ドキュメント

祈りによる参加、福田崇

世界宣教の働きで、祈り・人・資金の3要素が必須であるが、その中でも最も得がたい要素が祈りと言われています。 一般的には、お金が一番手に入れにくいと思われていますが、お金は、働き人が起こされていく時について来ます。 人が、その生涯をささげて主に用いていただきたいと願うのは、祈りの応えとして実現します。 「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」(マタイ9:37-38) 祈る時に、主はその祈りに応えて、働き人を送ってくださいます。 しかし、どのようにしたら、キリスト者が祈るようになるでしょうか?

日本ではとりなしの祈りのために、いくつかのグループが重荷を負って労しておられます。また祈りのための資料もあります。 お互いの協力関係・ネットワークが必須でしょう。

諸外国では、ピープル・グループのための祈りが盛んです。次のサイトでは祈り手を募集しています。

また次のサイトでは未伝地情報が掲載されています。

各国のウィクリフが、聖書のない言語のための祈りのプロジェクトを推進しています。

中国が共産主義国家として登場した時に、多くの宣教師が国外退去となり、その後、中国は外部に門戸が閉ざされて、現在にいたっています。世界の教会に、中国のために祈る運動が盛んになりました。小さな祈りのグループが多くスタートしました。

フィリピンでは、中国のための祈り手百万人運動、イスラムのための祈り手百万人運動、日本のための祈り手百万人運動が展開中で、祈りが盛んです。

韓国では、国の危機の時の祈り会が開催されると、ヨイド広場に百万人もの人が集まり、教派・教団を超えて、普段は別に活動していても、非常時ということで一緒に祈る基盤があります。雨の中、夜を徹して祈ったと伝えられます。

ウィクリフの歴史の中では、祈りによる前進が幾度となく実現しました。創立者のタウンゼントさんは祈りの要請をしばしば発しました。1941年に、メンバーは46名でしたが、彼は、各メンバーが支援者に手紙を書き、50名の新しい働き人が送られるようにとの祈りの要請をするように命じました。1年以内に、51名の新しい働き人が与えられて、働きは前進しました。1968年に第1回のソ連訪問を実現させると、1982年に召されるまで、10回にわたって訪問し、なんとかソ連への門戸が開かれないかと模索しました。最後には、これは政府が変わらないと、門が開かれないと悟り、支援者に政府が変わるように祈って欲しいと依頼しました。1990年に共産体制が崩壊したことによりその祈りは聞かれました。

日本の町村のうち教会のない約1,800の市町村のために、1,200の大学、6,000の高校、12,000の中学、24,000の小学校のために、また約17,000の福音の届いていないピープル・グループのために、聖書の翻訳のない約3,000の言語のために、まず祈りがささげられていくことが急務ではないでしょうか。一人の人、一つの教会がリストにある全部のために祈るのでなく、一つの町あるいは村、一つの学校、一つの言語を選んで、そのために毎日祈っていけないでしょうか。

『聖書ほんやく』、202号掲載