ドキュメント

パートナーシップの進展と協力の原則について、福田崇

著者近影 21世紀の世界宣教における、パートナーシップの重要性が主張されている。政治の世界においても、「国民国家」が自己中心的に「国家」の栄誉と繁栄のために動く時に,必然的に他の「国家」を無視したり,踏みにじったりしてきた。20世紀は「戦争の世紀」と言われるように二度の大戦を経験したが,その背景には「国家」を強く前面に押し出す考えがあった。

団体間の協力関係の推進

キリスト教界においても、教派・教団の壁が低くなり,団体間の協力関係が推進されている。移動・移住の激しい現代において、行った先の地に同じ教派・教団の教会が無い場合がでてきている。それにより他教派・教団の教会に出席することになる。また以前にくらべて、どうしても同じ教派・教団の教会に遠くても通う信徒が少なくなっている。さらに、信徒のレベルでは、超教派学生伝道団体や宣教団体のプログラムに参加することで、教派・教団を超えて友達がおり、交わりが存在する。自分たちの教派・教団だけ,自分たちの伝道団体・宣教団体だけが繁栄すればと考える考えはほとんど成り立たなくなっていると言える。

曖昧にしてはならない団体の使命と役割

それぞれの教派・教団・団体の歴史・伝統・強調している教え・果たそうとしている使命や役割などが、他との協力のなかであいまいにされ、ないがしろにされ、妥協が求められ,埋没していくとすればどうなるだろうか?そうなると、真の協力関係は築けず,また協力関係にプラスの面をもたらすことも無くなるだろう。キリストの体なる教会という全体に対して、貢献できる良いものを保ち続ける努力が求められるであろう。

パートナーシップを築くために

良い協力関係と言うパートナーシップを築くには、信頼関係、情報の共有が基礎となる。信頼関係は一朝一夕では築けない。まず基本的な枠組みで一致していなければ協力そのものがスタートしないであろう。一緒に仕事をしていく中で,試行錯誤を繰り返し,傷つけ,傷つけられ、赦し合い、徐々に築かれていくであろう。また基本的な枠組み、基本教理について、自らが何を信じ、何を考え、どのように他を見ているかがオープンにされ、真実にそれを表明する中で,初めて協力が可能となってくる。次いで継続的にプログラムや活動についても情報が提供されないと、お互いの間の不信感につながってしまう。

宣教団体間の協力関係

宣教団体の間に醸成されつつある協力関係により、それぞれの団体は、目標であり命令である「宣教大命令」を、再度真剣に受け止めた時に,自分たちが今まで実施してきた活動の見直しに行き着いた。その中で,自分たちだけで目標を達成できると考える愚かな人はいなかったが、自分たちが本来注ぐべき分野に人材や財を注ぎ込んでこないで、少しずれていたとの認識が与えられてきている。ひとつの地域への宣教の働きでも、以前では考えられなかった諸団体の協力ができてきている。フィリピンのある部族への宣教では、文書伝道・聖書翻訳・リーダー訓練・放送伝道など様々な団体が協力して働いている。

団体の中での協力

超教派宣教団体・伝道団体の協力と教派・教団間の協力では、自ずとレベルが異なってくる。ウィクリフでは、「メンバー間にある基本的な信仰基準以外の教理の違いを認め合い、自教派に『改宗』させる努力は禁止する。」という協力原則で幅広い教派・教団の出身の者たちが一緒に聖書翻訳宣教に従事する。これはメンバー間だけでなく、他団体との協力、奉仕地の教会との協力においても適応される。従って、「長老派」のメンバーと「バプテスト派」のメンバーがチームを組み、「メソジスト派」の教会のために聖書を翻訳することがある。

福音宣教のための協力

教派・教団の場合には、自らの特色を生かし、信仰告白を中心に教派形成を推進するので、宣教団体の場合とは異なる。基本的な信仰告白だけでなく、さらに詳しい信仰告白を告白する。そうした教派・教団の相互の協力が教会未設置の町村でなされ、開拓伝道が成されればすばらしいと思うが、事は簡単ではないだろう。しかし、今後協力して伝道をという路線はますます強くなることが予想される。主の福音が宣べ伝えられていくために、主にある兄姉たちが共に集い礼拝をするために、互いの特色を生かしつつ協力していくことを、主は願っておられるのではないだろうか?