ドキュメント

識字教育−パプア・ニューギニア ワシラオ村、久米のぞみ、1999.3

私は、1994年2月に第一期の奉仕に向けてパプア・ニューギニアへ旅立ちました。マダンにて15 週間のパシフィック・オリエンテーション・コー スに参加しました。ニューギニアの歴史、文化、 公用語であるピジン語、また医者のいない所での 生活が始まるため、熱帯病について学びました。 コースの9週間は、ニューギニアの生活様式に慣 れるためにニューギニアの人々と生活を共にしま した。

15週間のオリエンテーション・コースの後は正 式に西ニューブリテン島にあるアタ語地域の識字 教育宣教師としてワシラオ村に派遣されました。 ニューブリテン島はラバウルのある島で、第二次 世界大戦の時に激戦地となった地域です。

アタ語を話す人々は約2000人、15の村々に散ら ばって住んでいます。識字率は約60%で、多くの 子供も大人も読み書きができません。村の人々は 焼き畑農業を中心とし、自給自足で生活を営み、 タロ芋、さつまいも、バナナ等を栽培して日々、 暮らしています。

1992年に故橋本一雄宣教師と協力者の故モーリ ス・カバさんがアタ語小学杖準備絞を始め多くの 子供達が母語であるアタ語での読み書きを覚え始 めました。この学絞は1996年1月に州政府より認 可され、近隣の母語教育のモデル校として用いら れています。しかし大人の人々の中にもまだ文盲 の方々が多くいます。私は1995年4月から、ワシ ラオ村での生活を始めそれと同時に大人の識字教 育を始めました。40人近い方々が4つの村から集 い熱心にアタ語の読み書きのクラスに参加し、「創 世記」からの抜粋の絵本に耳を傾けました。中に は2時間もかけて歩いてくる方々もたくさんいま した。この大人の識字教育のクラスが始まると同 時に、私は現地のマトワさんとペレトトさん達と のアタ語の生活が始まりました。電気、水道、ガ ス、冷蔵庫のない生活で、マラリヤや皮膚病と戦 いながら一日一日を過ごしました。水運びを始め、 生活のあらゆる面で村の方々が助けて下さり心を 配って下さいました。

1996年3月からは2年半にかけて、SIL のセンターにて「母語のスーパバイザーを養成 するコース」が開催されアタ語地域からは、ガラ ・カシラさんと故モーリス・カバさんが参加しま した。このコースを昨年8月に終了したガラさん は現在アタ語の小学準備校や大人の読み書き教育 クラスの先生達の養成と訓練を続けています。モ ーリス・カバさんは最後のコースを目の前にして 突然1997年12月に天に召されました。

アタ語の聖書翻訳の働きは橋本一雄・千代子宣 教師が1984年に派遣されて以来、進められていま す。1996年1月には、アタ語新約聖書の分冊(マ ルコ、T・Uテモテ、テトス、ピレモン)が献呈 されました。私達の思いをはるかに越えた主の御 計らいを知ることはとても難しいことです。1997 年1月16日に橋本一雄宣教師は天に召されました。

橋本千代子宣教師は、その後2人の高校生にな るお子さん言葉さんと羊助君と共にアタ語の聖書 翻訳を続けるためにパプア・ニューギニアへ戻っ てこられました。翻訳協力者のルパシさん達は、 千代子宣教師の信仰に励まされ働きを続けていま す。これからも、新しい力が与えられ、私達がア タ語の聖書翻訳と識字教育を進めていくことがで きるように、アタの方がアタ語で聖書を読むこと ができるようにお祈りに覚え下さい。