ドキュメント

別れ、そして再会、永井敏夫、2002.9

私たちは互いに励ましや慰めをもらい、そしてこれらを互いに与えて生きている。その最小単位が家族だと思うが、今回は母と子について考えてみたい。

日本ウィクリフの女性メンバーが同じ志を持つインドネシアの男性に出会い、昨年日本で結婚した。その後、この夫婦は日本に滞在し、今年3月に女児が誕生。地方教会で牧会をしている彼女の両親は、孫と娘夫婦との交わりを心から楽しんでいたという。約1年の月日が経ったこの6月、第二期目の派遣式が母教会であり、私も出席させていただいた。主を信じる者として信仰によって娘夫妻と三ヶ月の孫を送り出す心に加え、できたらもっと共にいたかったという両親の心がひしひしと伝わってきた。「別れの時があるから今まで一年間、貴重な日々が送れました。寂しさはありますが、今、主に明け渡すことができます。」という母親のことばが、本当にさわやかに響いてきた。

この半年の間に、母親を亡くした日本人メンバーがふたりいる。ひとりは、奉仕地から急遽呼ばれて帰国し、しばらくの間日本に留まり、天に召される母親を看取った。看病しながら彼女は、毎晩のように深夜にメールで様子を伝えてくれた。彼女曰く、「病室は毎日が聖会会場のようで、賛美と感謝と祈りの珠玉の時だった。」という。前夜式のメッセージで語られた「神さまの恵みの見本として生きた」ということばに、私の心は暖かいもので一杯になった。

もうひとりのメンバーは、事情があって日本に帰国できなかった。葬儀の当日、ひとり寝室で式次第に従って賛美をし、聖書を読み、靜かに別れの時を持ったという。母親が召される数日前に、奉仕地からの国際電話で交わした言葉が最後だったそうだ。ベッドに横になっている母親の電話口から繰り返されのは、「大丈夫」ということばだったという。「イエスさまが一緒だから私は大丈夫。あなたもイエスさまに愛されてるから大丈夫よ。元気を出して。」という気持ちの入った「大丈夫」だったように私には思える。自宅の近くの教会で行われたささやかな葬儀は、キリストの香りが満ちた集いだった。

愛する者との別れは、寂しく、また時として悲しい。その人と今度会える日が来ることを誰もが願うが、心待ちにしていた人と地上で再会できないこともある。しかし、この地上ではたとえ会えないとしても、天の御国での再会の希望が私たちにはある。別れの時にも、そしてそれが地上であれ天国であれ、その再会の場に、主が共にいてくださるとは、なんという励まし、そして慰めであろうか。

母たちとの再会の時を心待ちにしつつ、上記の女性たちは今日も奉仕地で主の証し人として生きている。

わたしは、あなたを地の果てから連れ出し、地のはるかな所からあなたを呼び出して言った。「あなたは、わたしのしもべ。わたしはあなたを選んで、捨てなかった。」恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。 イザヤ書41章9・10節