ドキュメント

日本人、タロいも、聖書翻訳、橋本一雄、1985.1

「もしもかめよ、かめさんよ‥‥」の歌をワシラオ村の一 老人マゲさんから聞いたのは、ほば一年前でした。この村で 働く可能性を探りに約5週間住んだその時でした。私達がパ ブア・ニューギニアのニュー・ブリテン島を選んだその第一 の理由は、かつて私の父が戦時中ラバウルに居たことがあり、 小さい時から父にその島のことを聞かされていたからです。 このマナさんは驚いたことに私の父を知っているとのことで す。私の父は17才で志願兵としてラバウルに行きまLたが。 このマナさんは日本軍の側でやはりラバウルで戦争に従事し ていたということです。「HASHIMOTO」という日本 人が村の言葉を学びに来ると聞き、すぐ私の父を思い出した とのことです。 私はマナさんに村で会うたびに申し訳ない気持ちになります。

夕ロいもと家内

私達の村での家は多くの人々の助けにより7月中旬に完成し ました。しかし、その家が完成するまでの約半年、村の人々 と全く同じとはいえませんが、それに似た生活をする機会を 与えられました。朝起きると薪で料理し、食事がすむと家内 は川で洗濯、午後には暑くてたまらなく水浴と。でも、こん な時、生活の大変さはありますが村の人々と知り合いになる 絶好の機会ともなりました。

その一コマを紹介しましょう。私の家内は村に住み始めてか らタロいもが大好きになり、最初は村の人に焼いてもらって 食べていました。しかしそれでは間に合わず自分で焼きはじ めたのですが、うまく焼けずに悪戦苦闘している家内を見て 多くの村の女性が焼き方を教えて下さいました。 この様にして村の生活を知り、又村の人々も私達を知ること により、少しずつですが交わりが深まりつつあるように思い ます。

二人の同労音

村での家ができ、本格的に言葉を学び始めようと思っていた 9月の初めに2人の同労者が与えられました。私達からは正 式にお願いはしなかったのですが、私達の働きに重荷を持っ てくださり、今は朝8時半頃からお昼まで熱心に教えて下さ っています。

この2人の青年を紹介しましょう。 一人の青年は村にあるメソジスト系の教会・ユナイテッド教 会のリーダーをしています。名はトマス・ウェガといい、私 の長男が大好きです。

もう一人の青年は以前ワシラオ村の小学較の校長をしていま した。日本では校長といえば50〜60才ぐらいを想像しますが、 彼はまだ40才前です。彼の名はピークー・マンデといい、他 の村の人ですが、今はワシラオにいる親戚の家に泊まりつつ 私に言葉を教えて下さっています。べレ・アタ部族の中では 学識のある人で、将来私達の働きを大いに助けてくれる人に なればと祈っております。      

ラーメン

昨年初めてワシラオ村に来て、村の人が"ラーメン"を知っ ているのにびっくりしました。それは村の近くに日本の会社 があるためであることがわかりました。

昨年、日本を離れる時「日本人とはオサラバ」と覚悟してパ ブア・ニューギニアに来たのですが、こんなところで日本の 方々に会うとは夢にも思っていませんでした。会社は2つあ り、1つは日商岩井の会社(現地ではS.B.LCと呼ばれてい る)で、もう一つは新旭川という会社で両方とも木材を扱っ ています。この2社で日本人の男性6名がいます。私達は 村に入ってからいろいろとお世話になり、特に家を建てる時 には大いに助けていただきました。

このワシラオ村で働きをすると決めた理由の一つはこの日本 人の方々の存在ということがありました。主は、この地にあ っても私達に同国の方々に証しをする機会を与えて下さった と信じたからです。クリスチャンの方は一人もいません。少 しずつですが福音を伝えたいと思っております。

べレ・アタ語を話す人々は約1300人で、主に西ニューブリテ ン州・中央ナカナイ地方に住んでいます。あるところは新興 宗教カーゴーカルトの影響の下にありますが、ほとんどの村 にはユナイテッド教会があります。しかし礼拝においてはビ ジン英語の聖書を使い、べレ・アタ語こは一部ですら訳され ておりません。福音が本当の意味で一人一人の魂の中に入り 根付くためには母語での聖書が必要だど信じております。ど うか一日も早くこのペレ・アタ語で聖書が訳されますよう続 いてお祈り下されば幸いです。