資料室

MACTS(異文化コミュニケーショントレーニング)、兼次宏枝

キャンプでの様子

3月1日〜4日までは、キャンプでした。去年私が行ったミッションポッシブルのようなキャンプです。MACTS(異文化コミュニケーショントレーニング)に参加する人は必ずこのキャンプに参加することになっています。参加者は、MACTSに参加する人も含めて20人、ほとんどがマレーシアの人です。私のほかに一人だけ韓国の人がいましたが、彼は両親が宣教師で15歳の時にマレーシアへきたと言うことですから、ほとんどマレーシア人と変わりません。

マレーシア人と一言で言っていますが、実はたくさんの民族・言語があります。大体マレー系と中国系が半々ですが、インド系の人もいます。ともあれ、ほとんどマレー語と英語を話せるので(何人かは広東語も)、私だけが外国人のようなものです。実際、3年前にMACTSを始めて以来、日本人は初めてだそうです。でも、講師として石川先生ご夫妻がいらっしゃるので、かなり助けていただいています。それに、ここに参加している人達は、みんなとても親切で忍耐強いので、なんとか萎縮しないでやっています。

キャンプでの恵み

特に、良いと思ったのが毎朝のデボーションのやり方でした。2つのチームに分けて、一方は部屋の中で講師の証を聞き、もう一方は外で聖書を読んで待っています。その後、互いに別のチームのパートナーを探して自分の学んだことを分かち合います。毎朝、違う人とペアになって分かち合い祈りあうことは、とてもよい経験でした。それに一対一だとリラックスして話せるので、うまく意思の疎通ができるのでかえって気が楽です。国も文化も違うのに、同じ神様を信じていることで兄弟姉妹になれるなんて、実はものすごいことですよね。

今日からMACTSが始まりました。ますます内容は難しくなっていくようですが、自分でも不思議なほど落ち着いています。いまさら英語力が無いことをなげいても仕方が無いと言うこともあると思いますが、神様が助けてくださっているのだと信じています。引き続き、英語が上達するようにお祈りください。

以前は、自分は特に話したいことが無いから英語が上達しないんだと思っていたし、別に話したいことが無いんだからそれでもいいかと思っていたけれども、ここへきて、自分はこの兄弟姉妹たちとたくさんのことを分かち合いたいと思っています。こういうふうに思えるようになったのは、自分が変えられたからだと思います。

MACTSでの学び

今日は、今日から始まった授業について少しお話します。 タイトルは、Mission Principles&Principles&Strategies(日本語では「宣教の原則と方策」)講師の先生は、Mr.Gareth Boltonという、Operation Mobilization(O.M.)U.K.の方です。

さて、宣教と聞くとすぐに思い浮かべるのが、マタイ28:1920の宣教大命令ですが、この他に宣教について書かれている箇所はどのくらいあるでしょうか?例えば、旧約聖書には?私はかつて、旧約聖書にはそのようなことは書かれておらず、宣教が始められたのは新約の世界になってからだと思っていました。講師の方も、子供の頃宣教師が日曜学校にやって来た時はいつもマタイの28章を引用していたので、そこにしか書かれていないから宣教師になる人が少ないのだと思っていたのだそうです。けれども、実は、最初から最後まで、創世記から黙示録まで、聖書のすべてを通して語られているのは、「世界中のすべての人に福音を述べ伝えなさい」ということなのです。この授業は、そのことをじっくりと確認し、これまで宣教と言うと宣教大命令を思い浮かべていた、そのイメージをいかに変えるか(いかに変わるか)というものなのだそうです。

今日は初日ですから、もちろん創世記から始めました。創世記の一章には、ご存知のように天地創造について書かれています。日曜学校でも、何度もお話したところですが、宣教について何か書かれていたでしょうか?創世記1:26には、神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう」とあります。英語では、"Let us make man in our image"とあります。これは、必ずしも顔かたちがそっくりと言うことではないそうです。手に光をあてて壁に影を映すと、それがどういったものかはわかるけれども、細かいところまではわかりません。神様とはそっくり同じわけではないけれども、それを見れば神様がどのような方かわかる、そんな神様のご性質(愛、寛容、柔和、etc)を映す者として、神様は人を造られたのです。そして、神様はさらにおっしゃいました。「生めよ。ふえよ。地を満たせ」さて、神様のご性質を映す者がこの地上を満たすとは、どのようなことでしょうか。こうしてみると、確かに創世記の1章から、神様は私たちに福音を述べ伝えなさい(地上のあますところなく、神のご性質を映す者が増えること)とおっしゃっていることがわかります。

これから、どのように授業が進んでいくのか考えるとワクワクしませんか?(授業が受けられないのにワクワクさせてしまって、申し訳ありません)と言うわけで、初日から新鮮な驚きと、さらにこれから先の授業への期待をもって始めることができました。感謝。

村での実習

4月19日から4日間、実習がありました。これは、実際に村へ行って、そこで村での生活や彼らの言葉を学ぶものです。

村の様子

私たちが訪れたのは周りを熱帯雨林の小高い山に囲まれた小さな村で、ほとんどの人は高床式の竹の家に住んでいます。熱帯雨林の中での狩猟採集が主で、ほとんどの家が鶏を飼っていましたが、どちらかと言うとペットのようなもので、自分達で食べることはせず村の外へ売るのだそうです。マレー語を話せる人もいましたが、話せない人が多く、自分たちの言葉でも読み書きのできる人はあまりいないようでした。

村のご家族

私がお世話になった家族は9人家族で、6畳一間に床の間をつけたくらいの大きさの、高床式の木の家に住んでいました。ご夫婦と、その息子さん夫婦と娘さん、息子さん夫婦の子供が4人です。息子さん夫婦はどちらも20代初めで、一番上のお子さんは8歳と言うことでしたから、随分早くに結婚したのでしょう。

いつも不思議に思ったのが、食事時にいつも子供の顔ぶれが違うことです。この家に4人子供がいることはわかっていましたが、いったいどの子がそうなのか、顔ぶれが違えば数も違って、結局一番上と一番下の子は顔を覚えることができたのですが、間の二人は最後までどの子がそうなのかわかりませんでした。皆親戚や近所の家を気軽に行き来しているようで、食事もその時にいる家で食べているようです。実におおらかですよね。

村での交わり

最初の夜、副牧師さんや村の青年たちがたくさん訪れ、いろいろとお話を聞くことができました。興味深い話をたくさんしていただいたのですが、一番心に残ったのは副牧師さんが言った次の言葉です。

「戦争の時以来、日本人がこの村に来たのはあなたが初めてだよ。昔、日本人は刀を持ってきたもんだが、今回、日本人は聖書を持ってやってきたのだから本当にうれしい。日本にクリスチャンが少ないと聞いているから、私たちも日本のために祈ろう」

自分たちよりずっと豊かな国で暮らしている者のために、しかもその昔恐ろしい思いをさせた者の救いのために祈ってくださると聞いて、感謝で一杯になりました。その一方で、わが身を省みると、もし自分が同じ境遇だったとしたら彼らのように祈れるだろうかと思い、また日々の生活の中で他の人のために、特に他の国の人のために祈ることを忘れがちであることを示されました。実は、自分1人マレー語を話せないために、他の人の通訳に頼るしかなく、一緒に話しに加わる事が難しいこともあって、かなり欲求不満になっていました。が、ほとんど言葉でコミュニケーションができないにもかかわらず、私が村へ来た、ただそれだけのことで、村の人達が喜び、日本のために祈ってくださる...。ここへ来られて本当に良かったと心から感謝することができたのです。それまで、暗く沈んでいた心がすっかり軽くなりました。

実習での恵み

今回の実習では、以前ネパールの宣教地体験学習旅行へ参加したこともあり、生活面では自分でも大丈夫だろうと思っていたし、実際何の問題もなかったのですが、言葉の壁が2重(英語とマレー語)になったことと、パートナーを通してしか自分の意見を言えない、また必ずしも自分の意見が反映されないことによるストレスから初めの二日間はかなりきつかったです。が、そのことで自分の弱い部分を改めて示され、またそれを友達と話し分かち合うことで、客観的に自分を見つめなおすことができたことは、本当に感謝でした。今回のことは、神様が私に、自分自身の弱い部分を示し、そのために祈ることを教えるために用意されていたのだと思っています。

MACTS終了

2ヶ月間にわたる異文化コミュニケーション・トレーニングも、4月28日の卒業式をもって終了しました。初めの一ヶ月間はとても長く感じられましたが、後半一ヶ月は、あっという間でした。実際、あまりの速さについていけずおろおろしている間に終わってしまったと言う感じです。もう少し時間をかけて2ヶ月間を振り返りながら卒業式を迎えたかったのですが、そういうわけにはいきませんでした。というわけで、これからじっくり思い返していきたいと思います。

このMACTSで私が一番感謝していることは、このコースが私にとってまさしく実地の異文化トレーニングだったことです。毎日授業で学んだことが、実際の生活の中で必要になり、実践することができたことです。特に、異文化適応についての授業や、自身の霊的な成長のための授業は、自分の状態を客観的に見るために大変役にたちました。

また、参加した一人一人の証を聞くにつけ、神様がそれぞれをとてもユニークな方法で導いてくださっていることを改めて確認することができ、とてもうれしかったです。一人一人に特別な道を用意してくださり、それぞれの道がその一人一人にぴったりとあった道なのだから、その細かい配慮には驚くばかりです。

時に、キャンプなどのクリスチャンの多く集まる場所では、自分と人との違いに戸惑ってしまうことがあります。違う国のクリスチャン同士となるとさらにそうなのですが、これまでの来し方や、礼拝のやり方、賛美や祈り方までかなり違っていることがあります。どれが良いとか悪いとか、またふさわしいかふさわしくないかということではなく、誰もが一番その人にふさわしい導かれ方をしたのだし、それぞれが神様との個人的な関係を築いているのです。わたしも初めは驚いたり戸惑ったりしたのですが、どんなに人と違っていようと私は自分と神様との関係をしっかりと見つめていればいいのだということを、色々なことを通して何度も教えられました。もちろん、良いと思うことはどんどん取り入れればいいのだし、同じようにしないからといって劣っていると思う必要もないのです。神様も、それぞれに配慮して様々な方法を用いてくださっているのですから。

というわけで、MACTSも、神様が、私のあらゆる必要、私が感じていたことも、気づかずにいたことも、すべてを満たしてくださるために用いられた特別な方法のひとつだったととても感謝しています。

兼次宏枝を支える会 会報「クレーマ」2001より