ドキュメント

ウィクリフでの経験、喜友名恵嗣、2001.12

関連画像 私は、2000年6月から2001年2月まで英国ウィクリフセンターでボランティアをさせて頂いた。私の仕事はゲストハウスの掃除とベットメイキング、トイレ掃除だった。月曜から金曜まで毎日8時間働いた。

さすが英国だと思ったのは、10時半と3時半にはどんなに忙しくてもティーブレイクをさせてくれる事だった。さすがウィクリフだと思ったのは、火曜を除く月曜から金曜までボランティアの仲間と朝食後のモーニングデボーションが行われ、火曜の昼は施設で働く人全員でのフェローシップがあり、水曜と木曜の夜には自由参加の祈祷会や賛美集会があった事だった。

フェローシップでは新しく来てくれた人を歓迎し、私も歓迎された。非常にうれしかった事を覚えている。また、世界中でのウィクリフの活動が報告され活動内容を知る良い時となった。

関連画像 このように書くと、いかにも私の英語が堪能な印象を与えるかもしれないが、本格的に英語を学んだ事はなく、大学で単位を取るだけのためにとった授業の知識だけで飛び込んだ。しかし、皆同じなのだ。スウェーデンやスペインなど英語を母国語としない国の人達が英語の学びを兼ねてやってくるので、皆でたらめな言葉をしゃべる。私でも着いて二日目にはイタリア人のルームメイトとフィンランドやイギリスの女の子達を相手に議論していたのだ。いつも夜は食べたり話したり、誰かの誕生日にはパーティーを開いたりと楽しかった。

振り返ってみると、言葉よりも文化の壁のほうが厚かった。ウィクリフのセンターにいる人達は皆親切でこっちがおかしな英語をしゃべってもしっかり聞いてくれる。伝えたいという気持ちがあれば、単語が分からなくても、身振り手振りで理解し合う事が出来た。少しずつ言葉を覚えていくうちに自分はやはり外国人の一人だという事を思い知らされてきた。相手が面白いと思う事が自分には理解できない。皆が笑っている中で何がおかしいのか全然わからない孤独感は恐ろしいものがある。どんなに食事がおいしくてもたまにはお米が食べたいと言う気持ちは誰にも理解してもらえない。言葉が話せるようになればなるほど、自分を深く理解してくれる人が誰もいないという事がますます明らかになっていき、どんどん気持ちが暗くなりつらかった。「存在の不安」なんていう哲学的な言葉がリアルに感じられた。文化の壁の厚さに打ちのめされそうになっていた時、祈祷会へ行った。そこでスペイン人のマリアンが証をしているのを聞いて、私は大きな感動を覚えた。そこには同じイエス様がいたのだ。

関連画像 そして、私は文化の壁を打ち破って理解しあうことが出来る事を発見した。イエス様の事である。皆色んな違う考え方や生活の中にあるが同じイエス様を見上げ、助けていただき、賛美する。自分の心の深いところの悲しみや喜びを、理解し合う事が出来る事があったのだ。

イエス様のことや聖書の事を話す時、言葉が違っても皆同じメッセージを知っていた。私は苦しい時や孤独を感じる時友達に祈ってもらうようにした。祈祷会でも良く証をするようにした。そして分かち合う喜びを知った。信仰の友が出来た。僕のルームメイトでイタリア人のドミニコは宣教師になるために、今オーストラリアにいる。スペイン人のアンドレスは牧師になるため、オランダの神学校に行っている。

日本に帰ってきてからも時々メールのやり取りをする。私は一生の友を得た。この経験を与えてくださった世界中で変わらないイエス様の御名を賛美せずにはいられない。