ジャーニーの恵み〜参加体験記〜
ハレルヤ!主の御名を讃美します。私は海外宣教部の一員として「ジャーニー」の準備段階で何も手伝いができず、当日の朝まで、こんなことでよいのだろうかと自問し、正直に言うと、もうひとつ燃えることができませんでした。当日の朝8時にチャペルに行くと、既にほとんどの準備が整えられ、ウィクリフの先生方はじめ超教派の奉仕者たちが勢ぞろいしていました。私は主に「何でもやります」から使って下さいと祈りました。感謝なことに、いくつかの奉仕が与えられ、プログラムのほんの一部でも担わせてもらっているという実感がもてました。
しかし、本音を言うと、私は最初からこのプログラムはいったいどこが面白いのだろうかと半信半疑だったのです。宣教師が通るところを擬似体験して何らかの意味があるのだろうかと疑っていたのです。
ところが、奉仕も一段落したところで、人数も時間にも多少の余裕があることがわかり、ある姉妹の勧めもあって、T神学生とペアを組んで最後から2番目の組でジャーニーに参加することになったのです。他のチームがこの世の楽しみコーナーでゆっくりお茶していたところに顔を出すや否や、プログラムが進み、宣教の召命の部屋に移動し、御言葉の示しを受けました。イエス様の大宣教命令は知っていましたが、イザヤの主への応答とパウロの勧めについて改めて御言葉により教えられました。(日頃から御言葉に育まれていない自分を暴露してしまいますが。)
私は、「誰を遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」(イザヤ6:8)
しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」(ローマ 10:14-15)
次のステップは、母教会の先生との海外宣教への召しについての話し合いの場でした。そこで、私は、入月先生から、「世界宣教の中に日本宣教が含まれる」ことを改めて教えて頂きました。先生は、カンボジア宣教のために4年間難民キャンプでご奉仕され、第2期目の準備をされている最中に、長兄、ご両親が召天されたため、現在は宣教師職を辞任され宣教教会で主に仕えておられます。そんな中で、日本にいるカンボジア難民のために月1回伝道集会を持って、国内で世界宣教の働きに加わっておられることを伺いました。私は、海外宣教において、家族の負担や犠牲をどう考えられるのかと質問しました。子供と両親のことを主の前に真剣に祈り、どうするのが主の召命に適うことなのかについて、主に真剣に聞くことの大切さを教えて頂きました。
昼ちょっと前にスタートしたので、ここで昼食の休憩が入りました。パンを食べながらT神学生と交わりの時を持つことができ、とても感謝でした。
食事が終わり、海外宣教団体を訪問し、OMFインターナショナルの働きについて説明を受けました。ハドソン・テーラーの中国内陸部への宣教活動からスタートしたという話を聞き、私は彼の名前しか知らなかったので、彼の生涯と働きをまとめた「ハドソン・テーラー」(いのちのことば社)をその場で買い求めました。
(ここから調子が変わります。体験モードです。)
次は、聖書学校での学びです。いきなり、聖書について質問用紙が配られて。。。
え〜っ。キリストに導く際の御言葉に何を使うか?魂の救いを確信していない人を導くための御言葉?イエスさまが神であることを信じない人に示す御言葉?使徒の働き1:8の御言葉「しかし、あなた方の上に聖霊が降るとあなた方は力を受ける。そして、エルサレムだけでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまで私の証人となる。」の説明と毎日の生活の中でどのように適用するかって?
突然、こんな質問されても答えられないんです。日頃から御言葉が刻み込まれてない、伝道熱心でない私にこんな質問投げないでよ〜、って主につぶやいてしまい、でも、必死で聖書をめくりめくりして、自分なりに回答は書いてみたものの。。。 説明してください、どこが示されていますかとか、指名されなくてよかった、よかった。。 でも、こういう試験問題が、聖書学校や神学校に入学するときには必要になるのかと、少しだけ感じることができたし、何よりも、自分自身がはっきりした御言葉に立って救われているのだろうかと、再点検する機会となりました。いま一度、救いや自分の握り締めるべき御言葉の大切さと力について思い巡らすことができました。
やっと聖書学校を卒業し、それから言語習得と異文化適応の学びです。当日の朝、急いで組み立てたラックに外国語の聖書を並べて置きました。どの聖書も、まったく読めない文字がちりばめられています。でも、この聖書を作るのに、どれだけ多くの翻訳者と先生方の人生が献げられているかを思うとき、ウィクリフ聖書翻訳の働きの、主にある栄光を拝さずにはいられません。たった数千人の部族のために、どれほどの労力と時間が注ぎ込まれているか。。改めて、この地道な命のパンを作り備える働きについて私たち一人一人が思いを馳せて、熱心に祈りと献げものをする必要を感じました。
松村先生から、文明と文化の違いについて説明を受け、その土地の文化を尊重し、受け入れ、適応する、そして、彼らの文化を観察して共に生きること、宣教はことばだけではないこと、を教えていただいた。ご自身のインドネシアでの経験談をもとに、時間認識の違いや、感情表現、コミュニケーション方法の違い、そして外国語習得の秘訣を伝授いただいた。「少なく学んで、多く使う!」がウィクリフの合言葉とか。
日本人はとかく文字に頼りすぎてしまうので、音や非言語表現も大切だということです。 特殊な発音?発声?法を学ぶよい機会となりました。
パスポートを申請、入手して、これから関門のひとつのビザ申請です。ちょっと離れた事務所には、申請書類の記入机と、前に領事館の審査官三名が、でんと座って、そのうちの一人は、カイザル髭が肌に染み込んでしまい、色褪せてはいましたが、威張り腐った感じの監督官でした。
何ビザを申請するか。。。私はちょっと考えました。カイナンチュウ国は○○教が国教の国で、宣教師が公に入国できる国ではありません。普通は観光ビザでまずは入国して、滞在期間ぎりぎりまで現地で、見えない形で働きを行っているのだろう。。
でも、招待状があれば、非移民ビザも取得できるらしい。。そこで、私は突然ひらめき、思い出したのです。確か現地で、カイナンチュウの子供たちに保育園の働きをしている、ミスター・ヒロシ・イケダという方がいたのを。。早速、彼からの招待状を英語で書いてもらいました。(なぜかヒロシ・イケダに成り代わったような気が一瞬しました。)手紙は、私がその保育園で子供たちに数学と英語で教える手助けとなること、私が保育園の教育レベルを引き上げることができるし、宗教活動も一切しないことを保証する内容でした。
急いで準備したので、手書きの手紙でしたが、そのお髭の審査官に申請書類一式と共に手渡しました。その審査官が本当に英語を読めたのか定かではありませんが、申請書の筆跡と手紙の筆跡が同一じゃないのと指摘してきました。私は一瞬ひるみましたが、似ている筆跡の人も多くいますね、と粘りました。すると、隣に座っていた審査官が、封筒がないじゃないか、と言うのです。封筒があれば信用できるが。。というニュアンスで話されたので、私は早速封筒を探しに事務所まで戻りました。運良く封筒とカイナンチュの切手が手に入りました。(どうやら、カイナンチュウ国は郵政事業がまだまだ遅れているようで、切手がマーカー色で薄くなっていました。切手の図柄も超シンプルでした。)
私は事務所に戻ると、ミスター・イケダはちょっと変わった先生で、印鑑を押印するくせがあったなあ、と思い出し、シャチハタを密かに封筒とレター本紙に押してしまいました。。これが、致命傷になりました。。封筒が見つかりましたと言って検査官に差し出すと、さっきはこの印鑑はなかったが、と鋭く見抜かれてしまい、私も言葉が継げませんでした。こんなひと悶着を経験し、やはり観光ビザしか取れないことがわかりましたが、現地でビザの切り替えができる可能性を聞き出し、まずは入国することが第一プライオリティとういことで、やっとの思いで、ビザを取得できました。審査官は、宗教活動をしないかということをしつこく問いただしましたが、主に許しを頂いて、しないと答えました。
やっとビザが取れ、旅行代理店で航空券を購入しました。ここで、また障害が出てきました。お金が足りない人がいるのです。これは、もう互いに主にある兄弟姉妹が協力して主の働きのために、融通しあうしかありませんでした。私は、ふと、航空券購入とあわせて旅行保険への加入をしたのですが、それを払い戻せばいいんじゃないかと、交渉してみましたが、保険代理人の方は、笑いをこらえるような顔をしながら、それは規則でできません、と答えたのでした。私の命は主に差し出しているのですから、保険などというこの世的なことをしなくてもいいと思ったのですが、そうか、もし私が飛行機事故で亡くなったときに、家族のことを考えなければいけない、自分の命は主のものであっても、残された家族への心ばかりの愛を人間的に示すことの大事さも謙虚に学ばなければいけないなあ、と感じたのです。(この感じを持てたのは、帰国後しばらくたった今このときですが。。)
旅行の段取りが済んでツッキー師に派遣のお祈りをしてもらい、さて飛行機に乗り込みました。あのダイヤモンドの駐車場に着陸できるぐらいの小型機です。なぜか乗り込むと窓のシャッターが閉められて機内は真っ暗になりました。どうやら、カイナンチュ航空は特殊な航路を飛行するために、乗客には外を見せないように運行されているようです。機内サービスもなく、ずいぶんと揺れの大きな小型機の飛行で、アナウンスがオーストラリア訛りの英語で、最後に本日のフライトという部分で、トゥデイ(today)ではなく、トゥダイ(to die?)と言われたので、こりゃ、死ぬ覚悟でやっぱり宣教地に乗り込むんだなということを実感しました。
長いフライトが、15分ほどに短く感じられ、やっと到着すると、なにやら地下に向かって歩かされ、入国審査を受けました。私は個人聖書を持ち歩いていましたが、なんとなく優しい検査官に巡りあい、公の場で開かないことを条件に持ち込みを許されました。
同じ飛行機で到着したある姉妹は、突然、検査官が怒りだし?牢屋にぶち込まれたので、私たちはどうしようと気を揉みましたが、主の前に祈り、彼女は助け出されました。 ハレルヤ!でした。(実際には主に祈る前に、主が働かれて事なきを得ました。)
宣教地では、現地の兄弟から再度、言語習得の学びを受けることができました。どうやら、カイナンチュ(Kainantu)はインドネシアに近いところらしく、インドネシア語に近い言葉を教えてもらいました。プジュ・トゥハン(Praise the Lord)、トゥハン・イシュ・カシヒ(God is Love)は耳に焼き付いています。現地での学びも楽しいひと時でした。
。。。というような具合で、宣教師体験をすることができました。
昼食を挟んで5時間ぐらいかかりましたが、無事に帰国報告をし終わったときには、疲れも感ぜず「ああ、楽しかった。恵まれた。主に感謝!」と心から思いました。自分が知らず知らずのうちに熱中してしまったからなのでしょう。なぜ、最初半信半疑だった私が熱中してしまったのでしょうか。それは、各ステップで対応して下さった方すべてが、主から召しを受け主に仕える先生、兄弟姉妹であったこと、その中でも、実際に海外宣教の経験を持つ先生方が、熱く語って下さったからだと思います。
私の取り組み姿勢は、祈りは足りなかったし、準備不足でしたが、喜び楽しんじゃおうという気持ちに聖霊が働いてくれたのでしょうか、押し出して下さり、ワクワクしながら良い学びの体験をすることができました。実際に海外宣教に遣わされる先生方、ご家族が通られる道のりはこんなものではないでしょう。ほんの一部、100分の1以下でしょうか、の困難や試練について知ることができたのは、これから宣教師の先生方、ご家族のために祈るときに、少しでも役に立つような気がします。私にとっては、世界宣教や日本国内への宣教に向けて新たに目が開かれる、大きな恵みでした。小さく足りないものですが、これからも海外宣教の働きのために祈ってゆきたいと思っています。
最後に今回のジャーニーを通して、今示されている御言葉をお分かちしたいと思います。
神と主イエス・キリストのしもべヤコブが、国外に散っている十二の部族へあいさつを送ります。私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。(ヤコブ 1:1-3)
ジャーニーを通して多くの種が播かれ、未来の宣教師が刈り取られることを祈ります。
