ドキュメント

かえって福音が前進する、松村隆、2002.3.5

ウィクリフの翻訳者ジョン・ミラーさんが、ベトナム戦争の時、捕虜になり、後に解放されてインタビューを受けたとき、こう聞かれたそうです。「ミラーさん、捕虜になってこわくなかったですか。」「いいえ、主が導いてくださっているところが一番安全なのです。」と答えたそうです。

私は、昨年6月末家族と一緒に帰国しました。原因不明の病気の為もうインドネシアで奉仕を続けていくことができないと判断したからです。娘のゆり子は、喜びました。また一緒に生活できると思ったからです。でも、一番下の純には、猛反対されました。イリアン・ジャヤでの高校生活(日本では、中学3年)をとっても楽しんでいたからです。私たちも、これからどうなるかという人間的な不安と、16年間着実に導いてくださった主が居られるゆえの平安もありました。

それから、10ヶ月後、2001年4月1日、不思議な導きで、埼玉県と群馬県の県境の児玉郡に一つしかない教会の牧師として赴任しました。不思議と言いますのも、私たちのビジョンは、イラルトゥの働きを続けながら、牧師ができるところと考えていたからです。いったいそんな教会がこの世に存在しているのかと思えましたが、児玉福音自由教会の兄弟姉妹は、そのビジョンを受け止めて私を招聘してくださいました。

翻訳宣教師から突然牧師になるのには、戦いがありました。毎週波のように繰り返し「襲ってくる」聖書のメッセージの奉仕に、圧倒され礼拝の前に、吐き気を模様し、主に祈って震えていたこともあります。その朝、司会の役員さんと奏楽の夫人が真剣に祈ってくださいました。20年前に2年間の牧会を経験しましたが、すべてが新しい経験でした。そして、主の不思議な方法によって、前橋の狩野和夫先生、カウンセラーの山口勝政先生、そして、マリヤクリニックの柏崎良子先生方を通して原因不明の病気が診断されました。低血糖症であると診断され、食事療法によってこの1年でかなり、回復をしてきたものの、無理の利かない体をもって牧会をするのもチャレンジでした。ところが、主が導いてくださったところは、最高の場所であり、安全な場所でありました。確かに、主は、その御手をもって着実に導いてくださいました。

今は、神様ってこんなにすばらしい方なのかと感激しています。「松村先生は、インドネシアから来られたので、許せる。」と何年も教会を離れていた方が、言ってくださったことは、確かに主がここに導いてくださったという神様からの声でも、ありました。姉妹は、今年もう一度主のところに戻ってきました。メッセージも、守られています。結婚式や洗礼式もありました。また、チャリティコンサートには、献堂式以来という人が集まり、チェロ奏者の黄原亮司さんの演奏と証しに耳を傾けました。何よりも、教会に集う方たちの内に、インドネシアで働いてくださった同じ主が働いていてくださるのを見せていただき感謝です。年の終わりに、振り返ってみて、確かにヨシュアを導かれた主が、イスラエルの民がヨルダン川を渡ることができるようにされたように、主が、児玉教会の方々を導いてくださったなと感じています。(私ではなく)

イラルトゥの働きを続けるにあたり、ウィクリフの日本委員会が私たちをウィクリフの協力メンバーとして留めてくださったので感謝しています。翻訳を続けているヨハン兄とは、なかなか連絡が着きません。8月彼が送ったヨハネ伝1−5章の初稿は、着きません。逆に私が送った手紙も彼のところに着きません。ヨハン兄の奥さんが木から落ちて骨を折りました。日本に居て、経済的に、また、釈義のヨハン兄を助けていこうとしていますが、なかなか大変です。でも、児玉福音自由教会に導かれたときに、主は、一つの確信を与えてくださいました。ピリピ書1章12節「さて、兄弟たち、私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。」投獄によって福音がかえって進められたのを見たパウロのことばは、日本に帰ってこなければならなかった私にとって大きな励ましです。きっと、イラルトゥの

人々のためにも、児玉福音自由教会のためにも、主がすばらしい福音の前進を見せてくださると信じます。