろうか。 このことは親が一番願っていることでもあるはずだ。信仰の継承がなされていくことを願わない親がいるだろうか。

21世紀に向けて

今まではどちらかというと、教育を含めての家族へのケアーは宣教活動の陰に隠れていたとも言える。 それぞれの教団、宣教団体ごとによる独自の取り組みも勿論なされてきたが、 今後はさらに互いの協力、意志疎通が必要なのではないだろうか。 継続して現状を分かち合い、祈り合う中で、何が必要なのか、 そのためにはどうしていったらいいのかが見えてくるように思う。 この程JOMA(海外宣教連絡協力会)主催で「ふぁっつMK」が開催されたが、 日本でも少しずつ動き出していることは、本当にうれしいことだ。

世界の様々な宣教会議においても、家族へのケアーの必要性が語られるようになってきた。 宣教師(家族を含め)へのケアーと宣教が不可分であることが認識されてきたからだ。 宣教の歴史の長い欧米、そして意識や関心が高まり始めたアジアの担当者との継続的な連携を、 さらに深めていくことが21世紀には不可欠だろうと思う。