ドキュメント

宣教師になって恵まれたこと、福田愛子

高校、大学とよく宣教祈祷会に 出て、宣教師の為に祈っていた私 は、宣教師とは、本当に自分を神 様に献げきり、潔められた、神様 に近い完全な人のように思ってい ました。

今、宣教帥として遭わされて、 (訓練の時、クラスでの学びの時 をまぜないで) 5年目になります が、昔、自分が宣教師に持ってい たイメージと自分の今の姿が随分 と違うのに、おかしささえ覚えま す。宣教帥といっても、喜び、悲 しみは、他のキリスト者とかわら ないのではないかと思います。

宣教帥になる前も、私にとって、 一番うれしい時は、他の人がイエ ス様を信じ、そしてキリスト者と して成長していくのを見る時でし た。それは、宣教師として働いて いる今もかわりありません。

最初の数年問は、ことばが不充 分の為、本当にもどかしく思いま した。一期の終りになり、ようやく言 葉が慣れてきて、イエス様の事に ついて、聖書が言っていることに ついて、少しずつ話せるようにな りました。

そんな時、ロディータが、私た らのヘルパーとして、来るように なり、私は賛美歌の翻訳を彼女と していくうちに、いろいろ聖書の みことばについて話しをする機会 が与えられました。彼女は、それ までスピリティスタのグルーブで、 救いは行いによると教えら れていたので、一生懸命努力はし ていましたが、救いの確信は勿論 喜びがありませんでした。しかし、 みことばを通して、イエス様を信 じることによって救われるのだと 分り、丈、隠していた罪も告白し て、喜びに満たされたクリスチャ ンと変わりました。

2年間の休暇帰国、学びのあと、 フィリピンに戻り、彼女は、又、 私たちの元で働くことになりまし た。彼女の為に、毎日1時間の聖 研を、もう一人のヘルパーと持っ ていますが、彼女のみことばに対 するうえかわきには、かえってこ ちらの方が教えられます。

彼女は英語で旧新約聖書を全部 読み通したそうですが、英語では 理解がむずかしく、東ボントツク 語の聖書ができるのを、心待ちに しているのです。

ルカ伝の聖研をロデイータたち としながら、他の聖書箇所を引用 する度に、英語で読んで聞かせ、 イロカノ語(北ルソンの共通語) で読んで聞かせ、それを東ボント ツク語で説明するのです。そんな 時、きまって、皆で 「あー、早く 新約聖書全部が私たちのことばで 読めたらいいのにねー」とためい きをつくのです。そうしたらどん なに択山のことを、聖書から学ぶ ことができるでしょうか。  その日を夢見つつ、一日一日が んばりたいと思っています。