ドキュメント

活ける水の流れ、福田崇

リチャード・フォースターは「活ける水の流れ」をキリスト教会の歴史の中で、6つの底流として捉えています。 大きな、主イエスの命の流れを特色付けるそれぞれの「伝統」としての6つの流れを詳述します。 それぞれの伝統について、次のように組織的に、平等に取り扱っていきます。 それぞれの伝統に属する人は、その伝統の中で養われ、訓練され、全体の流れにその良きものをもって貢献するように薦めます。 しかし、その伝統がキリスト教会の全体と考えることを戒めます。 自らの伝統を掘り下げつつ、また他の伝統からも学ぶように薦めます。 その6つの伝統とは、次のとおりです。

  1. 黙想の伝統:祈りに満ちた生活。
  2. きよめの伝統:道徳的な生活。
  3. カリスマの伝統:御霊に満たされた生活。
  4. 社会正義の伝統:愛にあふれた生活。
  5. 福音的な伝統:御言葉中心の生活。
  6. 受肉の伝統:礼典中心の生活。

そして、それぞれの伝統について、次の項目立てで詳述します。

  1. 歴史の中での現れ、特色的な人物。
  2. 聖書の中での現れ、特色的な人物。
  3. 現代の中での現れ、特色的な人物。
  4. その伝統の定義。
  5. 主たる強いポイントについて。
  6. 潜在的な陥りやすい弱みについて。
  7. その伝統の実践について。
  8. その伝統を自分のキリスト者生活に活かす招き。

イエスが祈られた、ご自身を信じる人々が「一つとなるため」を重く受けとめ、共に祈り、宣教の分野で協力するときが来ているのではないでしょうか。フォースターは、結語で次のように述べています。

「この本の中で分かち合った全てのことは、私の深い確信に基づいている。『現在、神の民が新たに一つに集められつつある。』この本で私が述べた6つの伝統(黙想・きよめ・カリスマ・社会正義・福音的・受肉)が聖霊の大いなるお働きにより、一つの大きな流れになってきている。それぞれの伝統は、この新たな集合体の底流をなしている。現在はまだ、大方は分かたれた存在である。長い間にわたって、教会はこのような分かたれた存在であった。しかし新たなことが起こりつつある。神はもう一度、ご自身の民を集めておられる。イエス・キリストをその支えとし、最も栄誉を受け取るべき住人とする、主を愛するすべての人々からなる共同体を形成しておられる。この共同体は、様々な形で、姿を現している。

私は、これをすでに見ている。神のすばらしい、新たな集合体を。従順で、訓練された、自由に集まる民、神の国の命と力を知っている民。十字架と冠の民。勇気ある行動と犠牲的な愛の民。宣教と社会的な行動を一つにしている民。イエスの主権を認め、かつ苦難の僕としてのメシヤに従う民。キリストの永遠にわたる支配のビジョンに生きている民。将来に起こることとしてでなく、すでに私たちの只中へ入ってきている支配を自覚している民。このような民が、おぼろではあるが見える。

インディアナ州の田舎の牧師が、ニュージャージー州の都会の神父とハグをしている姿を。そして二人が世界の平和のために祈っている姿を。私は新たな民を見ている。

ケンタッキー州の山奥のカトリックの修道士が、ロスアンゼルスの街中のバプテスト派の伝道者と隣り合って立っており、共に主を賛美している姿を。私は新たな民を見ている。

香港の都市問題のために働いている社会活動家が、サンパウロの田舎のペンテコステ派の説教者と手を取り合い、霊的に失われている人々のために、貧しい人々の悲惨さのために涙を流して祈っている姿を。私は新たな民を見ている。

ソヴィエトの労働者とプレトリアの地主が、キリストへの尊敬から互いに仕えあっている姿を。私は新たな民を見ている。

フチ族とツチ族、セルビア人とクロアチア人、モンゴル人と漢民族、アフリカ系アメリカ人と白人のアメリカ人、ラテン系の中南米の人とアメリカ原住民が、お互いに与えられているものを分かち合い、配慮し合い、愛し合っている姿を。私は新たな民を見ている。

文明の進んだ地に住む人と簡素な生活をする人、エリートと教育のない人、金持ちと貧しい人が一緒に立っている姿を。私は新たな民を見ている。

私は新たな民を見ている。この民は、あらゆる民族からやってくる。あらゆる国からやってくる。あらゆる言語からやってくる。あらゆる社会層からやってくる。心をあわせ、手を取り合い、声を合わせて宣言する。

驚くばかりの恵みなり。 罪深き我をも救うとは。 失われし我も、 今は見出されたり。」